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ブックマーク / www.miraisha.co.jp (6)

  • 日本詞華集 - 西郷信綱 廣末保 安東次男 編|未來社

    定価:体6,800円+税 ISBN:978-4-624-60103-4 ISBN[10桁]:4-624-60103-3 発行日:2005年6月1日 元版年:1958 判型:A5判並製 ページ:498 Cコード:C0092

    日本詞華集 - 西郷信綱 廣末保 安東次男 編|未來社
  • [未来の窓99]よみがえる日本語の宝庫──『日本詞華集』の復刊に寄せて|未來社

    [未来の窓94] 二〇〇四年を振り返る 新年あけましておめでとうございます。 今回は、新しい年に向けての展望を得るためにも、稿を書いている二〇〇四年十二月現在まだ終わっていない二〇〇四年という一年を振り返って整理しておきたい。というのもこの一年のあいだに小社をとりかこむ環境も小社の内部事情もかなり大きな変化が出てきたように思うからである。いつも変わらぬものと少しずつ変わるもの、劇的に変わるもの、そうしたさまざまなファクターが重なりあって一年一年が形成されていく。あたりまえのことだが、そうした変化に目をとめていかないかぎり、時代と自身の加齢とのあいだで流されてしまうものがあるのだ。 ことしの出版業界での唯一の明るい話題は、七年連続の売上げ減少にようやくストップがかけられそうだという見通しである。もちろんこれを安易に鵜呑みにできないのは、あいかわらずこのデータが書店での実売ベースでなく、取次

    inmymemory
    inmymemory 2012/06/25
    日本のように古代からの言の葉の長い歴史をもち、様々な短詩型文学の宝庫である国は、世界中にほとんどないのであるから、こうしたエッセンス(詞華)を改めて熟読玩味する喜びを味わう特権に溢れているはずである
  • [未来の窓42]『ブレヒト戯曲全集』の日本翻訳文化賞受賞にふれて|未來社

    [未来の窓34] オン・デマンド出版の意味するもの 最近とみにオン・デマンド出版にかんする話題が多くなってきた。取次会社の日販がこの九月に起こした株式会社ブッキング、それにつづいてトーハンが凸版印刷と組んだデジタル・パブリッシング・サービス、そして全国的な書店チェーンの紀伊国屋や丸善がはじめたオン・デマンドによる読者からの直接受注、図書館流通センター(TRC)による図書館向けオン・デマンドなど、こうした生産ポイントにおける受注出版(すなわちこれがオン・デマンドのオリジナルの意味だ)の新しい方法が現実のものになりつつある。これにくわえてインターネットを介してのオンライン書店の出現による流通・販売レベルでの急速な展開など、出版界にもようやくニュー・ウェーブが押し寄せてきているのである。 さらには、各出版社が自社のホームページをつぎつぎに開設して直販ルートを設定するなど、これまでの版元―取次―書

    inmymemory
    inmymemory 2012/06/25
    未來社刊行の岩淵達治訳『ブレヒト戯曲全集』全8巻が第37回日本翻訳文化賞、ドイツでの権威あるレッシング賞、湯浅芳子賞を受賞
  • 編集用日本語表記統一基準|未來社

    (★はママのものもありうるもの→★の付いたものは変換後に確認する) ●ふつうは変換したほうがいいと思われるもの(きりがないので頻度の高いものだけ) 敢えて→あえて 明か→明らか★ 辺り→あたり★ 余り→あまり★(例外:字余り) 予め→あらかじめ 凡ゆる→あらゆる (在り|有り|あり)方→ありかた 有(り)難(い|き|く)→ありがた(い|き|く) 有(り)難う→ありがとう 有(り)様→ありさま 如何に→いかに (て|に)行く→(て|に)い★く(例外:来の動詞以外の場合) 幾ら→いくら★ 些か→いささか 何れ→いずれ 頂く→いただ★く(例外:来の動詞の場合) 一応→いちおう 何時→いつ★(例外:何時間、何時に) 一向(に)→いっこう★(に)(例外:一向宗、一向一揆) 一切→いっさい★(例外:一切れ、一切合切) 一緒→いっしょ 一斉→いっせい★(例外:一斉射撃) 一層→いっそう★(例外:均一

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    inmymemory 2012/06/25
    日本語の表記を現代風に変更する、その為には読みにくい漢字を平仮名に開く、副詞や接続詞は平仮名に開く、動詞や指示詞の字義通りの意味以外の使用に関しては平仮名にする cf. http://www.miraisha.co.jp/mirai/mado/mado2010.html#154
  • [未来の窓154]書籍での用字用語の統一のために|未來社

    [未来の窓154] 書籍での用字用語の統一のために 編集歴も三十数年になると、じつに多様なジャンル、著訳者の原稿に接してきたことになる。また自分でもこれまでなにがしかの原稿を書きつづけてきた。そうしたなかで、仕事柄か、おのずと日語の表記のありかたについて人一倍の神経を使ってきたように思う。 たとえば自分のことを「私」とするか「わたし」とするか、さらには「僕」あるいは「ぼく」とするかは書くひとによっても、また文章の性格によっても、書く時期や年齢によってもちがいがあるのはある意味で当然であるが、どうもひとはそこまで自覚していない場合が多いということにあるときから気づいた。つまり同じ文章の隣りあった行のなかで「私」と「わたし」が平気で並んでいたりすることがきわめてしばしばあるのである。「私」と「僕」が混在することはさすがにそうないが、こういうことをひとはそんなに気にしないのだろうか、ということ

    inmymemory
    inmymemory 2012/06/25
    cf. 編集用日本語表記統一基準 http://www.miraisha.co.jp/mirai/archive/touitsu.html
  • [未来の窓28]図書館の役割はどう変わるべきか|未來社

    [未来の窓22] 出版社の適正規模を考える 前回、この欄で中央公論社の身売り問題に触れたさいに出版における適正規模について言及した。この一文を書いてまもなく井狩春男氏が「毎日新聞」十一月十六日号でやはりこの問題について書いているのを読んで思うところがあった。そんなわけで今回もこの問題についてもうすこし考えてみたい。 井狩氏と言えば、人文・社会科学書専門取次・鈴木書店の仕入課長であり、「まるすニュース」の編集人というか執筆者として業界人なら知らぬひとはいないぐらいの存在である。毎日、洪水のごとく押し寄せる新刊をさばきながら、これはというを選好して記事を書きつづけるという仕事を長いことしている。新しいが生まれる瞬間というものをほとんどリアルタイムで知っているひととしてはこのひとをおいてはいないだろう。それだけに「『の洪水』の中の出版不況」と題するこの「毎日新聞」の文章は、昨今の出版界をめ

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