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ブックマーク / taknakayama.hatenablog.com (4)

  • 吉田一穂と三上さん - 横浜逍遙亭

    三上さんが『シュッポロ』絡みで口にする詩人の吉田一穂(よしだいっすい)って誰だっけ、どんな詩人だっけ。うろ覚えでほったらかしていた疑問である。日の文学史に残る大物だけど読んだことがない。昨晩、情報をひもといたら、そうか、あの詩の作者! 僕の文学に関する知識はその程度だ。 ああ麗はしい距離(ディスタンス)、 つねに遠のいてゆく風景…… (吉田一穂『母』より) それで思い出した。おそらく高校生の頃、詩集を開いても、万華鏡のように光り、散乱する言葉の輝きに、その当時の僕の心が十分にはついていけなかった詩人。人生においてタイミングというものが重要だとすれば、吉田一穂と僕は悪い方のタイミングで出会ったらしい。もう少し大人であったなら、文学の楽しさにより親しんだ後であったなら、一穂の詩はまったく違った印象を僕に残したかもしれない。 そして、これは三上さんに指摘されて気がついた。吉田秀和に『吉田一穂の

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  • 生きることとともにあるブログ - 横浜逍遙亭

    この前のエントリーに対して勢川さん(id:segawabiki)、Emmausさん(id:Emmaus)に有り難いコメントを頂戴した。また、いつもお読みいただいている皆さんからのたくさんの☆も。勢川さんがおっしゃる「「立場」や「仕事」をそぎ落としても残る自分の人生そのもの」という言葉、Emmausさんがおっしゃる「生きるセンス」という言葉、あるいは「直接社会に与えるものがない人達も息を吐く心得があるのを見ています。終末の方もその心得(感性・理念)を日々ささやかでも新たに求めているのですよ」というフレーズを拝見し、お二方の言葉の重たさを噛みしめている。 先の文章を書いたのは、端的に自分自身にまつわる目下の経済活動のことばかりが念頭にあるなかでだった。それも、ある種の価値観に一面的に絡め取られたまま、そのとき頭にあったことをするすると自然に出てくるままに文章にしてしまった。アップした後に、こう

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    inmymemory
    inmymemory 2008/03/29
    自己満足なエントリ連発の全俺涙目w
  • 翻訳と演奏、あるいは解釈について思うこと - 横浜逍遙亭

    『mmpoloの日記』に東欧文学の専門家である沼野充義さんの翻訳論が紹介されている。ご自身翻訳家でもある沼野さんによる卓越した翻訳小論であることは認めるのにやぶさかではないが、沼野さんの論旨の明快さに圧倒されつつも、最後の部分は「説得されないなあ」と口に出してしまったことだった。 沼野さんは、大江健三郎が『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』の題名としても使ったポーの『アナベル・リイ』日夏耿之介訳を引き合いに出し、優れた翻訳の持つ異化作用に言及している。沼野さん自身、日夏訳は極端にすぎると認めているし、これはこれ以上の極端はなかなかないほどの例で、かつそれが見事につぼにはまっている成功例だろうが、こうした文学的翻訳はしかしやり過ぎだと、むしろ翻訳の専門家には言ってほしいというのが僕の個人的な望みなのだ。 大江健三郎は、彼のエッセイの中で、子供の頃から英語の文章に接し、原文よりもむし

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  • 村上春樹と大江健三郎 - 横浜逍遙亭

    昨日話題にした庄司薫にとって僕は遅れてきた読者だったが、村上春樹は彼とともに同時代の空気を吸った初期の読者の一人だった。Wikipediaによると「群像」に彼の処女作『風の歌を聴け』が発表されたのが、1979年6月。『赤頭巾ちゃん気をつけて』からちょうど10年だ。僕にとっては文芸誌も熱心に狩猟していた大学生の頃だったことになる。 村上春樹『風の歌を聴け』が芥川賞候補になったとき、当時はこの春の微風のような作風が選考委員の賛同を得るとは思えず、駄目だろうとは思ったが、案の定だった。そこまではがっかりしながらも案の定ですんだが、選考委員中、大江健三郎の選評には正直心が萎えた。 ちゃんとした文言はまったく覚えていないが、芥川賞の選評は当然記録が残っているだろうから、その気になればすぐ見つかるはず。ともかく、大江さんは選考委員に与えられている800字の選評の最後に、あたかも「書き忘れそうになったけ

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