今、実の父親の子どもがお腹の中に居ます。 質問なのですが、この子が男の子だった場合、生まれてきた子どもの戸籍上の続柄は「弟」となるのでしょうか? それとも、「長男」となるのでしょうか? 父親の子どもと考えれば弟ですし、私の子どもと考えれば長男かと思うんですが……。 どっちの子でもあるので、やはり両方が併記されるんですかね? 些細なことかもしれませんが、気になるので教えて下さい。
今、実の父親の子どもがお腹の中に居ます。 質問なのですが、この子が男の子だった場合、生まれてきた子どもの戸籍上の続柄は「弟」となるのでしょうか? それとも、「長男」となるのでしょうか? 父親の子どもと考えれば弟ですし、私の子どもと考えれば長男かと思うんですが……。 どっちの子でもあるので、やはり両方が併記されるんですかね? 些細なことかもしれませんが、気になるので教えて下さい。
読んでいるうちに頭がわーってなって、わーってなって、わーってなって、ややもすると自分はとんでもなくおもんないもんを読まされてるんちゃうかなんていう恐ろしい妄想にとりつかれて、それでも読むのをやめなかったのは、わたくしが私であるところのあるいは私がわたくしをやめないでいるための、かわいらしい意地のようなもののおかげで。維持する意地。いじいじ。 まだ、なんかその辺りの余韻が抜けきってへんので、今回は微妙にミエコよりな文体ですが、それでも僕はミエコではないので、やはりここで書かれるのは、ミエコの分ではなくて、ミエコのための文でもなくて、ぼくのぼくによるぼくだけの文章なのです。 内容は、あってないようなもんで。 自分のアイデンティティを歯に求める女が、肥大する自己を肥大するだけ肥大させてわたしわたしわたしってな具合に増長していったら、ある日急に、第三者との接触して、現実と自分を相対化させられてどか
6巻まで読了。 いやあ、おもしろい。無茶苦茶おもしろい。 従ってどうにもこうにも、損をしている感じがあるマンガ。 僕も、正直なところ、絵を見た時はふーむとなかなか手を出せずにいたわけで。 先日、思い切って読み始めたら止まらなくなってびっくりした。 5巻まで読んだ時点で、こいつは傑作だ!!と断言。 絵面まで含めて、素晴らしい。 とにかく物語が濃厚。そして男臭い。 もっと言うなら、プロジェクトX的な感じとでも言おうか。 それが新鮮だった。 日本の漫画におけるSFというジャンルは、初期段階からあったわりに、歪な形で現在まで続いてきた感がある。 手塚治虫から始まって以降、石森章太郎とか藤子不二雄とか、大御所が好んで描き続けたジャンルではあるのだけど、その頃のSFマンガは子どもが主役だった。 ドラえもんが代表的だと思うけど、サイエンスフィクションという言葉の、フィクションの部分に重きを置いていた。
エロいけど傑作。エロいから傑作。 で、ここが重要なんだけど、「絵が巧いのに、ちゃんとマンガとして成立している。」 これが凄い。 その巧さって、沙村広明の絵の巧さに通じるものがあるように思う。 日本のマンガってのはデフォルメの仕方の模索だったという一面があって。 その究極は「へのへのもへじ」だったりするのかもしれないんだけど。 とにかく、現実世界をどこまで極端にデフォルメ(あるいは記号化)できるのか、というのが根底に流れる命題だったりする。 それがあったからこそ、鉄腕アトムや、ドラえもんというキャラクターが生まれたわけで。 (で、その流れに対して、「劇画」っていうのは「マンガ」というフィーマットで、どこまで現実をリアルに描けるかっていうのが始まりだったと認識しているのだけど、それは今は余談。) ところが沙村広明の絵は決してデフォルメはしない。 むしろ異常なまでに正確なデッサンで、現実世界の物
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