2010年1月20日のブックマーク (8件)

  • 虚空に向かって書くからこそ丁寧に書く

    「なぜコメントの敷居を高くするのか」で手前味噌な感じに触れた「くるさりんど」さんのエントリについて、ふと思い出して今頃書きます。 件のエントリに「交流らしい交流もなく、虚空に向かって書いているようなのに『ですます』調」ということが指摘されていていました。わたしが比較的丁寧な文体で書くいくつかの理由については前にも書いたのですが、突然、そんなアレコレの理由以前に、そもそも「虚空に向かって書く」からこそ形を整えようとしている、ということに気付きました。余りにも当たり前になっていて、意識することもできていなかったようです。 一般的には「顔の見える対象」を相手にしたとき、人は丁寧になるものなのでしょうか。場合によりけりでしょうし、容易に断じることはできません。ただ少なくともわたし自身について言えば、むしろ「顔の見える対象」ではない場合に、より真剣に向き合っているように思います。 逆に言えば「顔の見

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    うおおお これもすごいな
  • 空気が読めない者、その罪状と判決 : ish☆サイボーグだから電気羊の夢は見ません

    今まで何度か「ブログを非-mixi的・非-お付き合いの道具的に使うこと」について書いてきました(※1)。コメント欄の敷居の高さや、ブログ全体で用意しておく殺気や「壁」についてです。 ところが、中には「壁」そのものが見えない人がいます。いわゆる「空気が読めない人」です。 防壁を突破してくる人というのは二極分化していて、片方は侠気と知性に溢れた好人物、そしてもう一方が防壁を認識する能力すらない「空気が読めない人」です。真ん中のメインストリームはバッサリ切り捨て、という問題は脇に避けておくとして(笑)、この「壁が見えない人」の威力は凄まじいです。 「壁が見えない人」も大別すると二種類いて、一つは古典的なパラノイア。 昔からリアルでも壊れている人になつかれる傾向が強いのですが、このブログのテクストが彼・彼女の宇宙に突然ヒットしてしまったらしく、「それは冥王界で言うところの下位の神ですね!」的な熱烈

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    寄生獣批評としても優れている、と思う。排除によって成立する共同体。
  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    タイトルからは想像もつかない、愛とセックスの調和の話だった。はっはっは。
  • Twitter / Naoki Takahashi: 極論言うと、「僕はあのかわいい女の子に共感するので、 ...

    極論言うと、「僕はあのかわいい女の子に共感するので、あの子に酷いことはしない」というのは倫理じゃないと俺は考えてるんだよね。それはただの感情。「あいつをめちゃくちゃにいじめたら楽しいだろうな、でもそれはやってはいけないことなのでやらない」これが倫理だと思う。 約12時間前 from web

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    一貫してますね。//ようろうのおっちゃんが「感情は社会的機能だから通じるのが当たり前(大意)」って書いててそんなもんかと思ってたんだけど、あれはやっぱり美しい嘘だよねぇ、とこのあたりの話を読んで思った。
  • 笑っていてくれ。どこか俺の知らない場所で。 - 春巻たべた

    言葉は手段であり伝達もまた手段であるのだから目的を持たない俺が言葉に執着するのは筋が通らないとお思いだろう。バベルの塔を築くつもりがないのならば言葉が通じようが通じまいが構わないだろうと。そうではない。これは祈りのようなものだ。天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人々に平和あれ。祈りを言葉に紡ぐが如く俺は俺の台を読み上げる。言葉は研ぎ澄まされねばならない。祈りの言葉は天上の音楽の如く美しくあらねば用を為さないから。 憎悪というのもまたひとつの優れたエネルギーでありモチベーションであって俺は人を忌避すれど憎まないし呪わないし最近はもう人の幸せばかり願っている。誰も彼もみな和解して肩を抱き語らってくれ。どこか世界の果ての草原で焚き火を囲んで車座になってみんなニコニコしながら酒を酌み交わしてくれ。俺のことは忘れてくれていい。そこに俺の席は無くていいし、招かれなかったことに恨み言を言うつ

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    あれ、なぜ私が言いたかったことが書いてあるんだろう、と不思議な気分になった。ふっふっふ。誰にも伝達しなくていい場所で本読むのが好きです。
  • おまえにハートブレイク☆オーバードライブ ■ウェブ2.0的集合知(愚)が“批評の死”をヴァージョン・アップする

    「最近批評はどうですか」みたいなことをいろんな立場の人から続けざまに尋ねられた。「ニュー評論家」なんて胡散くさい肩書きの人間にそんなこと訊くなよと思いながらそれなりに真面目に答えたのだが、背景に横たわっているのは例のアレのようだった。そう、ウェブ2・0。昨年のベストセラーにしてウェブ2・0の喧伝媒体となった梅田望夫『ウェブ進化論』は、議論の核に「集合知」というものを置いていた。ブログなどの普及により誰もが情報を発信できるようになって、無数の意見が集約・統合されたところに個人を超えた「知」が現出するという、何というかニューエイジっぽいオハナシで、誰でも編集できるウェブ上の百科事典「ウィキペディア」がその典型例とされる。ウェブの進化は人類の進化だといわんばかりの梅田の戦略的オプティミズムには当初から批判があったが、『ウェブ進化論』から1年が経過した現在、ウィキペディアにしろソーシャル・ブックマ

    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    ほー。公共圏の教養。教養かあ。イーグルトンの『批評の機能』
  • 「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ

    アレントは、人間の活動領域を「公的領域」と「私的領域」に分け、現代社会の問題を「私的領域」による「公的領域」の侵蝕であるととらえた。 「私的領域」とは、人間の生存に必要な生産活動を行う場ということである。アレントはアテネの都市国家における「家」を「私的領域」の代表としたが、現代に生きる我々は企業をイメージするのがいいと思う。生産活動にはエンジニアリングと指揮命令系統が必要である。この中では、人間は命じられた通りに言いつけられた仕事を確実にこなさなくてはならない。 「公的領域」とは政治の場であるが、政治エンジニアリングや指揮命令系統ではなく、対等な立場の人間同士の議論によって行うべきだというのがアレントの主張である。人間同士の議論には、必然的に予測できない部分があって、エンジニアリングによって事前にシステムを決定することはできない。そこには別の方法論が必要であり、指揮命令系統ではなく個々の

    「公」というものを制御不能であるけど善なるものとして認識する - アンカテ
    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    "制御不能な善である「公」"うーん。
  • 搾取を語るなら論文を読め

    http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034 「日韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。 でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語の論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない。 結局、日韓国もこの件ではバリバリの当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をして

    搾取を語るなら論文を読め
    inukorori
    inukorori 2010/01/20
    フムン