「数学とは何か」「数学の起源とは」から現代数学の全体像,数学と他分野との連関までをカバーする,初学者でもアクセスしやすい総合事典。プリンストン大学出版局刊行の大著「The Princeton Companion to Mathematics」の全訳。ティモシー・ガワーズ,テレンス・タオ,マイケル・アティヤほか多数のフィールズ賞受賞者を含む一流の数学者・数学史家がやさしく読みやすいスタイルで数学の諸相を紹介する。「ピタゴラス」「ゲーデル」など96人の数学者の評伝付き。 「数学愛好者にとっての優れた道しるべとして」 森重文先生(京都大学教授,国際数学連合総裁,1990年フィールズ賞受賞)ご推薦 「数学愛好者にとっての優れた道しるべとして,プロの数学者にとっては専門外の分野の理解に,本書は頼りになる一冊である.古今東西の数学を見渡し,多岐にわたる分野を網羅して,それぞれ選りすぐりの世界的権威が分
サルトル「実存主義とは何か」 第二次世界大戦後の世界にあって、常にその一挙手一投足が注目を集め、世界中に巨大な影響を与え続けた20世紀最大の哲学者ジャン=ポール・サルトル。彼の思想は「実存主義」と呼ばれ、多くの人々に生きる指針として読みつがれてきました。そのマニフェストであり入門書といわれているのが「実存主義とは何か」です。 「実存主義とは何か」は1945年10月、パリのクラブ・マントナンで行われた講演がもとになっています。この講演には多数の聴衆が押しかけ中に入りきれない人々が入り口に座り込んだほどだといわれます。翌日の新聞には大見出しで掲載され大きな「文化的な事件」として記録されました。その後、この講演は世界各国で翻訳・出版され一世を風靡し、時ならぬサルトル・ブームを巻き起こしました。サルトルの思想はなぜそこまで人々を魅了したのでしょうか。 大戦直後のヨーロッパでは、戦前まで人々を支えて
書評004 「シェア」という視点からみた社会・空間の過去・現在・未来: エレメント/ネットワークによる建築・都市論、あるいは個人化された感情の「シェア」を巡って 門脇耕三他編著『シェアの思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版、2015年) ■吉本憲生(横浜国立大学産学連携研究員) はじめに ここ数年、「シェアハウス」「シェアオフィス」「カーシェアリング」などのように「シェア」という言葉をよく耳にする。ほかにも、「Facebook」のウェブサイト上で、自分以外のユーザーの投稿を引用して友人に広めることも「シェア」と呼ばれている 1。このように、家・事務所・車など物理的な環境やモノのみならず、情報も共有することが「シェア」に含まれているようだ。こうした、多岐にわたる「シェア」という概念・現象を巡り、様々な議論を提示した書籍が、門脇耕三による編著作『シェアの思想/または愛と制度と空間
人はなにを「同じ」と思って「違う」と思うのか――「盗作」を問うことは、言語学の根本問題!? そして、盗作にも上手い、下手がある!? 話題の『盗作の言語学』著者、今野真二氏にお話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子) ――今回は、『盗作の言語学』著者の今野先生にお話を伺いたいと思います。本を読んでいると、「盗作かどうか」自体の判断をすることに禁欲的な印象を受けました。 そうですね。タイトルだけみると、「盗作かどうかを言語学で判断する」という本だと思われる方がいるかもしれません。ですが、これは盗作だ!間違いない!とか、けしからん!と言うところに焦点はありません。 文芸作品には盗作騒動がよく起こります。なぜ私達読み手はそれを「似ている」と感じるのでしょうか。それを言語学的に読み解いてみようとしたのが本作です。 ですから、すでに出来上がっている短歌や俳句を改変もせずそのまま自分の名前で出す「盗作」
欧州への移民・難民40万人(2015年)、日本への難民認定申請5000人(2014年)。 世界を揺るがす喫緊の課題、現代移民研究の第一人者による力作。 いま世界は、かつてない規模で流動している。グローバル化の影響を潜り抜けた移民は、ただ保護される対象ではなく、移動元、移動先の社会を様々に変えていく下からのグローバル化を体現する存在でもある。市民権、国境、法、植民地主義、資本主義、移民の自律性など、制度的問題から思想的課題まで、現代世界を覆う多様な問題を「移民」という視角からクリティカルに読み換える、イタリアから届けられた現代社会論の重要作。 序論(PDF)→★ 第Ⅰ部 序論 第一章 プロローグ 若きマックス・ウェーバー、ドイツ人移民たちの逃走の権利、ポーランド人たちの胃 極めて珍しい鳥たち 自由の魔力 敵の社会 異なってつくられた胃 第二章 はじまりはさらし絞首台だった――移民、労働の移動
2015年 9月 25日 コメントは受け付けていません。 かつて、世界各地のエキゾチックな事物を記録し、比較・分析する学問としてあった文化・社会人類学は、一九八〇年代以降、ポストモダニズム/ポストコロニアリズムの流れにもまれるなかで、著しい変貌を遂げてきました。けれども、そこから立ち現れてきた人類学の現代的相貌は、これまで一部の専門家以外にはほとんど知られてきませんでした。 本叢書は、そうした変化を主導してきた人類学者たちを紹介することで、これまでの国内の知的空白を埋め、思想哲学の世界にも新たなビジョンを指し示そうとする野心的な企画です。 第一回配本(10月下旬予定)は、世界の人類学を引っ張っているマリリン・ストラザーンとエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロの代表作です。いずれも本邦初訳です。ご期待ください。 * 〈推薦の言葉〉 中沢新一(人類学者) 思想や哲学やアートや実践の現場で
哲学は概念を扱う。そして概念は常に、何らかの問題に対応するために創造される。たとえば、今もなお「国民主権」という表現によって我々になじみ深い「主権」なる概念も、近代初期、ヨーロッパ社会に突きつけられた問題に対応する形で創造されたものである。哲学は漫然と存在しているわけではない。それは常に、問題に対応するという仕方で存在する。 これまで数多くの哲学者たちが、問題に直面しつつ、それに対応するべく概念を創造してきた。たとえば一七世紀の哲学者デカルトは、それまでは疑われることのなかった社会秩序が崩壊し、人間たちが懐疑の泥沼の中で溺れかけていた時点で、「我思う、故に我在り」という命題で知られるコギトの概念を提示し、確実であるとはどういうことかを示してみせた。デカルトは、「確実性」とか「私」とか「神」にボンヤリと思い至ったのではない。彼はある問題を突きつけられ、それらについて考えざるを得なくなったので
文学(文芸)と映画の関係は実に面白い。 両者は全く別々のものに違いないが、映像表現は歴史が浅い分、文芸の力を借りる事が多かったと云ってもいいだろう。 秀れた文芸作品を映画作家が映画化に挑戦するのも刺激的だし、読者が様々なイメージを持った登場人物を俳優の誰がどのように演ずるか、興味がつきないものがある。 いずれにせよ原作に劣らぬ映画が誕生することを期待して来た。“読んでから見るか”、“見てから読むか”でなく、“読んだら見たくなった”、“見たら読みたくなった”と云いたくなった。 映画も文学も巾が広い。「○○映画を観る会」とする必要は無いと知りつつ、こだわりの自主上映会です。会員制ですが、随時入会を受け付けています。入会金、年会費はいりません。 2005年5月4日・ 5日開催 第1回 文芸映画を観る会 生誕80年・没後35年記念展「三島由紀夫ドラマティックヒストリー」記念 炎 上
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く