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哲学に関するitoppi802のブックマーク (80)

  • 公開原稿たち : hirokiazuma.com

  • まなざしの快楽

    コロナ対応のさまざま 世界的にはほぼ西洋人タイプか中国人タイプになる。なんで唯一日人だけが変わってるのか。 <西洋タイプ> 憲法の非常事態に基づいた行動制限法、違反したら逮捕。要請したって守るわけない。法律を制限しても暴動起こして反発する <中国タイプ> 要請なんて絶対無視。法律でも守るか怪しい。だから共産主義権力で、厳しく逮捕、拘束、罰金、資格剥奪。法律に則っているかも怪しい圧力。 <韓国> 一番日に近くで世間圧が働く。でもあそこも国家権力が強くて法律はしっかり作って守らないものは行動をネットで公開されるとか見せしめやってたね <日> なんか緩いコロナ関連の法律作ったけど使ってないだろう。国家圧力も別にない。なのに世界で一番コロナ対策を行われた。同調圧力と言われる。同調圧力だけで国を左右する国 社会系倫理と世間系倫理 日には、社会系倫理と世間系倫理があると言うこと。社会系はようす

    まなざしの快楽
  • http://www.c.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

  • メタ - Wikipedia

    メタ(meta-、 古希: μετὰ-) とは、以下の意味を持つ接頭辞である: 一般的な意味 「あとに」という意味の古代ギリシャ語の接頭辞[1]。 転じて「超越した」、「高次の」という意味の接頭辞で[2]、ある学問や視点の外側にたって見る事を意味する[1]。 「変化」を意味する接頭辞。例えば metamorphose(変化)、metabolism(代謝)などで用いられる[3]。 化学における意味 ベンゼン環の2置換体の構造異性体のうち、2つの置換基が炭素原子1つをはさんでいるものにつける接頭辞[2]。 同じ酸化物を水和して得られるオキソ酸の中で、水和度の低いものにつける接頭辞[2]。 「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例[編集] 「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており[1]、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲

    メタ - Wikipedia
  • メタ認知 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "メタ認知" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年7月) メタ認知(メタにんち、英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法や認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。 メタ認知の知識的側面[編集] メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」

  • 美学 - Wikipedia

    美学(びがく、英: aesthetics、またæsthetics、esthetics、エスセティクス、エステティクス、希: Αισθητική)は、美の原理などを研究する学問であり、18世紀に成立したとされる哲学の一分野である。美の質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する。美的対象、美的判断、美的態度、美的経験、美的価値などが問題とされてきた[1]。 日においては、森鷗外により「審美学」という訳語が与えられた[2][注 1]が、現在では美学と呼称される。美学の来の意味は「学問」を表しているが、転じて単に美意識、美的感覚を表すこともある。また、日語の「美学」は、来の意味から転じ、優れた信念を持つ様を表す場合もある。 概要[編集] 伝統的に美学は「美とは何か」という美の質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「

    美学 - Wikipedia
  • 純粋理性批判 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "純粋理性批判" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年10月) 『純粋理性批判』(じゅんすいりせいひはん、独: Kritik der reinen Vernunft) は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの主著である。1781年に第一版が、1787年には大幅に手を加えられた第二版が出版された(一般に前者をA版、後者をB版と称する)。カントの三大批判の一つで、1788年刊の『実践理性批判』(第二批判)、1790年刊の『判断力批判』(第三批判)に対して、第一批判とも呼ばれる。人間理性の抱える諸問題についての古典的名著であり、

    純粋理性批判 - Wikipedia
  • イマヌエル・カント - Wikipedia

    事実上、以降の西洋哲学全体に影響がある。とりわけ、カント主義、新カント派、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリング、フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ、ヤーコプ・ジギスムント・ベック、クリスチャン・ヤーコプ・クラウス、ザーロモン・マイモン、カール・レオンハルト・ラインホルト、フリードリヒ・シュレーゲル、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、アルトゥル・ショーペンハウアー、フリードリヒ・ニーチェ、チャールズ・サンダース・パース、エトムント・フッサール、マルティン・ハイデッガー、エルンスト・カッシーラー、ユルゲン・ハーバーマス、ジョン・ロールズ、ノーム・チョムスキー、ジャン・ピアジェ、セーレン・キェルケゴール、テオドール・アドルノ、ダフィット・ヒルベルト、ミシェル・フーコー、マックス・ヴェーバー、ピーター・フレデリック・ストロー

    イマヌエル・カント - Wikipedia
  • 演繹 - Wikipedia

    演繹(えんえき、英: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法である。 帰納に於ける前提と結論の導出関係が「蓋然的」に正しいとされるのみであるのに対し、演繹の導出関係は、その前提を認めるなら、「絶対的」「必然的」に正しい。したがって理論上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられたりした場合には、誤った結論が導き出されることになる。近代では、演繹法とは記号論理学によって記述できる論法の事を指す。 具体例[編集] 例えば、物体が落下するとき、重いものほど速く落ちるというのがかつての常識であった。これに対してガリレオ・ガリレイは、詳しい実験から物体の落下時間が質量に比例するものではないことを示した。これは帰納的な判断である。また、ここから彼は物体の落下速度は質量にかかわらず一定だろうと判断した。これはアブダクション(仮説形成)である

  • バールーフ・デ・スピノザ - Wikipedia

    バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]、1632年11月24日 - 1677年2月21日[1])は、オランダの哲学者である。ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られる。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。 スピノザの汎神論は新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。生前のスピノザ自身も、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。 スピノザの肖像は1970年代に流通していた

    バールーフ・デ・スピノザ - Wikipedia
  • フリードリヒ・シェリング - Wikipedia

    G.W.F.ヘーゲル、サミュエル・テイラー・コールリッジ、Georg Anton Friedrich Ast、セーレン・キェルケゴール、カール・グスタフ・ユング、マルティン・ハイデッガー、パウル・ティリッヒ、チャールズ・サンダース・パース、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、Emil Fackenheim、スラヴォイ・ジジェク、Charles Secrétan、Isaac Bernays、Karl Christian Friedrich Krause、フェリックス・ラヴェッソン、Victor Cousin、イアン・ハミルトン・グラント、Alexandru Hâjdeu、ジル・ドゥルーズ、クリスティアン・ゴットフリート・ダニエル・ネース・フォン・エーゼンベック、カール・グスタフ・カルス、カール・ヴィルヘルム・フェルディナント・ゾルガー、マルクス・ガブリエルなど フリードリヒ・ヴィルヘルム

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  • ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ - Wikipedia

    絶対的意識、「テーゼ(定立) - アンチテーゼ(反定立) - ジンテーゼ(総合)」、非自己、努力、相互承認、知識学、衝撃、事行、促し、知的直観、行為 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte ドイツ語: [ˈjoːhan ˈɡɔtliːp ˈfɪçtə]、1762年5月19日 - 1814年1月27日)は、ドイツの哲学者。先行のイマヌエル・カントの哲学に大きく影響を受け、のちのG.W.F.ヘーゲルやフリードリヒ・シェリングらに影響を与えたドイツ観念論の哲学者である。息子のイマヌエル・フィヒテ(通称:小フィヒテ)も哲学者。ナポレオン占領下のベルリンでの講演「ドイツ国民に告ぐ」で広く知られる[1]。 生涯[編集] ドレスデン近郊の寒村ランメナウ(ドイツ語版、英語版)の農家の息子として生まれた。貧困のため修学できず、近くの教会で行われた説教や親族に聞かされたゲ

    ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ - Wikipedia
  • ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル - Wikipedia

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日[1])は、ドイツの哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。 シュトゥットガルトのヘーゲルハウスにあるポートレイト 概要[編集] 1770年8月27日、神聖ローマ帝国の領邦国家ヴュルテンベルク公国の首都シュトゥットガルトでプロテスタント家庭の官吏の息子に生まれる。13歳で教育熱心な母を亡くしたものの、勉学への熱意を高めていった。1788年、チュービンゲン大学に入学。寮生活をしながら神学や哲学を学び、ヘルダーリン、シェリングと親密な交友関

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル - Wikipedia
  • 現象学 - Wikipedia

    現象学(げんしょうがく、独: Phänomenologie〈フェノメノロギー〉)は、哲学的学問およびそれに付随する方法論を意味する。 哲学 概要[編集] 「現象学」という用語は、哲学史上、18世紀のドイツの哲学者ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトの著書『新オルガノン』に遡ることができるとされる。「現象学」が指し示す概念は、哲学者によって大きく異なる。また、エトムント・フッサールのように、1人の哲学者においても、その活動時期によって、概念が変遷している例もある。下記に代表的な3つの「現象学」の概要を記す。 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) が1807年に出版した著作『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes) の中で、「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引きとして示される。弁証法的現象学と呼ばれ

    現象学 - Wikipedia
  • 鷲田清一 - Wikipedia

    サントリー学芸賞(1989年) 桑原武夫学芸賞(2000年) 読売文学賞(2011年) 紫綬褒章(2004年) 京都市文化功労者(2019年) 京都府文化賞特別功労賞(2022年) 鷲田 清一(わしだ きよかず、1949年9月2日 - )は、日の哲学者(臨床哲学・倫理学)[2]。評論家、大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長[3]、サントリー文化財団副理事長[4]、京都コンサートホール館長。関西大学文学部教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長などを歴任した[3]。 京都大学文学部哲学科を卒業し、京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。フッサールや、メルロ=ポンティといった現象学、身体論の視点から、他者、所有、規範、制度などの諸問題を論じる。 ファッションと自己の相関を考察した『モードの迷宮』(1987年)、『顔の現象学』(1998年)などに

  • 論理実証主義 - Wikipedia

    論理実証主義(ろんりじっしょうしゅぎ、英: logical positivism)とは、20世紀前半の哲学史の中で、特に科学哲学、言語哲学において重要な役割を果たした思想ないし運動。論理経験主義(英: logical empiricism)、科学経験主義ともいう。 概要[編集] 経験主義―数学的構成物と論理・言語学的な構成物とを融合させた知識を伴う種類の合理主義には実験に基づいた証拠が必要だとする考えと、認識論の成果を結合したものである。論理実証主義は分析哲学の一種だと考えられるかもしれない[1]。 論理実証主義は、一般的な意味では、20世紀初期にウィーンのCafé Centralに集まり、最初ウィーン学団として知られた集団の討論から始まった。第一次世界大戦後、初期の集団の一人のハンス・ハーンがモーリッツ・シュリックのウィーン来訪を手助けした。シュリックのウィーン学団は、ハンス・ライヘンバ

  • 中島義道 - Wikipedia

    中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、日の哲学者、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 経歴[編集] 1946年、福岡県門司市生まれ[1]。1965年、神奈川県立川崎高等学校を卒業。東京大学文科I類に入学した。1971年、東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業。その後は同大学大学院人文科学研究科に進んだ。1973年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を退学。東京大学法学部に移って1976年に卒業した。1977年、 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を修了し、文学修士号を取得。その後、オーストリアに渡り、1983年にウィーン大学基礎総合学部哲学科を修了し、ウィーン大学に学位論文『カントの時間構成の理論』を提出して哲学博士号を取得。 翌1984年、東京大学教養学部助手に採用。1987年、帝

  • 佐伯啓思 - Wikipedia

    佐伯 啓思(さえき けいし、1949年〈昭和24年〉12月31日 - )は、日経済学者[1][2]、思想家。 京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授[3]。滋賀大学教授・京都大学教授等を歴任。 共生文明学、現代文明論、現代社会論といった国際文明学、文明論を研究している[4][5]。第4期文部科学省中央教育審議会委員を務めた[6]。 著書に『隠された思考』(1985年)、『現代日のリベラリズム』(1996年)など。 来歴[編集] 奈良県奈良市に生まれる。父は教育学者の佐伯正一。1972年(昭和47年)、東京大学経済学部を卒業。1979年(昭和54年)、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学。西部邁と村上泰亮に師事した[注釈 1]。専攻は社会経済学、社会思想史。 1979年(昭和54年)、広島修道大学商学部講師。1981年(昭和56年)、滋賀大学

  • 大澤真幸 - Wikipedia

    大澤 真幸(おおさわ まさち、1958年10月15日[1] - )は、日の社会学者。元京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専攻は、数理社会学・理論社会学。学位は、社会学博士(東京大学)。 現代社会の諸現象を高度なロジックで多角的に検証する。著書に『身体の比較社会学』(1990年)、『ナショナリズムの由来』(2007年)、『自由という牢獄』(2015年)、『可能なる革命』(2016年)などがある。 人物・略歴[編集] 長野県松市生まれ[1]。信州大学教育学部附属松小学校、信州大学教育学部附属松中学校、長野県松深志高等学校[2]、東京大学文学部社会学科卒業。1987年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学[1][3]。同年4月、東京大学文学部助手( - 1990年)[1]。 1990年「行為の代数学」[4][5]で社会学博士(東京大学)。その後、千葉大学文学部講師・助

  • 東浩紀 - Wikipedia

    東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 -)は、日の批評家、哲学者、作家[注釈 3]。株式会社ゲンロン創業者[2]。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。学位は博士(学術)(東京大学・1999年)。 在学中の1993年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授などを経て、2015年より批評誌『ゲンロン』を主宰。著書に『存在論的、郵便的』(1998年)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『一般意志2.0』(2011年)、『観光客の哲学』(2017年)、『訂正可能性の哲学』(2023年)など。 人物[編集] 大学院では小林康夫に学ぶ[3]。人は「現代思想好きのオタク」を自認する[4]。 2013年に早稲田大学教授を辞して以降、活動の主軸を自身が創業した株式会社ゲンロンに置き、書籍出版、イベント事業、スクール事業および放送プラットフォーム「シラス」の運営等様