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finalventに関するitottoのブックマーク (107)

  • フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せ: 極東ブログ

    先日NHKラジオ深夜便でフランスからの話を聞いていて、へえと思った。フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せだというのだ。年を取るとあまり幸せなことってないなと自分は思っていたので、意外でもあった。 話は個人的な感想といったものではなく、国立統計経済研究所の発表によるものらしい。同研究所はINSEEというので、ネットでオリジナル情報を探してみたが、サイトはわかったが該当情報はわからなかった。インターネットはフランス語の情報になるとてきめん不便になるような気がするが私がフランス語ができないせいものあるだろう。 統計は、1975年から長期にわたっての分析とのことで、特定の世代や景気の要素は排除されているらしい。つまり、フランス人にしてみると、概ね、65歳を過ぎると人生最高の幸せの時期となるとのことだ。いや、単純になぜなんだろ、うらやましいな、なにか秘訣でもあるのかとしばし思いを巡らした。

  • 読売社説 内定取り消し 就職戦線を襲う景気の激変 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記

    企業の社会的責任としても安易な対応は慎むべきだ。内定を取り消した学生には、補償したり就職先を紹介したりするなど、最大限の誠意を示すべきだろう。 まあ、最大限の誠意は現実的にはそれほど影響はないだろうと思う。 よくわからないのだが、私の時代とまた大学生というのの意味は変わっているのだろう。今の学生さんはたぶん親が団塊世代なんで、むしろ穏当なサラリーマン世界の前提があるのではないか。 まあ、一般論は言えるけど、基的に、日人は職というより、各人の知識水準でテクノクラートとして自立していくしかなくなるし、それは現実的にはまず個々人に問われるのだから、一般論の問題と考えるより、個人のサバイブの問題として考えたほうがいい。ただ、そうなると孤立するし、そこを避けたいために社会問題を生み出すというサイクルはあるのだろう。そうならない小さなネットの連携のほうが有益なんだろうなとは思う。

    読売社説 内定取り消し 就職戦線を襲う景気の激変 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記
  • まちょっと、本のこととか - finalventの日記

    ネタ元⇒ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場 儀礼上ネタのほうはアフィらないことにしときます。 1 人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ 分裂君がA.H.マズロー好きなのはわかるので、まあ、かな。たしか、松永さんも好きだったかな。私は、正直に言うと、マズローは偽科学だと思っているのでなんとも。ただ、それをいうならユングやフロイトもそうだけど。じゃ、どっちもどっちかというと、以下略な感じ。 2 道徳の系譜 (岩波文庫) これは普通に読まなくていいんじゃないかな。日の伝統とは違うし。 3 ツァラトゥストラ (中公文庫) 私もこのヴァージョン持ってます。が、あまりお勧めしない。西尾幹二もそうだけど、みなさん、ツァラトゥストラを警句的に読み過ぎ。物語の構造がわからないと全体で何を言っているのか

    まちょっと、本のこととか - finalventの日記
  • 若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記

    講談社文庫のツァラトゥストラはハイデガーの註をつけていた。あれがよかった面と悪かった面があるかもしれない。というか、結局ハイデガーを読んでいたようでもあるし。 あのころ、西尾幹二が文壇?というかニーチェ学者として出てきたのだが、私のような高校生レベルで、こ、これはニーチェが読めてねーとか思ったものだった。ツァラトゥストラは四部あり、三部で大きな転調のようなものがある。永劫回帰の問題でもあるし、<正午>の問題でもある。だが、西尾はせいぜい一部で留まっていた。この人には西洋の思想というに取り組む胆力とういのがないのではないかと若造ながらに思った。というか、ハイデガーですらというかハイデガーだからかということもかもしれないが、彼の持つテキストを読み解こうとする妄念のようなあるいは自己規律のようなものが、西尾には感じられなかった。その後の西尾については率直にいってほとんど関心ない。吉が意外に西尾

    若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記
  • ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記

    増田⇒文章が書けなくなりました 記事を書いていても楽しくない。 書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。 ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。 そういうのもあるかも。 孤独ということかな、つまりは。 ブログとかはけっこう党派性みたいなものが出てくるものだなと思うのは、書くほどに孤独になってくるから、なんとか同じネタで、そしてそれが正義ならなおよし的に、群れざるをえなくなるからだと思う。 人が当に書いたら、当に孤独になるし、当に孤独にさせられる。単純に考えても、個人と個人は思想において対立するものだもの。 趣味とか正義とかそうした共同性において孤独から逃れようとしたらその時点で、ブログは地獄に堕ちていると思う。 まあ、話がそれたな。 こじつけでいうと、ブログは、テーマをもたないことだよ。 自分であり続ける、病気の。

    ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記
  • 知人の自殺をきいて: 極東ブログ

    ごく私事といえば私事なのだがなんとなくブログに書いておきたくなった。知人が自殺した。一歳か二歳年上のかただった。パソコン通信時代からの知り合いだった。そのころの知り合いは、私が言わなくてもこのブログのことをは知っているものだが、彼についてははっきりとこのブログを書いていると告げた数少ない人だった。当初は私が珍妙な古代史観をもっていることに興味を引かれたらしくそんな交流をしていたものだった。 あのころの私は今のようにネット上での交友関係から引きこもるふうでもなく、よくオフ会なども出たものだった。でも不思議と奇妙な縁で彼と面識をもつ機会がなく、初めて会ったのはこの夏の終わりだった。そしてそれが最後になった。それから数日して彼は自殺したということになる。 彼とは喫茶店で二時間も尽きぬ話をした。その後の古代史観についても話した。古代史というのは、素人にはトンデモ説花盛りの幻想の領域だし、彼もそこを

  • 曇り - finalventの日記

    だいぶ冷える。 昨晩はよく寝付かれなかった。それで困るというものでもなかった。坐禅もせずなにもせずしばらく時を過ごした。 夢も覚えていない。 田母神俊雄前航空幕僚長にはそれほど関心はないが、定年という話を聞き、60歳というと老人の部類だろうが、私はああ、この人も戦争を知らない戦後の人なのだと思った。スチルの写真を見た。立派な雰囲気を漂わせているのだが、奇妙な甘さと浅薄さが漂っている。世間に汚れたことのない雰囲気もある。そしてこういうのはなんだが薄く女に甘い感じも漂っている。ようするに凡庸な成功者にありがちな空白感がある。そしてそれは戦後の人の特有なものではないか。あるいはこの時代の戦争を知らない世代特有の。 そう思って往時の栗栖弘臣の顔を思い出す。栗栖もどちらいえば美男子の部類ではあるし、凜とした雰囲気があるが、それ以前にこの人は仕事の人だという雰囲気があった。仕事で人に接するための笑顔が

    曇り - finalventの日記
  • 金融安定化法案否決はまあ驚いたといえば驚いた - finalventの日記

    朝ラジオを付けたらいきなりこれだものな。ブランクマンデー再来、はたまた、自分の人生で世界大恐慌っていうのを経験するのか、と。私はびんぼ人とはいえいやだからこそけっこうなカネが吹っ飛ぶかな。というより今後の世界経済および日の経済も心配だというか、まあ5年くらいは暗い時代が続くだろう。いやそれより自分の人生が心配だな苦笑。というあたりで、人生の斜陽を迎えてしんどいこっちゃ。 ざっとニュースを見ると、米下院がというより欧州側の不安ですでに下げているところでだめ押しになった感じはある。下げ幅でみると7%だったか。87年のブラックマンデー22.6%だったから、わあ実体経済がクラッシュとういうほどでもないし、まだ実体経済にはクッションがありそうかもだが、401kとかは終わったというか米国ベビーブーマーはきついな。雇用も悪化するだろう、というか、かなり。 東証も下げているようだし、しかたないとはいえ、

    金融安定化法案否決はまあ驚いたといえば驚いた - finalventの日記
  • 敗戦遠し - finalventの日記

    私は戦争が終わって12年後に生まれた。人としては子供のころ戦争なんて遠い昔のことだと思っていたが、今思い返すと、そして50歳まで生きて見ると、12年前なんてついこないだのことだと思うし、私ですらなんだかんだ敗戦の歴史感覚というのはちゃんとひきついた感じがする。まあ、時代ということだけだけど。 敗戦のとき、日人にはいろいろな思いがあったけど、概ね、負けちゃったなということだと思う。あれだけがんばっても何にもなかったな。もうあれは全然だめだ、と。負けたら文句言うなよ、みたいな。 大営みたいのを庶民はそれほど信じてなかったようだし、吉隆明は信じていたみたいなことをいうけど彼はそのころ思春期というかお子ちゃまだったわけで、3つ年上の山七平などは醒めていた(彼はちょっと醒めすぎだが)。でも、吉ですら、庶民のなかにいたから、戦後の嘘はわかったものだったし、敗戦の感触というのはよく理解されて

    敗戦遠し - finalventの日記
  • これVistaだとどうなんだろ - finalventの日記

    これ⇒『Firefox 3』のメタボを解消するツール : ライフハッカー[日版], 仕事も生活も上手くこなすライフハック情報満載のブログ・メディア メモリ管理がちょっと違うんだよね、Vista、っていうかスーパーフェッチ。 どうでもいいけど、スーパーフェッチって、誤解されやすい言葉。

    これVistaだとどうなんだろ - finalventの日記
    itotto
    itotto 2008/09/10
    すごいふぇちか...
  • 51歳になるころには(´;ω;`) - finalventの日記

    51歳になるころには 上場企業の部長ぐらいになって 盆暮れには贈答品とかフルーツとかたくさん届いて 「こういうことをされると困るよ、がはは」とか言って 嫁の実家に配ったり、 若い妾に分けたり メロンべたりしてたはずなのに inspired by 33歳になるころには(´;ω;`)

    51歳になるころには(´;ω;`) - finalventの日記
    itotto
    itotto 2008/09/09
    やっぱりメロンははずせない
  • 毎日社説 社説:パワハラ 悲劇を招かぬ職場環境に - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    「お前なんか仕事もできないのに」「バカかお前は」。上司の度重なる侮辱的発言でストレスが積もり、うつ病になって自殺に追い込まれた。 ネットなんかでもそんな空気を感じる今日この頃。

    毎日社説 社説:パワハラ 悲劇を招かぬ職場環境に - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記
  • 悲惨の量子的現象 - finalventの日記

    とか言って大した話ではないですよ。 暴走車とか見ていて、ああ、こいつら事故死の確率上げているな、この内、数名は数年以内に死ぬな自業自得、とか、なんとなく思う。そう思うことで、自分の怒りをなだめているというのもあるのかもしれないけど。 やりちん話とか増田で読んでいて、こいつらの幾人かは、HIVで見捨てられて死ぬんだろうな。そんとき、やりちんを後悔しても遅いよとか思う。そう思うことで以下略。 で。 こういう、やめろやバカ的状況っていうは、自滅の確率を上げるわけだけど、それって確率的事象であって、暴走やり通してのうのうと爺になったりやりちん通してのうのうと以下略というのが、その集合内ではマジョリティ。 こういうとき思うのですよね。 こういうオバカ自滅っていうのは量子的現象だなと。 一定の確率レベルがあがるというか、ある状況下で可視になって波動がコラプスして、おバカの末路が観察可能になる。 大気汚

    悲惨の量子的現象 - finalventの日記
  • はてな村のネット - finalventの日記

    はてな村でブロガーをやっている者です。 はてな村なんで、村民はWebデザイナーはWeb系のプログラマが中心なんですが、2割ぐらいは文系というか、非モテとか左翼っぽい方もいらっしゃります。 日々の話題はオタクの基的なことか、JavaScriptライブラリーとかCSSの使い方で 「今更こんなこと話題にする必要あるんだろうか?」 と思うような内容。さすがにそれだけでは申し訳ないような気がするので、 これからの時代に必要とされそうなネットの昔話的なことも書いています。(メインフレームのビジネスって土木と同じだよね、とか) で、そういうブロガーをやっていて気づいたのだけれど、割と多くの人は未だに 「新聞って何?」 という認識である、ということ。いや、それ以前に 「世間って何?」 という認識の村民が割といるという現実。ニートとかとかに限らず、30代でも多い。 世間話とか反語とか使えない。メールの常套

    はてな村のネット - finalventの日記
  • 極東ブログ: [書評]仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山本ケイイチ)

    仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山ケイイチ)」(参照)だが、最初書名を見たとき、「ああ、これは最近乱造されているネタかな」と思って敬遠していたのだが、なんとなく面白いのではないかなとも思ったので購入し、ざっと目次でもブラウズするつもりが、ぐいぐいと引かれてそのまま読み切った。面白かった。知らないことをこので知ったという部分はそれほどないが、読みながら、現代日やこれからの日社会がどういうふうに変化していくか、ある具体的なビジョンが得られたように思った。 ということは、書名「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」が当然暗示するような、「筋トレすれば仕事ができるようになる」だから「こうやって筋トレしなさい」ということがこのの面白さではなかった。その話が描かれていないわけではないし、筆者は、一流の筋トレのトレーナーとして多くの人にきちんと筋トレをやって欲しいと願っていることは

    itotto
    itotto 2008/07/07
    あとで読んでみよう
  • 増田的コミュ問題 - finalventの日記

    ⇒自分が馬鹿だった件 僕が理解力が低いのは、人の話が頭に入らないからではないかと思う。集中力を高めて、少しでも人の話を聞けるようになりたい。 集中して人の話を聞いたり、仕事をしたりするためにはどうすればいいのか。 私にはわかんないけど。 なんとなく関連して思うこと。 「人が話を聞いている」とかいうのは、実際にはその会話のコンテクストのメタフレームを理解したり演じたりしているだけ。 最近では言われなくなったけど、以前、「君、人の話聞いている?」とか聞かれることがあって、そう聞かれるにあたいするような態度しているのもあるけど、で、そう聞かれると、「はい、つまり、なんたらかんたら」とかパラフレーズすると、たいてい合っている。つまり、私はその人の話を聞いている。でも、それがかえってその人を不快にさせる。 理由は簡単で、長い説教というのは命令すべき意図を隠して命令しているのであって、その虚構が暴露さ

    増田的コミュ問題 - finalventの日記
    itotto
    itotto 2008/05/30
    速読する人とそうでない人の違いみたいな感じ?/すごく切なくなった
  • 中二病とかだけど - finalventの日記

    率直に言うと、僕は、自分を中二病だと思っているけど、それって自分的にはごく普通のことなんじゃないかなとも思っている。 うまく言えないけど、僕は社会にすんなり適合できる人ではないし、でもそれなりに適合もできる人だったし、というか、自分の内面と社会は分けている人なんで、内面の側はけっこうそのまま。ただ、この日記とかに書いていることが内面のすべてではなくて、けっこう違う側面もある。うまく言葉に出来ないし、虚構というわけでもないけど、ネットのfinalventさんは、他のインタフェースとそうきちんと相似形でもない。まあ、僕のことなんかどうでもいいけど。 ネットを見ていると若い人が多いせいか、能力をアップして成功したいという人が多いのだろうと思うし、そういう成功の時、というまでの時間への確信や焦りもあるのだろうと思う。 なので、ディスカレッジなことを言うのもなんだしすでに言ってしまったけど、実際には

    中二病とかだけど - finalventの日記
  • アメリカは反知性主義でもあるけど - finalventの日記

    きちんとした知性主義でもあるというか、インテリの層が厚い。医学や経済学なんかもきちんと信じられている。きちんというのはちょっと言い過ぎか。 あと、文学も生きている。 ちょっと言い過ぎその2だけど、米人のインテリはきちんと人生の悩みというのを正攻法で向き合っている。そしてそれが人類の良心というものへの意識にも繋がっている。 日人の社会的に成功した大人たちにはあまりそういう人生への向き合いや人類の良心といった意識は感じられない。日の場合、青年期には悩んだが今では克服したみたいなスタンスが一種様式化されている。 ちょっと言い過ぎその3は、そういう真摯な向き合いのなかで彼らは文学を活かしているけど、日人にとっては文学や思想というのが知的なお洒落というか、知性それ自体が他者との区別するシンボルになってしまうか、あるいは、奇妙な社会主義的な倒錯した理念につっこんで自滅してしまう。

    アメリカは反知性主義でもあるけど - finalventの日記
  • だよね的増田 - finalventの日記

    ⇒■ のろけではあるのだろうけど。 自慢するわけではさらさら無いけれど、学生の頃は勉強が出来るほうだった。 問題がわからない、ということが無く、努力をする事も無く、つまり壁にぶち当たることなく生きてきた。 だからこそ、彼と知り合って痛い程思い知ったのは、自分は「井の中の蛙」だったと言う事。 鈴木健二曰く、夫婦とは長い会話である。 梅田望夫曰く、一生分の会話をした。 などなど。 若いと恋愛のなかの会話は、恋愛のタメになるけど、実際の長い関係というのは、おセックス12時間ラリーというわけはなく、ふつうな延々たる会話。 はてななんかだと会話術的なものが好まれるけど。 会話というのは。 知識 感性 気配り っていうどうしようもないベタなもの。 知識はいわゆる現代思想だのみたいなあるいは学校のお勉強ではない。感性はいわゆる商業的な感性ではない。気配りはいわゆるビジネス的なものではない。 知識は、へぇ

    だよね的増田 - finalventの日記
  • 教養について: 極東ブログ

    教養」について、自分はあまり関心がない。いや、「教養」についての話題に自分がいつも頓珍漢な思いがする。ある意味、私にとって教養は非常に明確である。ちょっとメモがてらに書いてみたい。 まず、ヘンテコな結論から先に書く。これは誰か言っているのかどうか知らないが、どんな教養であれ、その基礎がなければなんの意味ないということ。教養の基礎とはなにか。人格か? 正義か? 美的センスか? 私はまるで違うと思う。私は単に独断なのか、私の教養の実は成果なのか、こう思う。教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。そして、その「人」というのは、すべての層の人を含む。 私は教育について、奇妙な理想を持っている。学力なんかどうでもいい。まず大道芸を一つ身につけろと。まったく異文化の町に一人放りださせたとき、誰かの気を引かせ、その人と快活な関係が持てるようにせよ。難しく言えば、「おまえはユニバーサルな人間であ