思想に関するitumadetabeteruのブックマーク (5)

  • 『ハーバード白熱教室』の裏側:ハーバードの一般教養の授業をサンデルの講義を例にして説明してみる - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    ハーバード大学におけるマイケル・サンデル(Michael Sandel)の授業が、『ハーバード白熱教室』としてNHKで放映され*1、かなりの人気を集めて話題になっているようだ。これはすべて再放送を待つまでもなく、ウェブ上で観ることができる(ただし英語だが)。*2 ちょうどいいので、これを使って、ハーバードの学部向け一般教養の授業の作りを説明してみようと思う。色々誤解もあるようであるし、あの映像だけでは分からないこともある。 私自身は、サンデルの授業を履修したことはないのだが、大学院生のときに、一般教養の授業のTAやHead TAをかなりやったので(といってもサンデルの授業ではもちろんなく、私の専門の科学史やSTS関係の授業である)、ハーバードの一般教養の授業の仕組みはかなり分かっているほうだと思う。とくに、日人のハーバードの学部生というのがほとんどいないわけであるし、私が説明するのもまっ

  • 「啓蒙とは何か」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100617/1276804067 カント「啓蒙とは何か」の読解。 この中で興味深かった論点は、「個人の啓蒙」と「民衆の啓蒙」の或る種相克的な関係。「啓蒙専制君主」の両義性。また、「公民的自由」と「啓蒙の成熟」との或る種矛盾した関係。「未成年状態」にある人民に「公民的自由」が与えられた場合、人民は「エリート」の操作の対象となってしまい、「啓蒙の成熟」は却って妨げられてしまう。「このような一種の寡頭制は、啓蒙専制君主の支配、あるいはもっと言えば公職者の管理となんら変わらない」。今風の言葉で言えば、悪しきエリートに所謂〈B層〉が操作されるポピュリズム*1の危険? カントの理路では、 (前略)啓蒙途上にあり、精神の自由を持たない民衆に、形式上の公民的自由を与えただけでは、啓蒙は完成しないばかりか、単に絶対王政という統治原則に、人民

    「啓蒙とは何か」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    itumadetabeteru
    itumadetabeteru 2010/07/05
    「人民が公民的自由を享受できるためには、まずは人民が十分に啓蒙されねばならない――少なくとも啓蒙専制君主と同程度には」   あと、下の方の「博識の市民」についての記事まとめ。
  • 「拈華微笑」のこと - 恐妻家の献立表blog

    「拈華微笑」の逸話とは、どなたもご存じの通り、次のようなものです。 「世尊、昔、霊山会上に在って花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり、惟だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」。 これは『無門関 (岩波文庫)』から引いたのですが、西村恵信氏による訳注には次のようにあります。 この話は中国の偽経である『大梵天王問仏決疑経』拈華品第二に見える。 中国の偽経というのは、インド原典がなく中国で創作された経ということです。 これを読んで私は仰天したのです。 不立文字、教外別伝と言って、経すなわち釈尊の説法の記録(とされるもの)に依拠しないことを標榜する禅宗が、仏教としての正統性を担保しているのは、この「拈華微笑」の逸話に他なりません。 それなのに、その起源神話を記した文献がこともあろうに偽経だったとは! もち

    「拈華微笑」のこと - 恐妻家の献立表blog
    itumadetabeteru
    itumadetabeteru 2009/02/25
    「「経」という語を厳密に受けとめれば、「般若経」も「華厳経」も「法華経」も「浄土三部経」も「大日経」も、すべて偽経です。」
  • アリストテレスの知慮 - 恐妻家の献立表blog

    こんなご時世だからこそ、腰を落ち着けてを読まなければ、と思って、学生時代に読んだアリストテレス『ニコマコス倫理学〈上〉 (岩波文庫)』を引っ張り出した。花粉のせいか目がしばしばする上に集中力減退が著しくなかなか読みすすめられないが、通勤電車の中で少しずつ読んでいる。確か2年生の夏休みのレポートの課題図書として買ったもので、一度は読んでいたはずだが、その後、ろくに読み返さずに今に至っている。ようやく上巻の終わりまできた。 アリストテレスの「徳」というものがどういうものだか無知な若者だった私にはよくわかっていなかったような気がする。実は、引っ越しの荷物を片付けていたら、当時のノートが出てきて、どうやら無知な若者はアリストテレス倫理学から「正義」と「愛」を倫理の原理としてピックアップしてそれらを相補的なものとして捉えていたようだ。無論、古代哲学担当教員がそう教えたのかもしれない。 しかし、あら

    アリストテレスの知慮 - 恐妻家の献立表blog
    itumadetabeteru
    itumadetabeteru 2009/02/25
    「何びとも「それ以外の仕方においてあることの不可能なことがら」や「何らか目的とするところ--つまり実践によって到達されうるごとき善--を持たないようなことがら」に関しては思量しないのである。」
  • 恐妻家の献立表blog

    今年こそ定期的にブログを書こうと思っていたのだが、正月早々北陸の震災で気勢をそがれたうえ、1月に94歳の誕生日を迎えた老母がその十日後に亡くなってしまい、もう気力が尽き果てた。 一年前にはこんなことを書いていた。 https://t-hirosaka.hatenablog.com/entry/2023/02/05/120601 この記事から一年もたたずに母を亡くすとは実は予想していなかった。 去年の夏からこの正月までは母は幸いにも小康状態を保ち、ときには冗談めいたことを口にして笑ったり、親戚の見舞いに喜んだりして過ごしていたのだった。この調子なら、ふだんの口癖のように100歳まで生きるのではないかと思っていた。 ところが、親戚も集まって誕生日を祝ってから一週間後、高熱を出し、その日は医師の往診で熱は下がってほっとしたものの、翌日に嘔吐、その次の日には顔に黄だんが出て、夜には息を引き取った。

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    itumadetabeteru
    itumadetabeteru 2009/02/25
    「何びとも「それ以外の仕方においてあることの不可能なことがら」や「何らか目的とするところ--つまり実践によって到達されうるごとき善--を持たないようなことがら」に関しては思量しないのである。」
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