宮古市は11日、市内全域で大津波警報を想定した避難訓練を行った。沿岸地区の4279世帯9629人に避難指示を発令し、避難所41カ所に市民1172人(前年比194人減)が避難した。2012年からこの日に訓練を実施しており、震災の記憶を風化させず、津波防災の体制充実を確認した。 午前6時開始。サイレンが鳴らされ、津波到達予想時刻は同6時半と伝えられた。消防団は市内81カ所の水門を閉鎖し、到達予想時刻の10分前に高台待避を完了。各地の避難所は担当の市職員が開設し、市民を受け入れた。 同市河南1丁目の河南中体育館では、自主防災組織が備蓄倉庫の物資を確認。ご飯やみそ汁の炊き出し、簡易トイレや避難スペースの設置を迅速に行い、避難所運営の段取りを確かめた。 河南1丁目自主防災会の伊藤秀一会長(52)は「婦人部の協力もあり想定よりうまくいった面もあるが、動線の改善点もある。平時も避難道の草刈りなどの活動を
大みそかの31日、盛岡市の老舗そば店では朝早くから「年越しそば」の準備に追われています。 盛岡市の老舗そば店です。31日午前5時から年越しそばを提供する準備を行ったこちらの店では、持ち帰り用などおよそ6000食のそばを用意しました。 産地にこだわったそばですが、燃料費などの物価高騰の影響で店内のメニューはことし100円ほど値上げしたといいます。 直利庵 松井裕子女将 「昔からの風習ですから、縁起物で、細く長く、ぜひ、若い方にも召し上がってほしいと思う」 店の営業は午後9時まで予約分以外の持ち帰り用の「生そば」は無くなり次第終了します。
中国が近く成立を目指している「反テロ対策法案」を巡り、オバマ米大統領が直接、中国の習近平国家主席に対して見直しを迫る騒ぎが起きている。 日本政府は中国の理不尽な規制に無頓着 問題の法案は、中国当局が中国に進出している外国企業のシステムにアクセスして監視できるメカニズムを組み込むことなどを義務付けるという内容で、米財界を中心に企業秘密を保全できなくなるとの懸念が広がっていた。 オバマ大統領自身が今月(3月)2日にロイター通信のインタビューに応じて明かしたところによると、中国に対する抗議は同大統領が自ら行うという異例のもので、習主席に「米国と商取引をしたければ、見直さなければならない問題だと明確に警告した」という。 中国政府の理不尽な規制からの保護が必要という点では、日本企業も米企業も立場は同じはず。ところが、日本政府は、本稿執筆段階(7日夜)までのところ、この問題に沈黙を守っている。政府・与
東日本大震災の被災地復興支援を目的として2012年に1年間限定で再結成した女性5人組バンド・プリンセス プリンセスが11日、活動収益金で宮城県仙台市にライブハウスを建立することを公式サイトで発表した。来年春頃のオープンを目指す。 震災から4年が経ったこの日、2012年の活動を通して集まった義援金の使い道について「何か“音楽”にまつわる形で良い支援を行いたい」「継続的に出来る支援を行いたい」とメンバー5人で話し合いを重ねたことを説明。来年春頃のオープンを目指して「仙台にライブハウスを建立」し、「ライブハウスが運営されている限り、ずっと終わることなく支援」すると発表した。 現在、東北には1000人以上を収容できるライブハウスがなく、「東北地方にアーティストが行けないということが起こっている」と指摘。東北で最も人口が多い仙台にライブハウスを建てたうえで、「その事業によって生まれた収益金の一部は、
「3・11映画祭」 被災者の“モヤモヤ”語り合うきっかけに
東日本大震災から4年となった11日、一関市真柴の一関中学校特設合唱部(部員50人)は、「届けわたしたちの歌 青空コンサート」を同校で開いた。全校生徒や保護者ら約250人を前に、震災を風化させない思いを込めて美しいハーモニーを響かせた。 部員が「自分たちにできる復興支援を」と発案し、1月下旬からこの日のために混声合唱曲3曲を練習してきた。中庭をステージ、校舎の廊下やベランダを観客席にし、昼休みに開催した。 時折雪が舞う中、部員が沿岸被災地に向かい、「3・11、あの日を忘れない、届け私たちの歌」と声をそろえ、「しあわせ運べるように」などを合唱。震災に負けない心や未来への希望を表現した歌詞に思いを託し、息の合った歌声を披露した。 及川麗奈部長(2年)は「私たちが被災地を忘れていない、被災者を応援したいという気持ちを込めて歌った。歌を通じて思いが伝わり、皆さんが幸せな気持ちになってくれれば」
東日本大震災から4年近くが経過し、避難生活が長期化する中で、仮設住宅等において、他者との交流の機会が乏しく孤立しがちな被災者も少なくなく、このような環境は、心の健康問題の誘因にもなり得るものです。 このため、見守り活動や心身の健康問題が顕在化した際の保健・医療のアプローチとともに、避難先での農作業の活動や料理教室の開催、ものづくりなど、被災者の方々が生きがいを持って前向きに暮らしていくことのできる仕組みを作ることが重要であり、復興庁において、このような取組を支援するため、本事業を実施することとしました。 本事業は、避難者の孤立防止の視点とともに、被災者の地域活性化等の活動等への参画をきっかけとして、自主的な健康づくりや地域の諸活動への積極的な参加につなげることにより、被災者の心身のケアを進めていくものです。 このため、仮設住宅入居者が参画しつつ、取組内容によっては、災害公営住宅へ移転した被
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン(以下、CFC)と三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社、被災地の子どもの教育に 実施し、結果を公表した。 CFCは、家庭の所得格差が子どもの教育機会の格差につながることを防ぐため、被災地と関西地区の経済的困難を抱える子どもに対して、塾や習い事など使用できるバウチャー(クーポン券)を発行し、教育サービスを受ける機会を提供する活動を全国で行っている。 今回、バウチャーへの応募者や公益財団法人東日本大震災復興支援財団の奨学金受給者を対象に調査を行い、中学生・高校生1,987人と小学生~高校生の保護者2,338人の回答を得た。 調査報告会では、分析を担当した三菱UFJリサーチ&コンサルティングの喜多下悠貴研究員から、震災前後で父親の就業割合が9.4ポイント減少していること、震災後に世帯収入が減少しており、特に、世帯収入250万円未満の低所得家庭が8.
東日本大震災から4年目の11日、大船渡警察署(内藤光樹署長)は大船渡、陸前高田両市で行方不明者の捜索活動を実施した。同署の署員や内陸部の警察官、地元ボランティアら約100人体制で行われ、「今も大切な人を待っている家族のために」と、住民の〝希望〟につながる手がかりの発見に尽力した。 この日は、同署のほか盛岡市の県警本部署員や機動隊、北上、江刺、水沢、一関、千厩の各警察署員ら約88人が出動。同市での活動には、市職員とボランティア組織のNPO法人パクトのメンバーら合わせて約20人も協力した。 開始式は同市高田町のタピック45で実施。出動申告が行われたあと、内藤署長が「発見を待っている家族の思いを真摯に受けとめ、捜索に全力をあげてもらえるようお願いします」と呼びかけた。 その後、大船渡市赤崎町内の盛川付近、陸前高田市気仙町の気仙川河口付近の各活動場所に移動。 このうち盛川の現場は、人の背丈
東日本大震災から4年を迎えた11日、気仙各地で追悼行事が行われた。419人が死亡または行方不明となっている大船渡市では、盛町のリアスホールで市主催の追悼式が行われ、市民ら約600人が参列。旅立っていった家族や友人たちへ、いまだ傷跡を残すとともに新たに姿を変えようともしている郷土の再生へと、それぞれの祈りをささげた。 同市では340人が津波の犠牲となり、79人の行方がいまなお不明のまま。被災世帯数は5534に上り、市内に設けられている1792戸の応急仮設住宅団地の入居率は7割におよぶ。 深い悲しみをもたらした大津波襲来から4年となった同日は、強い風が吹き時折雪も舞い、「あの日」を思い起こさせるような天候となった。 式は午後2時30分から大ホールで開かれ、来賓や遺族らが出席。ステージには「東日本大震災犠牲者之霊」の標柱を菊花で囲んだ祭壇が設けられ、その隣の大型スクリーンで政府追悼式の様子
死者・行方不明者が1万8千人を超えた東日本大震災の被災地は11日、4年を迎えた。あまりに大きい悲しみを背負った被災者は数々の困難を乗り越えてきたまちの歴史を支えに、一歩一歩を踏みしめている。復興を終えるその日まで、その姿を見守ろうと決意した支援者もいる。この日、時計の針が午後2時46分を告げると、最も静かな1分間が訪れた。被災地ではさまざまな人々が、心一つに鎮魂の黙黙祷(もくとう)をささげた。 ◇ 「釜石人は不撓(ふとう)不屈だからね。何度でも立ち上がるよ」 600人近い犠牲者を出した釜石市鵜住居(うのすまい)地区を訪れた70代の女性は、海に向かって手を合わせた。鉄とともに度重なる災害や戦禍を乗り越えてきた釜石。三陸の小さなまちに受け継がれた苦難の歴史は、復興を目指す人々に深く刻み込まれている。 「度重なる災害と人災に遭い、『何とかしてやろう』という気概が人々の心にある」 100年続く酒店
ねこのしあわせ、ひとのしあわせ NPO法人もりねこ×JAMMIN Tシャツなどコラボ商品 飼い主いない子を救済 2023-12-29 認定NPO法人もりねこはチャリティーブランド「JAMMIN」とコラボして、期間限定のチャリティーグッズを販売している。販売期間は1月7日まで。JAMMINのECサイトで購入可能。 全文を読む ヒゲおじさんと星条旗 米政治特集の「スペクテーター」(幻冬舎)掲載 盛岡市の劇画家 菅野修さんの4コマ 2023-12-28 盛岡市の劇画家、菅野修さんの作品が、幻冬舎発売の雑誌「スペクテーター」52号に掲載された。テーマは「文化戦争」。本紙連載「ヒゲおじさん」のキャラが、現代の米国政治を笑いのめす。「リベラルVS保守 アメリカ政治思想の現在をより理解するための読書案内」に添えられ、とぼけた味で世界の本質を突いている。 全文を読む 環境教育のGBEFコン入賞 大ザリガニ
釜石市は2015年度、企業誘致を進めるため新たに工業用地を造成する。秋ごろの造成完了を目指しており、市議会3月定例会に提案した15年度一般会計当初予算案に、関連予算の6億円を盛り込んだ。同市によると東日本大震災以降、市主導での誘致企業向け工業用地の造成は初めて。 造成地は同市岩井町の民有地2・7ヘクタール。市土地開発公社(理事長・若崎正光副市長)が事業を実施し、15年度に用地買収に着手する。市は、製造業の企業と交渉を進めており、誘致企業数は明らかにしていない。 市によると市内の誘致企業は14社で、うち13社が製造業。同市は三陸沿岸道路と東北横断自動車道釜石秋田線の結節点となり、釜石港の海運と連携した物流促進が予想される。
野球の日本代表は11日、東京ドームで欧州代表との強化試合の第2戦を行い、2-6で敗れ、対戦成績を1勝1敗として終えた。日本代表は先発の松葉(オリックス)が二回に2本の適時二塁打で2点の先行を許すと、三回にも3点本塁打を浴びた。八回には4番手の松井裕(楽天)が1点を失った。打線は好機をつくりながらもつながらず、六回に山田(ヤクルト)のソロ本塁打などで2点を返すのが精いっぱいだった。 楽天の銀次(盛岡中央高)が「6番・三塁」で先発出場し、第1打席で安打を放った。投手の足元へ打ち返した打球がグラブをはじき、遊撃への内野安打となった。 普代村出身で、この日で発生から4年を迎えた東日本大震災は「一生忘れてはいけないこと」と言う。 被災地仙台を本拠とする楽天の一員としても大切な節目の日に、元気な姿をアピールした。 【写真=2回日本2死、銀次が遊撃内野安打を放つ=東京ドーム】
11日の県内は強い冬型の気圧配置の影響で内陸を中心に雪が降った。風も強まり、雫石町では建設会社社員福士克範さん(62)=盛岡市西青山=が突風で倒れたプレハブ小屋の下敷きになり死亡した。高速道の通行止めは長時間にわたり、新幹線を含むJR線や空の便のダイヤが大きく乱れた。 同日午後3時までの各地の24時間降雪量は雫石49センチ、盛岡26センチなど。雫石で午後3時19分に最大瞬間風速21・3メートル、好摩で同1時50分に同23・8メートルを記録するなど、内陸中心に強風となった。 釜石市では同日夜、強風で電線が切れた影響で最大258戸が一時停電した。 雪の影響で水沢インターチェンジ(IC)以北の東北道などが11日未明に通行止めになった。JR線は強風や雪のため秋田新幹線と花輪、山田、東北、釜石、田沢湖、北上、八戸線の上下計44本が運休し乗客約1万3030人に影響。花巻空港発着の計16便にも欠航や遅れ
東日本大震災から4年を迎えた11日、陸前高田市高田町の本称寺(ほんしょうじ)(佐々木隆道(たかみち)住職)は仮本堂で犠牲者の法要を行い、遺族らが大切な人を悼み「勿忘(わすれな)の鐘」を打ち鳴らした。寺は津波で全壊。100人を超す檀家(だんか)が命を落としたが、用地取得にようやくめどが立ち、今年から再建が形になる。来夏までの完成を目指しており、佐々木住職(51)や檀家らは人と人、心と心をつなぐ本堂が再生する日に思いをはせ前を向く。 4年前と同じ雪模様だったが、昼ごろからは青空がのぞいた。檀家ら約60人がプレハブの仮本堂に集い、地震発生の午後2時46分に黙とう。がれきの中から発見された勿忘の鐘を、佐々木住職と長男証道(しょうどう)さん(19)=富山大1年=や多くの遺族がひと突き、ひと突き、大切な人を思い、音を響かせた。 約440年の歴史がある寺は、洪水や火災による損壊から再建を繰り返してきたが
本県で死者5122人(震災関連死450人を含む)、行方不明者1129人の犠牲を出した東日本大震災から4年を迎えた11日、野田村で県と村の合同追悼式が行われるなど各地で追悼行事が営まれた。県内は甚大な被害と復興の日々を振り返り、静かな祈りに包まれた。参列者らは尊い命が奪われた悲しみや無念さをあらためて思い、犠牲者から託された未来への思いを胸に、復興の歩みを進めていくことを誓った。 合同追悼式は野田村野田の村体育館で行われ、遺族ら約550人が参列。犠牲になった村民28人の名前が読み上げられ、震災が発生した午後2時46分に合わせ参列者が黙とうをささげた。 同村では造成工事が完了した高台団地や、大きな津波被害を受けた村中心部での住宅再建が今後本格化する。一方、被災者が落ち着いた生活を取り戻すには、まだ時間がかかる。 遺族代表の建設業広内実(ひろないみのる)さん(41)=同村野田の仮設住宅=は「震災
経済同友会(長谷川閑史(やすちか)代表幹事)は11日、盛岡市愛宕下の盛岡グランドホテルで東日本大震災追悼シンポジウムを開いた。今回で4回目、本県では初めての開催で、全国の会員ら約260人が犠牲者の冥福を祈り、基調セッションや分科会討議などを通じて、被災地の課題解決策を探った。同会は被災地の高校生らの学びを支える活動などに取り組んでおり、経済界の英知を結集して、引き続き被災地の復興を強力に支援していく。 復興庁の岡本全勝(まさかつ)統括官が被災地の復興の現状と課題について、損壊した企業の施設や設備の復旧はグループ補助金を利用して進んだが、水産・食品加工業などで売り上げが回復していない状況を説明。「被災地の中小企業は経営知識やノウハウなどが不足しており、人材や担い手の不足感も強い」と述べた。 仙台経済同友会の大山健太郎代表幹事(アイリスオーヤマ社長)は「最大の課題は被災地の人口流出。グループ補
はじめに、いまだご遺体が見つからない方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々にお悔やみ申し上げます。 あれから4年がたちます。毎日の生活の中で、ふとした時に、父との温かい思い出に優しく包まれます。そして、その少し後に、あの大きな津波の光景と冷たい泥や無数のがれき、父の遺体と対面した記憶がよみがえり、悔しさで胸が苦しくなります。 そんなときは、父が「俺のことよりも他の人を」と言っている気がします。津波にのまれる時に、父が最後にそう伝えていたのかもしれません。私よりも、もっとつらい体験をされた多くの方々を思い自分の気持ちをこらえます。 数百年数千年に一度と言われる震災を経験した私たちは、時の経過とともに前へ進みます。形あるものは、いずれ復興を遂げ後世に残るでしょう。 時々、時間とは反対に進む気持ちがあります。記憶が少しずつ薄れてゆくのではないかという恐怖と、胸に閉じ込めた記憶を忘れてはいけない
東日本大震災で犠牲になり、身元が分からない遺骨を供養する法要が11日、釜石市の仙寿院であった。市によると、この1年間で身元が判明した遺骨はなく、遺族の元に帰れない計11柱に祈りをささげた。 法要は2012年3月、遺体搬送などに携わった市職員有志が始めた。毎年3月と8月に行い、今回は市民にも呼び掛け計約100人が参列した。読経が響く中、祭壇に安置された遺骨8柱、部分遺骨3柱に焼香し、手を合わせた。 市内の震災死亡者は888人、行方不明者は152人(1月現在)。身元不明の遺骨は一時、171柱、部分遺骨7柱に上った。 遺骨を安置する仙寿院の芝崎恵應住職は「供養によって身元が分からない魂も、きっと喜んでいる。苦しみを味わった犠牲者を、これ以上苦しめないためには、残された者が前向きに生きるしかない」と話した。 2015年03月12日木曜日
キャンドルを並べた「3.11夢あかり」。巨大ベルトコンベヤーも照明で浮かび上がった=11日午後6時10分ごろ、陸前高田市 陸前高田市の旧「道の駅タピック」で11日、震災犠牲者を悼む「3.11夢あかり」があった。発光ダイオード(LED)キャンドル2000個がともされ、5000羽の折り鶴とともに犠牲者を追悼した。 市民有志の「ふるさと復興応援隊」が主催し、昨年に続き2回目。周囲では高台造成の土砂を運ぶベルトコンベヤーの照明が光り、真っ暗だった昨年に比べ復興を感じさせた。 応援隊長の根本ミカさん(33)は「進み始めたハードの整備に気持ちが追い付かない人もいる。そんな人たちが一歩踏み出すきっかけにしたい」と話した。 家族や街への思いをつづった手紙を投函(とうかん)する「こころのポスト」も設置され、催しに協力した女性団体の会報に掲載される。 2015年03月12日木曜日
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