余白の発見 えー、マンガの歴史とか起源の話になると、たいてい何やら戯画とか江戸の何々本とかの解説から始まるわけで、それがコマで囲まれて、コマが順番に並べられて読んでいくって過程を経て、今のマンガの形式が成立したっていう大雑把な説明がある。でも従来のこの話には腑に落ちない点があって、それが、そもそもコマがあることを前提としているってことである。もはや疑問にすら思わないコマの存在。だけど、少女漫画を読むと、コマ枠なんだがはっきりしない線で区切られた、コマ構成と呼べるのかもはっきりしない表現を目の当たりにする。そもそもコマがあるってこと自体がマンガにとって表現を押し込めていなくもないと感じてしまう。コマがあって、その中にキャラクターが描かれ、フキダシがあって背景があって……コマの中に物語世界が全部詰まっているってのは本当だろうか。 伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」で提起された「フレームの不確