雑記, 物語論『オールラウンダー廻』を読んでます。面白いです。二巻だったか三巻だったかの作者後書きで「努力・友情・勝利の復権(ルネサンス)を目的として描いています」みたいなことが書いてあって、少年漫画だなあと思った。いちいち復権せにゃならんのは大変しんどい作業というか回りくどいんですけど「動機を喪失した状態からそれでも前に進む為にはどうしたらいいのだろうか?」というのは現代人がいつも考えちゃうことのひとつのようで、それについて色々な回答が物語のなかで示されているように思います。ついったーでもいつぞや呟きましたが、現代人――というか若い人って基本的に動機があんまりありません。ちょっと前のおじさんおばさん達のなんと動機の溢れること。それに比べるとぼくら若者は基本的に目が澱んでおり、やる気がありません。どうでもいいや、っていうのが基調低音ですよね。なぜこんなにやるきないの? というと色々個別問題
漫画, 物語論, 感想 まずぼくは、この物語がとても大好きです。読んでて幸福感がものすごくて、読んでいる最中「やべぇ、なんつー俺得漫画……!」とか思っていました。読んでる最中すげー幸せだった(笑)。この主人公の黒沼爽子という女の子がもうまじでかわいくてたまらんくて、超ツボなんですよね。それにくわえて、その主人公を外側から見ている人たちにもまた謎の感情移をして、ひさびさに良い物語体験ができた*1。それにしても、この『君に届け』が売れている理由はなんとなくわかる気がします。結論からいえば、ぼくは主人公の造形の妙だと思う。だってたぶん、少女漫画のなかでこういう主人公ってかなりめずらしいと思うんですよ。「いかにも少女漫画然とした少女漫画」のなかで、こういう主人公はあまり見た記憶がない。いや、まあ、いかにも『少女漫画然とした少女漫画』って何だよ? と聞かれるとかなり言葉に詰まるんですけど(笑)。ま
ラノベ, 雑記 文章が下手。 というところに全面的に目をつむって読むとけっこうおもしろいラノベ、という感じ。文章が下手なのは間違いない。断言する。絶対下手。読みにくくて仕方ない。ただし。それを差し引いても十分に独特さがあるのはたしかだ、とも思う。たとえばキャラクターの造形の仕方。抽象的な概念をベースにキャラクターが造られていて、当麻の「偽善使い」や、周囲にいる人間すべてを傷つけてしまうがゆえに「最強ではなく無敵を目指した」というアクセラレータのキャラなど、なかなかに個性があると思う。そしてまた、そのキャラクター同士のかみ合わせ方が奈須きのこばりに上手くて、「その人だから救うことができた」を描くのがとても上手い。「超電磁砲」こと御坂御琴と主人公の上条当麻の関係がまさにそうで、それはコミカライズの『とある科学の超電磁砲』を読むほどにそう感じる。御坂御琴では「どうしてもできなかった」ことを、上条
考察, 感想, 物語論, ノベルゲーム 傑作です。 一気にプレイし終えました。いくつか瑕疵があるけれども傑作だといって差し支えないと思います。テーマ的にもループものとしての構造的にも、ゼロ年代を締めくくる作品の一つであることに間違いありません。どんな話か、の紹介については敷居さんがよい記事を書いてくださってますので、そちらを見る方がよいでしょう。 リンク:『Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)』はガチ - 敷居の先住民 さて、ではスタート。ぼくの記事はネタバレしまくりなので、ご覧になるまえに十分注意してください。そしてまた勿体ないので、公式サイトと、この記事は、プレイしてから読むことをお奨めします(笑)。 内容としては『紫色のクオリア』とほぼまったく同系統の物語で、だけどテーマ的にはやや及ばなかった、という印象でしょうか。惜しい、と思います。とはいっても十分すぎるぐらい楽
雑記, age, エロゲ 序盤:よく分からないけどチートできるようになったおwwwこれで楽勝だおwww 中盤1:チートしてもこの世界は救えないお!(キリッ(←なんだかんだで上手くいっているから、所詮わかったつもり)。 中盤2:ま、まりもちゃんが……おっおっ。ほんとにチートしても救えないなんて、この世界はほんと酷いクソゲーだお……。もともといた世界だったら、こんなことは無かったお! この難易度はチートしてもクリアできないって分かったから、難易度なんて下げてしまうおっ! こんなクソゲーとはおさらばだお! 中盤3:難易度下げたら周囲の人にウイルス感染とかどんな仕様だお……。なにやっても迷惑しかかけられないとか、どうしようもないお……。もう死ぬしかないお……。 中盤4:えっ、あのクソゲーをクリアすれば、こっちのゲームのプレイヤー達のウイルスが消去される仕組みなんだお!? わ、わかったお、クリアす
感想, 漫画 某氏から「えっ、読んでないんですか? じゃあ読んでみてください」……と、言われた*1ので読んでみた(勉強不足だと言われたようなもんだから悔しかったらしい)。まずは、一巻のみ読了。 ……うぅーーーーーーーーーーん(笑)。 ぼくは動物をあつかった物語において、もっとも肝要なことは「動物という他者を描くこと」だとおもっています。いいかえると、動物が理解不可能で、意味不明な行動をおこなっている物語のほうが説得力を感じる、ということ。動物というものは自らがんばって理解しようとしないかぎり、理解できないものだとおもうのです。ま、動物に限ったことではありませんがね。 ぼくは猫好きで、実家では猫を飼っていますが、人間に理解できんような行動っていうのはままあるもんです。正確には、理解した気になっているけれども実際には違っている行動、というのがままある。たとえば猫じゃらしを追いかける猫。…………
漫画, 雑記, ネギま先日、こんな記事を書きました。風来のシレンはリスクマネジメントの教科書 - アセティック・シルバー この記事では『リスクを抱えてでもチャレンジしないとクリアできない局面がある』『かといってリスクを冒しすぎてはゲームオーバーになる』『だからリスク計算をしつつチャレンジする必要がある』という特徴が「風来のシレン」というゲームにある、と書きました。 この価値観を『リスクチャレンジ精神』とか名付けるとして*1、これって他の作品にも見られるものだよね、というのが今回の話。 具体例として引っぱり出すのは「週刊少年マガジン」で連載されている二作品。主人公の丸尾くんことエーちゃんがテニスプレイヤーとして成長していく『ベイビーステップ』と、萌え系でありつつも実はファンタジー成長物語な『魔法先生ネギま!』。この作品のどちらも『リスクチャレンジ精神』を描いているシーンが見られるのです。 『
エロゲ, age, 雑記basicchannel:エロゲライターを売上で比較してみた - livedoor Blog ううむ。 シナリオの評判や、売り上げを比較しても、このリストに載っているライターたちの作品と、アージュの作品(『君が望む永遠』『マブラヴオルタネイティヴ』)は遜色がないと思われます。実際に2chのベストエロゲーランキングにも上位にランクインしていますし(2ch葱板選出 ベストエロゲー 1999〜2007)ところが、こういう表でライターとしてアージュの名前が挙がらないのは、やはり「ライター」としてよりも「メーカー」として認知されているからなんでしょうね。ライターが重視される風のあるエロゲ界隈にしては、けっこう珍しい現象かもしれません。 ちなみにアージュの有名ライターと言えば筆頭が二人います。 ひとりは社長兼ライターで『君が望む永遠』『マブラヴオルタネイティヴ』のシナリオ原案・
感想, ネギまというわけで、205時間目の分。 ◆ネギがナギにならない(なれない)その理由。 この辺り、ネギの中で追っている「お父さん」という概念も変化してきてるんでしょうね。前は表面的な部分を追っていたのが、もう少し抽象的で本質的なものになってきてるというか。だから、光と闇で使う魔法の系統が違っても、それは表面的な差異で、未だお父さんの本質を追っているのには変わりがないと。(魔法先生ネギま!/マガジン感想/205時間目「父の道か師の道か!?」:ランゲージダイアリー - livedoor Blog(ブログ))ネギが抱いている「お父さん」はすこしずつ姿を変えてゆくけれど、やはり追いつづける=ネギの成長物語、ですよね。このネギが持っている「お父さん」の姿はネギが持っているイメージであって、現実のナギの姿ではないというところはとても重要なところじゃないかなあと。ネギが持っているナギの情報という
今週のネギま!について寸言。 感想, ネギま メモに近いですが。 小太郎の「必殺技が足りない」発言について。 以前の「バカっぽさが足りない」は考え方の欠点の指摘で、今回は純粋な戦闘能力から見た欠点の指摘。「強敵と戦うときの駆け引き材料を増やすべきだ」って読みかえてもいいかも。そういえば「ネギま!」は「手札の使い方」で勝ち負けが分かれる(ことがある)漫画ですよね、と。へルマン戦での必殺技は「雷の斧」。超戦はカシオペア。タカミチ戦では必殺技が云々というよりは、「手札の使い方」で勝った例かしら(盾+瞬動+魔法の射手)。 参考:リソースバトルとしての『魔人探偵脳噛ネウロ』(ピアノ・ファイア)*1 Permalink | コメント(0) | トラックバック(0) | 00:00 *1:いずみのさんの分け方にならうと『ネギま!』は「相性バトル」と「パワーバトル」がいい具合にミックスされてると思う。
物語論ある作品がリアルだなと思えるのは、その作品に有無を言わさない「説得力」があるからだ。人が作品にリアリティを感じるときに、その「リアル」が現実に起き得るか否かはあまり関係ない。その作品中で、その「リアル」が起き得ることを説得させれば良いのである。 『作品にリアリティを持たせるために上手に嘘とつき合う』最終防衛ライン2http://d.hatena.ne.jp/lastline/20080108/1199779886 この記事がとてもおもしろかった。はてブやはてスタがあまり付いていないのが不思議なくらい。もっと評価されてもいいのになあ。この記事は『物語論』とでもいうような物があるとしたら、基礎の基礎にあたるものだと思う。これを意識しない作り手はいないし、もしも意識してなかったとしても最低限知識として身につけるべきものの一つでしょう。 ところで、この記事のなかでは「フィクション」と「ノンフ
ブログで議論する難しさ。 雑記 ブログでの議論って、流れが細分化された末、よく結論がわからないまま終わってしまう。 いや、ブロガー各々が納得する結論がどこぞのブログで出たから沈静化するんだろうから結論はどこかにあるはず。あるはずなのだが、その結論がどこにあるか読んでる側からするとさっぱり。 『キチンとフィードバックされる仕組みはブログにはないんじゃないか。』 ブログを使って議論すること自体は不可能ではないとおもうけれど、「議論し結論を出す」ということはなかなか難しいように思えます。非モテがどーだら、嫌儲がどーだら、ネット上にはごろごろと議論が転がっている。その中をいくつか探せば、たしかに自分好みの、「結論」、は出てくるとは思う。けど、それって「結論」というよりかは「意見」の域を出ていないような気もする。 そもそも「結論」ってなんだ?ってことを考えてみましょう すると『各々の意見のぶつかりあ
雑記自分用のまとめとしてもクリップ。 「物語三昧」さん・『君が望む永遠』 BY アージュ この脚本そのままでフジテレビの月9になるよ!・『君が望む永遠』 BY アージュ 水月の脚本が一番しっくりくるなー②・『君が望む永遠』 BY アージュ 動物的快楽ボタンの連打〜マクロがあまりに消失していること③・アージュは何でそんなに嫌われるのか?・アージュは何でそんなに嫌われるのか?②・『マブラヴオルタネイティヴ』 毎日帰宅する楽しみ〜まだ終わってくれるな・・・いまこの時よ!・『マブラブオルタネイティヴ』 吉宗鋼紀監督 その1 アージュ素晴らしいよっ!・『マブラブオルタネイティヴ』 その2 日常と非日常の対比から生まれてくるキャラクターの本質・『マブラブオルタネイティヴ』 その3 自意識の告発〜レイヤーごとにすべての次元でヘタレを叩き潰す・アージュはやっぱり嫌われる。っていうか、嫌われて当たり前。 「
雑記, 物語論『Landreaall』(おがきちか)を最新刊の10巻まで読破。うーん、流石に面白い。解説は講師のペトロニウスさんトコにお任せ(笑)。それにしても、物語として優れているとこういう読み方ができるんですよね。ワンシーンを切り取っただけでは意味が分からないやり取りが、優れた物語にはある。登場人物の過去や背景を良く読み込んでいないと、まったく意味をなさないやり取りがあるんだよな。逆に言えば今はわからなくても、後になってみると分かるという事がある、ということ。一面的な、刹那的な読み方だと決して見ることができないシーンがいくつもあったりするんですよね。そういう優れた物語ほど「時間の流れ」――つまり「歴史」――を物語内に感じる。と同時に厳然と未来へとも流れているのであって、そういう意味じゃ正に別世界。優れた作家は、ホントに別世界を頭の中に作っちゃうんだよなー。すごいわ。 だから、「はじまり
物語論先日、マンガ☆ライフの水音さんらとメッセをしていて「ヤンデレってどうよ?」という話になった。 最近「未来日記」を初めとして「ヤンデレいいね!」的な空気感があると思うんだけど*1、よくも悪くも物語作家にとっては扱いづらいスパイスだなと思ったりします。ヤンデレを出してしまうと、物語の味が規定されてしまうんですよね。あまりにも強烈な味だから、どうやっても物語の中央に居座ってしまって、ヤンデレヒロインをめぐる物語になってしまいがち。それがメインヒロインの位置づけだと尚更そう。喩えるならヤンデレの物語ってのは『カレー味の料理』と一緒で、その味(ヤンデレ)が入るだけで「カレー味」になってしまう。あまりにも強烈なスパイスと一緒。 ただ当然、色々な味のカレーがあるわけで、ヤンデレをメインヒロインにした中で色々な味付けをすることは可能だと思う。トマトの入った酸味の効いたカレーにもなりえるし、ひき肉の入
age, エロゲ, 考察マブラヴオルタネイティブは、非人類との殲滅戦である。 「どこまでが人間で、どの線を踏み越えていれば人間じゃないのか?」人間じゃないものが目の前に現れたとき、人間はどこまでも非道に、残酷になれてしまう。目の前の虫を人間はたやすく殺すことができる。もちろん、それは人間同士でも起こりうる反応です。人間同士でも「仲間か、仲間じゃないのか」という次元で、人間と人間じゃないものの区別は行われます。反対に、人間には、仲間のためならば自己犠牲してでも守り抜く態度がある、というのもまた事実です。 この人間の両極端さが難しい所。そもそも、まず「人間だ」といえる条件って何なのか? 人間の形をしていること?目や口を持っていること?、違う。それは、コミュニケーションができる事。つまり、「内面」を持っているという事です。 *1なので、人間同士の差別を無くする。つまり仲間だと認めるには、「人間」
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