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ジャージに関するj708のブックマーク (11)

  • 欧米と日本におけるブラウザのシェア: あんたジャージでどこ行くの

    ITmedia News:1月のブラウザシェア、IE 7が10%超え ・Microsoft internet explorer 7 marketshare 文字だとわかりにくいので表にしてみました。(画像クリックで拡大します) 平均より高い物を黄色、平均の倍以上の物を赤で表示したのですが、思った以上に顕著な違いが出て面白い。 ・イギリス・オランダはIEが強い。(保守的なんですかね?特にオランダではIE一人勝ち) ・アップルは北米(アメリカ・カナダ)で強い。 ・対してドイツ・フランスではアップルが弱い。(ドイツ人は質実剛健、フランス人はアメリカ人の美意識を馬鹿にしている?とか邪推してしまう) ・ドイツではNetscapeのシェアは高いがSafariは弱い。(古いアップルを使っていたが嫌になったのか、あるいは経済的な事情か?) ・Operaはオーストラリアで異様な強さ。(オーストラリア人って

  • 頭の悪いテレビ番組の作り方: あんたジャージでどこ行くの

    「CMの後、いよいよ!」が嫌いだ。 大物ゲスト登場!とかクイズの解答はCMの後!とか上島竜平が珍味○○をべる!とか。 そういうコマーシャルの入り方を見ると、その時点でチャンネルを変えるわけです、私は。実に姑息な手段じゃありませんか。しかも、そういう引っ張り方をしてるほど、結果は大したことがないのね。週刊誌の袋とじ企画と同じですよ。 結局さあ、「さあ、これから面白いことがおきますよ」というフリから、「実際の面白いこと」への流れっていうのがあるわけです。見ている側の昂揚というかワクワク。そのワクワクがCMの2分間も持つかっていったら、持つわけ無いですよ。2分間もテレビの前でワクワクしていられる人なんて、今の日にはいないでしょう。頭の悪いテレビ制作者の方には、それが分からないんですよ。テレビが「王様」だった80年代で時代が止まってしまってるんでしょう。 で、最近気付いたんだけど、面白い番組ほ

  • 「コラーゲン女」が嫌い: あんたジャージでどこ行くの

    この時期になるとグルメ番組でよく鍋が取り上げられる。 あんこう、すっぽん、ふぐ。 鍋を前にしたタレントが、あんこうの皮に近い肉を取り上げる。 「うわー、プルプルー!コラーゲンたっぷりですよー!」 うるせーよ。グルメ番組に出てくる女に多いのは「やわらかい=おいしい」とか「甘い=おいしい」と思い込んでいる女で、もうこういう奴は何でもかんでも「やらかーい」とか「あまーい」と言ってりゃ済むと思っている。 あれにも腹が立つのだけれど、最近は「コラーゲン女」の方が癇に障る。豚足にしてもフカヒレにしても、ゼラチン質の物が出てくると「コラーゲン、コラーゲン」言わないと気が済まないのだ、あの手合いは。

  • つながりと硬直化: あんたジャージでどこ行くの

    前の記事に色々な反応があって面白いです。しかし僕自身は最近あまりwebについて考えることがなくて、そんな時にこういう好反応があるのは皮肉。 で、今まで僕がはてなブックマーク界隈に持っていたマイナスイメージは主に二つあって、それは「情報の偏向」と「馴れ合い」です。 情報の偏向は、それはそれで仕方ない。はてなブックマークユーザーは、その全てが「webのユーザー」であり「ソーシャルブックマークのユーザー」なわけであって、またその多くが「ブロガー」であることから、そういう最大公約数的な話題への偏りは必然的なものです。 今回僕が少し思ったのは「無意識の馴れ合い」というか「はてなが人力であるが故の袋小路」というか、そんなようなものです。はてな独自の、情報と情報、あるいは人と人とをつなげる仕組み。あるいは情報と人を紐付きにする仕組みというのか、こういう「つながり」が強くなると、動きの自由度が失われるんじ

  • 苦笑される毒舌ブログ: あんたジャージでどこ行くの

    これは「自称毒舌」ブログに多いような気がするんだけど。 まあなんかの悪口なんだろうな、というのは分かるんですよ。ブログであったり、人の悪口。それは、なんとなく雰囲気で分かる。 最後に「まあ、~なんですけどね(苦笑)」なんて書いてある。 なんか、とりあえず対象を馬鹿にしたいんだろうな、という意志は感じるんだけど。 でも、文を読んでも、何を言ってるのかさっぱり分からないのですよ。対象を支持してるのか批判してるのか、それさえ分からない。「批判したい」という気持ちは分かるんだけど、それが文章として成り立っていない。 あれは、なんだろうか?「中立的な立場から、客観的な批判をしたい」という志に、思考力や文章力がついていかない、というような状態なんだろうか。 (苦笑)じゃねーよ、と。人に(苦笑)してる場合じゃないだろ、と思うのだった。

  • 安易な謝罪は保身に過ぎない。: あんたジャージでどこ行くの

    「荒らし」への対応として、謝罪する必要のないことまで謝罪するのは、これは「御都合主義の最悪な対応」である。 そんな物は保身でしかない。謝罪することで、あなたのブログの炎上は収まるかも知れない。しかし奴らは増長するだけだ。あなたの謝罪は、奴らの「達成感」になる。 それは、奴らが「次のブログを荒らすため」の活力になる。 「ブログ炎上への最良の対処法は謝罪である」なんていうのは、アホの考えた戯言に過ぎない。 参考:「ブログ荒らし」の行動パターン 一応TBしとこ。 ・乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします なんか追い打ちをかけるようで気の毒だけど。たしかにあの記事への「補足」は必要だったろうし、大人な対応としての「謝罪」は選択肢の一つだと思う。でもやはりブロガーとして、上記のようなことは認識して欲しかった。 しかし、この謝罪記事にまで中傷コメントを書いている連中っていうのは何なんだろう。なんでこう

  • 「なのだ!」と「なのか?」: あんたジャージでどこ行くの

    ・奥様、鼻毛が出ておりますことよ - ブログの文章は断定的に書くべきだ 事実、最近、断定っぽい「なのだ!」系記事が多いように思う。何かというと「調べて書けよ」といちゃもん付けたがる人がいるにもかかわらず「なのだ!」系記事は増えてるんじゃないかな。 で、ちょうどこの記事を読む前に目にしたのが、 ・まなめはうす - 2006-09-04 (Mon) 19:29 ここの下に並んでいる「一年前のニュース」。 ここに五つの「なのか?」系記事が並んでいたのが印象的。 当時、多くのブロガーはまだ悩んでたんだと思う。ブログって何だ?とかwebって何だ?とか。でもこの一年で、ブロガーは随分増長してしまった。「俺たちはブログで何をやりたいのだ?」みたいな問いかけをする人は随分減ったように思う。良いことか悪いことか、どちらかと言えば悪いことだろう。 「なのだ!」と言えない社会は居心地が悪いが、「なのか?」の無い

  • 偽善ペットボトル: あんたジャージでどこ行くの

    僕は、ペットボトルを捨てる時、キャップとボトルを分ける。キャップは燃えないゴミ、ボトルは資源ゴミ。 ふと「これって中途半端な親切心みたいなものだなあ」と思った。 キャップは外すけど、ボトルの口に残ったリング(キャップの片割れ)はそのままだ。 これは、当は外さないといけないんだろう。そんなことを思いながらも、めんどくさいからそのまま捨てる。 僕の中では「キャップを外したんだから十分だろう」と思う。とりあえず分別っぽいことはしたよ、と思う。 でも、それはちゃんとした分別ではない。自分でもそれは分かってる。 こういうのを偽善と言う。 さらに僕は、ゴミ箱を見て、キャップを付けっぱなしのペットボトルを確認しては「なんでみんな、キャップを外さないかなあ」なんて事を思う。しかしそれは、「僕は外してるもんね、僕はえらいなあ」という確認にすぎない。そういう「優位性みたいなもの」を確認したいだけなのだ。 そ

  • 遅れて来たイナゴ(from あんたジャージでどこ行くの) - 明日は明日の風が吹く

    ■[ネット]遅れて来たイナゴ(from あんたジャージでどこ行くの) 人を傷つけるというのは、結構難しいのですよ。対象となる人をよく観察して、その心理を分析しなければいけない。そして、その人が意図的に意識していない(自分で認めたくない)質的な部分を暴き、攻撃する。そうじゃなきゃ、人は傷つかない。 人を傷つけるという事の質だよな。特にこの括弧内の「自分で認めたくない」というのは、あまりにも質過ぎると思う。意識してないんじゃなくて、意識しないようにしているからこそ、そこを攻撃されると傷つく訳で。 このエントリのブクマページを見ると、 ちょっとしたことで傷つきやすい人がイナゴさんたちなのかもしれない。 というコメントがついているんだけど、私は、このイナゴ達は当の意味で傷つく事の痛みを知らないんじゃないかなと思った。ちょっとした痛みでギャーギャー騒いで、当に傷つく段階に進む前に終わってし

  • 「創作」へのコンプレックス: あんたジャージでどこ行くの

    僕には昔からコンプレックスがあって、それは「創作」ができないということだ。絵は描けるけど、文章の創作、小説を書くということができない。 中学生の頃の友達に、小説を書くのが好きな男がいて、彼の作品はほとんど筒井康隆の模倣だったのだけど、ものすごい量の小説を書いていた。僕もそれに憧れて文芸クラブみたいなのに入ったのだけど、結局小説は書けなかった。 小説を通して伝えたい物がない、だから書けないのだろうと思う。プロの小説家は別として、趣味小説を書いている人たちは、何を伝えたくて、そしてどのようにして書いているのだろうか、と思う。 しかし、小説をブログに置き換えて考えると、どうも馬鹿馬鹿しい。どうしてブログを書くのか?と言われると答えに窮する。基的に「なんとなく」である。「ブログを書くのが日常だから」であって、そこに特別な理由など無い。 いや、初めはあったのだろうけど、今やそういう物、明確な動機

  • ブログがヘロインなら、はてなブックマークはヒロポンだ。: あんたジャージでどこ行くの

    ■ダウナー系 ブログって、やってるとだんだんどうでも良くなって、くだらない記事を馴れ合いで書いて、いよいよ当にどうでも良くなって、当に意味のない事をただ垂れ流して、やがて廃人になる。 ■アッパー系 はてなブックマークをやってると、とにかくブックマークして何か一言言わなければ気が済まない体質になってくる。四六時中webを徘徊し一日に何百ものコンテンツを見てろくに読み終わらないうちにブックマークし思いつきのしかし激しいコメントを付ける。そう。ろくに読んではいないのだ。読めないような長い記事には「長い」とだけ書けばいい。中身のない興奮状態である。そしてはてなブックマークは多分ブログ以上の依存性を持つ。何時間でもブックマークしてコメントするそんな単純作業が出来る。なのでいっくらでもブックマークしてコメントして、やがて廃人になる。 ダメ、ゼッタイ!

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