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レトリックと哲学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (3)

  • 第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま

    前回、「あっちが正しいか、こっちが正しいか」という二項対立的な問いは、「問い方のマジック」であるというお話をした。「あちらか、こちらか」と問われると、人は思わず、どちらかが正しいのではないかという“マジック”にひっかかってしまうのだ。 でも、とりわけ意味や価値について、あちらとこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはない。だから僕たちは、「あちらか、こちらか」じゃなく、「あちらも、こちらも」、どちらもできるだけ納得できる、もっと建設的な“第3のアイデア”を考え合う必要がある。そして繰り返し言ってきたように、哲学は、そのような深い“共通了解”を見出し合うための思考法を、2500年の長きにわたって磨きつづけてきたのだ。 相手を言い負かすための技 さて、でも僕たちは、あまりにしばしば、“共通了解”を見出すのではなく、相手を言い負かすための議論をしてしまう。 実を言うと、哲学はこれまで、この「

    第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/07/01
    帰謬法について
  • 蒙昧主義 - Wikipedia

    蒙昧主義(もうまいしゅぎ、英:Obscurantism、仏:Obscurantisme、独:Obskurität)とは、意図的に曖昧な言い方をしたり、またある問題を明るみにすることを妨げるような態度のことを指す。反啓蒙主義と訳されることもあるが、啓蒙思想に対するカウンターとしての反啓蒙主義(Counter-Enlightenment)とは異なる。 この語は翻訳語であり、英語やフランス語などの原語の語法では、大別して以下の二つがある。 1)知識や情報が広がるのに反対すること:公共の空間に知識がひろまるのを許可しないこと この用法は18世紀の啓蒙主義者らによって普及した。そのため、狭義には、新しく合理的な概念を拒絶し、古い権威を蒙昧的に擁護する態度を意味する。 中国語ではObscurantismは「愚民政策」として翻訳される[1]が、それはこの意味に限定したものである。 2)文学や芸術や思想な

  • 「見る」ことのメタファーと「書く」という行為について | qiree's weblog

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/03/19
    「コンピュータのように」とフォルマリズムやSEOとの違いはいかに
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