なぜこの文学的反語なのか 子安宣邦 私の『「近代の超克」とは何か』の中国語訳をして下さっている董さんから、原文あるいは引用文についての沢山の疑義と質問が寄せられた。質問の多くは日本浪曼派の保田與重郎を扱った章に集中していた。それは当然だろう。著者である私自身が保田による文章を引きながら、それらを完全に理解して引いているのではないのだから。大体、「イロニーとしての日本」という保田の反語的日本論そのものが、まともな理解を阻んでいる。保田の紀行文『蒙彊』からの引用について、「意味不明です。翻訳できません」という董さんの指摘を受け、それに答えるために私は『蒙彊』をあらためて読み直さざるをえなかった。 「今日の日本兵士たちの行為のあとを追従しつつ、その文化建設の能力を疑い、その構想の上で文化施設の担当を己らにもくろむ者も意識的冒涜でなければ、不明の罪である。そういう十九世紀思考に