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美学と映像に関するja_bra_af_cuのブックマーク (3)

  • マンガにおける「分離された虚構世界」と「視覚的修辞」 - logical cypher scape2

    まえがき 分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2 の続き、というか、最後に触れたイノサンの例についてもう少し膨らませて書く。 マンガは、絵を使って、とあるフィクション世界を描く形式である。 なので、絵の内容は、その世界の出来事をあらわしている、と考えられるわけだが、実際には、絵の内容がそのままその世界の出来事として成り立っているわけではなさそうなケースもよく見られる。 そういうケースを説明するのに、いくつか概念を作ってみよう、みたいな話をするつもり。 以下、『イノサンRouge』を例に出していくが、あくまで例として使っているだけであり、『イノサンRouge』論にはなっていないのであしからず。 (こういう概念を作るのであれば、何某か作品の解釈に有用なものにしたい、という思いがあるのだが、今回その点についてはうまくできてないというか、作品の解釈には使え

    マンガにおける「分離された虚構世界」と「視覚的修辞」 - logical cypher scape2
  • 分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2

    『フィクションは重なり合う』のAmazonページに、実はレビューが書かれているのを最近知って、ちょっとそれに対する応答をしつつ、ちょっと気になっていることをメモしておきたい。 2.2.分離された虚構世界の > 例えば、TVアニメ『四月は君の嘘』の22話(最終回)「春風」における演奏会演奏会のシーンを取り上げてみよう。主人公の有馬公生が演奏会でピアノを演奏しているのだが、シーンの途中から公生とピアノがステージ ではなく、水面上に置かれている映像へと変わる。ホールの様子は消えて、水平線の広がる水面上で公生が演奏している映像である。 この映像について、著者はこれをフィクションの世界の中で起きていることだと主張しています。 『フィクションは重なり合う』カスタマーレビュー「大事なところを「明らかだ」で済まされてしまった」 この点について、2つの応答の仕方がある。 『四月は君の嘘』の映像において、「水

    分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2
  • 映像のリアリズムについて - 9bit

    最近ちょっと読んだジョン・カルヴィッキの『Images』(2014)の紹介も含めて、映像のリアリズム(写実性)についての話をいくつか。 佐々木友輔さんによる以下の記事を面白く読んだ。 フェイクドキュメンタリーとして『ホビット』を観る 「竜に奪われた王国」予習編-映画監督佐々木友輔特別寄稿第3弾:Book News|ブックニュース とりわけ、以下の主張はまったくその通りだと思う。 すなわち、映画における物語世界への深い没入は、あるメディア経験が慣習化・透明化することによってこそ可能になるのであり、技術の発展によって登場する新たなメディアがもたらす映像の質感は、物語世界への没入よりもむしろ、そのメディア自体の特殊性や偏向性への関心を強く引き起こすのだ、と。「まるでテレビ映像のよう」だという言葉が象徴するように、『ホビット』をめぐる言説が--自覚的なひとであれ無自覚的なひとであれ--メディア論的

    映像のリアリズムについて - 9bit
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