この一角に我々(われわれ)の広大な農場があり、今も開拓が進められている。その中心地に1万2千坪(約4万平方メートル)ほどの記念公園があり、四季の花が咲き乱れ、人々に憩いの場を提供する。 「ここは無人の砂漠だった」。ふとよみがえる過去の惨状を思うと、この平和な光景が夢のようだ。 ●農民たちの死闘 2003年に開始された用水路の建設は、09年の夏、ここガンベリ砂漠で最後の難関に差し掛かっていた。用水路の着工から7年目、乾いた熱風と強烈な陽光、過酷な自然環境の中で約400人の作業員が難工事に挑み、泥まみれで働いた。砂漠の気温は昼近くになると摂氏50度を超える。乾いた熱風で木の葉がドライフラワーのように乾燥することもある。熱中症が続出したが、手を休める者は居なかった。 作業員は全て近隣の農民で元難民、干ばつで農地を失い、故郷を離れていた者たちである。2000年の大干ばつは凄(すさ)まじく、多くの村