坂本龍一の訃報に接して1か月以上が経ったが、未だに私の主たる関心事は音楽、音楽史及び音楽の受容史であり続けている。 弊ブログの読者には政治に関心がある方が多いと思うので、それに絡めて書くと、私は1980年代初めに当時の国鉄吉祥寺駅*1に付随した商業施設「ロンロン」の2階で立ち読みした現代音楽の作曲家・柴田南雄(1916-1996)の本に、世界中のあらゆる国の大衆音楽がことごとく西洋音楽の語法を用いた音楽になってきているとの指摘に目を開かされた。だから柴田を含む現代音楽の作曲家たちは自国を中心とした民族音楽を取り入れようとするのかと思った。 坂本龍一自身も柴田南雄に言及している。 mikiki.tokyo.jp 以下引用する。 ――坂本さんが高校1年生だった67年11月9日に、小澤征爾の指揮、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八、ニューヨーク・フィルハーモニックにより、武満氏の「ノヴェンバー・ステ