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ブックマーク / blog.livedoor.jp/toshihirock_n_roll (5)

  • 矢野利裕のEdutainment:ハーブ・アルパートとはなにか - livedoor Blog(ブログ)

    2013年04月25日 ハーブ・アルパートとはなにか 4月某日。朝起きたら、ウェブ上で「オールナイトニッポンで矢野利裕さんの名前が。」と、教えてもらいました。教えてくれたのは、以前から『ジャニ研!』の感想などを書いてくださっている方で、面識はないけど、認識はしている方でした(ありがとうございます)。水曜日のオールナイトニッポンと言えば、先日、当ブログで「全面的に支持」を表明したばかりのダイノジ大谷ノブ彦さん担当回である。仕事に行かなくてはいけなかったので、帰って録音を聴いたら、当に言及してくれている! しかも、『ジャニ研!』絡みということでもなくて、「ヤノ・オン・ウェブ」とか言っている! 天下のオールナイトニッポンで光栄すぎるというか、なんというか! こんなアクセス数も伸びないニッチなところを拾ってくれなくてもいいのに! でもきっと、そこが誠実さなのでしょう。ありがとうございます。背筋が

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/04/26
    "日本のポップスシーンにおける60年代というのは、レコード会社主導で、海外の「リズム」を積極的に紹介していた時期です〔……〕「今年はマンボが来るぞ!」とか「次はドドンパだ!」とか、そういうノリ"
  • 矢野利裕のEdutainment:「批評」とは結局のところなんなのか(未解決) - livedoor Blog(ブログ)

    2012年06月02日 「批評」とは結局のところなんなのか(未解決) 高橋健太郎氏と微熱王子氏がツイッター上で、「音楽批評とはなにか!?」という激論を交わしており、一時はツイッター内外を越えて盛り上がりました。 以下は、そのまとめです。 「激論! 音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-」 http://togetter.com/li/301495 「"音楽批評"論争がもたらしたあなたのわたしの音楽批評」 http://togetter.com/li/302228 ツイッター投稿の各人の意見については、まとめサイトでそれぞれ納得したり納得しなかったり考えればよいと思います。僕もふむふむとしながら読んでいました。一通り読み終わったのちにひとつ思ったのは、「批評性/批評的」という言葉と、ジャンルとしての狭義の「批評」は、強く区別したほうが良いということです。「批評性/的」という形容は、

  • 矢野利裕のEdutainment:長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテス)が良かった! - livedoor Blog(ブログ)

    2011年10月14日 長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテス)が良かった! アメリカ文学/ポピュラー音楽研究者の大和田俊之が、「自分はしょせんヤンキー側だった」と語るライターの長谷川町蔵からヒップホップの歴史をレクチャーされる、というのが『文化系のためのヒップホップ入門』の基構成だが(もちろん大和田は聞き手に徹することなく、長谷川の話を補足もするし展開もする)、書において重要なことは、冒頭から「ヒップホップは音楽ではない」と驚愕の発言をする長谷川の提示するヒップホップ史が、あくまでメインストリームを軸に置いていることだ。メインを軸に置くなんて当然のことだ、と思うかもしれないが、とくに読者の対象が「文化系」となると、これが意外にそうもいかない。このことについては後述したい。 書はもちろん、ヒップホップ黎明期――すなわち、オールドスクールと呼ばれる時代から始

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/10/18
    『アメリカ音楽史』の観点をHIPHOP方面に深めた感じなのね。あわせてヘンリー・ルイス・ゲイツ Jr. の『シグニファイング・モンキー』も読まねば。
  • 矢野利裕のEdutainment:最近の傾向?――宇野常寛『リトル・ピープルの時代』 - livedoor Blog(ブログ)

    2011年08月07日 最近の傾向?――宇野常寛『リトル・ピープルの時代』 宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を読んだ。第3章の「拡張現実の時代なのだ」という問題設定のみとても同意だけど、全体的に、うーん、これはちょっとあまりにも論点先取なのではないか、と思った。すなわち、宇野のなかで、「大きな物語」の失効と「小さな物語」の乱立と、島宇宙間の暴力性という、『ゼロ年代の想像力』と同じ図式の問題があって(今回は、それが「ビッグ・ブラザーの壊死」と「リトル・ピープルの時代」、「だれもが〈父〉にならざるをえない」という形に言い換えられている)、その反映具合で作品の読み方なり評価なりが決まる、ということだ。この「大きな物語」云々の話は、もちろん大塚英二―東浩紀がリオタールを紹介しながら展開した議論に由来するのだが、ちょっとギデンズが入り込んでいる、というかたぶん宮台真司的な考えの色濃い影響

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/08/07
    "スタティックな社会反映論"だというのは感じる。
  • ヤノ・オン・ウェブ

    2020年04月08日 仕事制限されるなかの4月頭メモ ・4月頭から再開される予定だったが、休校期間延長。まあ、仕方なし。高体連は6月まで大会を取りやめ。人の密集を避けなければならない期間続く。とりあえず、一ヶ月ぶんの課題を用意するが、長期戦になる気配ひしひし感じ、オンライン授業化を格的に見据える。僕も含め、いまだ腰の重かった教員が向き合う局面。人によっては遅すぎると言うのだろう。たしかに、こういう事態は想定していませんでした。ICT推進派、先見の明あったと言わざるを得ない。 ・ただ、急なぶん、ネット環境がどのくらい準備されているか、という問題残る。99%ネット環境あったとしても、1%こぼれるのなら教育機会の平等性に反する。そして、1%に目を向けるのが「文学」の領域なのだ、とは福田恆存の有名な態度。 ・総じて、自宅での環境に依存する心配。自分の現場、都内私立で文化格差はそれほど顕在化

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