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ブックマーク / kangaeruhito.jp (4)

  • 第3回 在地音楽への道――「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日本には艶歌がある」 | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    考える人 > 連載一覧 > 北島三郎論 艶歌を生きた男 > 第3回 在地音楽への道――「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日には艶歌がある」 なぜ北島三郎なのか 前回私は、1960年代後半以降の新左翼的な思潮を背景に五木寛之が定式化した、「日人の、弱さや、貧しさや、哀しさや、おろかさ」の表現としての艶歌という図式を逆転させて、「日に限らず世界中の庶民の、強さと、豊かさと、陽気さと、賢さ」の表現として北島三郎の歌を捉える、と述べた。さらに、そこに暗示される「ありえたかもしれない艶歌」の姿を通じて、近代日大衆音楽史の通念的な見方自体に挑戦したい、と宣言した。 今回は、その無謀な試みに着手するにあたって、私の立場と問題関心を示し、そこに我らが北島三郎を位置付けてみたい。北島三郎という個人の天才を崇拝する、ということではなく、「巷の歌」を歌う流し出身のレコード歌手が1960

    第3回 在地音楽への道――「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日本には艶歌がある」 | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/11/10
    キューバでいうソンやルンバにあたるような音楽は日本にはないんじゃなくて見落とされてきたってことなのかしら
  • 第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    第1回はこちら 承前:連載の意図 連載で私が試みるのは、演歌(というよりここはあえて「艶歌」と表記したい)を、「北島三郎的なもの」として再想像、もっといえば再創造する、ということだ。 北島三郎が演歌歌手なのは当たり前だ、何をいまさら、と思われるかもしれない。そうではなく、北島三郎を論じることを通じて、私がかつて明らかにした演歌ジャンルの枠組を、かなり根底的に修正し、あるいは転覆させようという大それた野望を持っているのだ。 つまり、演歌ジャンル確立期のいわば原義である夜の巷の流し、つまり艶歌師とその歌を体現する存在として北島三郎をとらえ、それを、1970年代以降の演歌ジャンル(のみならずアイドルを含む日の大衆歌謡のかなりの部分)において強い規範、または呪縛となってきた「五木寛之=藤圭子的な演歌(艶歌、怨歌)像」に対するオルタナティヴとして提示する、というのが連載における私の目論見だ。

    第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/11/10
    近代的・商業的レコード流行歌を"「流し」の経験に基づいて、いわばハッキングするような形で土着化させた北島三郎の音楽〔……〕「日本に限らず世界中の庶民の、強さと、豊かさと、陽気さと、賢さ」を体現〔……〕"
  • 第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    著者: 輪島裕介 2022年にデビュー60周年を迎えた北島三郎。日の演歌界をリードしてきた不世出の歌手の名前と、「函館の女」「与作」「まつり」といった代表曲を知らぬ人はいないでしょう。しかし、そのキャリアや音楽的功績について、どれだけの人が正しく認識しているでしょうか――。著書『創られた「日の心」神話』で、演歌というジャンルの“起源”に鋭く斬り込んだ音楽学者が、「北島三郎とは何者か」という壮大な問いに挑みます。 音楽学者、北島三郎に挑む これから北島三郎について論じる。 いうまでもなく北島三郎は、現在日で活動する演歌歌手のなかでおそらく最も有名な、そして圧倒的に「大御所」感が漂う歌手といえる。レコードデビューは1962年なので、今年2022年に60周年を迎える。1960年代の「なみだ船」「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」、さらに70年代後半の「与作」など多くの有名曲を持ち、東映の任

    第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
  • Vol.4 身体的な「バグ」 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    語とフランス語、それぞれの言語で覚える言葉の数だけ、アクセスできる感覚が増えていき、意思の疎通が容易になるというだけではなく、対話する相手から引き出せる知識も増えていく。 いま思えば自分の「領土」、つまり認識できる世界が拡張されていく悦楽を知ったからこそ、わたしは自発的に言葉を覚えようとしたのだと思う。新しく覚える言葉の一つ一つは、身体で体験したことを記憶にとどめるためのアンカーであり、未だ体験したことのない感覚へ至るための道標だった。 コンピュータのなかで描かれるゲーム世界にも固有の言語があることを知ったのは、小学校にあがってマイクロコンピュータマイコンのキーボードに触れるようになってからだった。それまではただゲームで遊ぶという行為を通して読むことしかできなかった対象を、自分で記述する可能性に気づかせてくれたのは、パソコン雑誌の巻末についていたプログラムのソースコードだった。BASI

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/04/22
    大江健三郎も吃音と思考の関係について触れてたっけな
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