考える人 > 連載一覧 > 北島三郎論 艶歌を生きた男 > 第3回 在地音楽への道――「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日本には艶歌がある」 なぜ北島三郎なのか 前回私は、1960年代後半以降の新左翼的な思潮を背景に五木寛之が定式化した、「日本人の、弱さや、貧しさや、哀しさや、おろかさ」の表現としての艶歌という図式を逆転させて、「日本に限らず世界中の庶民の、強さと、豊かさと、陽気さと、賢さ」の表現として北島三郎の歌を捉える、と述べた。さらに、そこに暗示される「ありえたかもしれない艶歌」の姿を通じて、近代日本大衆音楽史の通念的な見方自体に挑戦したい、と宣言した。 今回は、その無謀な試みに着手するにあたって、私の立場と問題関心を示し、そこに我らが北島三郎を位置付けてみたい。北島三郎という個人の天才を崇拝する、ということではなく、「巷の歌」を歌う流し出身のレコード歌手が1960
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