飯野賢治の葬儀には沢山の人が集まっていた。久しぶりに懐かしい仲間たちとも再会することが出来たが、会釈の後、どうしても二の句が継げない。 突然の事にみんな言葉を失っていた。 いまぼくは飯野賢治とのはじめての会話を思い出そうとしている。 それは1996年頃だっただろう。 『Dの食卓』が評判になり、メディアへの露出がはじまったころだったので風貌は知っていた。 ぼくも『アクアノートの休日』が話題になって、それなりに顔や名前が知られはじめたころだった。 なんらかのイベントですれ違った時、ふーん、あいつか、と思った。 幕張メッセだったと思う。 トレードマークのスーツ姿、ロン毛の巨漢。険しい表情で、ズンズンズンと歩いていた。彼もぼくに気づいたのだろう、一瞬だけ視線がばっちり合った。 その日はそれでおしまい。ぼくは一緒にゲームを作っていたメンバーに「飯野賢治を見たよ」と伝えた。 ぼくらはまだ20代だった。
![追悼・飯野賢治「人生をゲームに賭けた男」特別寄稿■飯田和敏(ゲームクリエイター) - エキサイトニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c360a617f1eadbe2eca05be2217f0277f2c90f3f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.eximg.jp%2Fexnews%2Ffeed%2FExcite_review%2Freviewapp%2F2013%2FE1361978097954_7581_1.jpg)