ドットインストール代表のライフハックブログ
増田にこんな記事があった。新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。(中略)コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。30歳で死のうと思っている ここで増田は「コミュニケーション能力」などと言っているが、しかしそれは幻想だ。コミュニケーションは「能力」ではない。「意志」である。アメリカという国そのものの礎を築いたベンジャミン・フランクリンは、自分のつたない話し方が長年のコンプレックスだったらしいが、長じるに連れ、「むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれることに気付いた」と言っている。そこから、人前で話すのが億劫ではなくなったそうだ。 「コミュニケーション能力が低い」などというのは言い訳に過ぎない。要は「コミュニケーションしたくない」というだけなのだ。する意志がないだけなのである。それを能力など
専攻を頑張っていたけど才能がないとわかった二十歳頃。 家庭を作る能力もなく何も出来るとこがないから奨学金を返済して30歳で死のうと決めた。 就職して働いていれば何かしら励みになることがあるかもしれないという甘い考えもあった。 数十社面接落ちなんとか内定もらって就職後、うつ発病。 なんとかやってきたが休職と復職を重ね仕事も居場所もなくなり退職。 声の大きい人に仕事も注目も集まるのはどこでも変わらないと分かった。 気がつけば29歳になっていた。 このまま生きていくというには何もない。 プログラムもかけないし資格も持っていない(とれなかった)、 新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。 友人とも恥ずかしくて疎遠だ。家庭を作るなんて夢のまた夢。 再就職の面接でも「うつじゃないですよね?うつならどこもはいれませんよ」と。 一方、奨学金はなんとか返済できた。 死ぬ準備は
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