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柄谷行人に関するjgwのブックマーク (9)

  • 人生を振り返ることについて:私の謎 柄谷行人回想録①|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 批評家・思想家の柄谷行人さんは、多摩丘陵の自然のなかで暮らしている 書籍情報はこちら ――常々「忘れっぽい」「書いたら忘れる」と公言されている柄谷さんに、生まれてから現在までのこと、まだ書いていないことをお聞きしておきたいということで、連続インタビューをお願いしました。実は、『世界史の構造』(岩波書店)が2010年に刊行された後、朝日新聞から同じようなお話を頼んだときは、結局お断りになったと聞いています。 柄谷 最初はやってもいいかなと思ったんですよ。でも、回顧には関心がないし、まだこれからやろうとしているのにと、考えが変わった。『世界史の構造』を書いてすぐは、「これで終わり」という感じもあった。だけど、違ってたね(笑) ――まだ自分の仕事は終わらない、半生を振り返るのはまだ早いという気持ちになったわけですね。 柄谷 そうです。そういう意味では、今も難しい。だけど、

    人生を振り返ることについて:私の謎 柄谷行人回想録①|じんぶん堂
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 柄谷行人・渡部直己対談 起源と成熟、切断をめぐって 『日本批評大全』(河出書房新社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    上田秋成『雨月物語』、居宣長『源氏物語玉の小櫛』から、小林秀雄「様々なる意匠」、大西巨人「俗情との結託」、そして蓮實重彥『夏目漱石論』、柄谷行人『日近代文学の起源』まで、江戸後期~近現代の批評七十編を精選、解題を付した、渡部直己『日批評大全』(河出書房新社)が上梓された。日の批評はいかに展開し、成熟し「切断」と「終焉」を迎えたのか。その歴史と全貌を俯瞰した一冊となっている。刊行を機に、柄谷行人氏と対談をしてもらった。(編集部) 柄谷 行人 / 思想家 / 思想家。東京大学大学院人文科学研究科英文学修士専攻課程修了。一九六九年、「〈意識〉と〈自然〉」――漱石試論」で第一二回群像新人文学賞〈評論部門〉を受賞。著書に「意味という病」「マルクスその可能性の中心」「反文学論」「日近代文学の起源」「隠喩としての建築」「批評とポストモダン」「内省と遡行」「探究Ⅰ」「探究Ⅱ」「言葉と悲劇」「終焉

    柄谷行人・渡部直己対談 起源と成熟、切断をめぐって 『日本批評大全』(河出書房新社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • 最も基本的なところから始めよう

    ラカンは「性別化の定式」において、性差を構成する非一貫性を詳述した。そこでは、男性側は普遍的機能とその構成的例外によって定義され、女性側は「非全体」 (pas‐tout) のパラドクスによって定義される(例外はない。そしてまさにその理由で、集合は非全体であり全体化されない)。 思い起こそう、ウィトゲンシュタインにおける「言葉で言い表せないもの」の変遷する地位を。前期から後期ウィトゲンシュタインへの移行は、全体(構成的例外を基盤とした普遍的「全て」の秩序)から、非全体(例外なしの秩序、そしてそれゆえに非普遍的・非全体的)への移行である。 すなわち、『論理哲学論考 Tractatus』の前期ウィトゲンシュタインにおいては、世界は、「諸事実」の自閉的 self‐enclosed、限界・境界づけられた「全体」として把握される。まさにそれ自体として「例外」を想定している。つまり、世界の限界として機能

    最も基本的なところから始めよう
  • リベラルは失敗から学んだのか -拉致問題と三浦瑠璃の「スリーパーセル」発言から考える議論の方法 | Football is the weapon of the future

    集団的自衛権の解釈変更の閣議決定がなされた。 世論もこの「解釈改憲」について厳しい評価を打ち出している。 閣議決定に先立つ毎日新聞の世論調査では、集団的自衛権の行使に「賛成」32%、「反対」58%。 日経新聞の調査では、「賛成」34%、「反対」50%。 最新の調査で、閣議決定当日の7月2日の共同通信の調査では、「賛成」34・6%、「反対」54・4%。 もっともこの3つの調査の数字に先立つ5月の読売と産経の調査では、7割が条件付きで容認するとの意向を示しており、必ずしも世論の風向きの予断は許さない状況だ。 さて、この安倍政権による憲法改正(解釈改憲含む)の動きは繰り返されてきた。安倍晋三の悲願といってもいいことであろう。しかし実態はこうである。 安倍ちゃんが最初に首相になってから10年近くになる。その間、首相として、改憲が争点だと言って07参院選でボロ負けし、12総選挙からは勝ったが改憲機運

    リベラルは失敗から学んだのか -拉致問題と三浦瑠璃の「スリーパーセル」発言から考える議論の方法 | Football is the weapon of the future
  • 柄谷行人と占星術 - 学者たちを駁して

    柄谷 〔…〕結局われわれが近代物理学の眼で物と言っているものは、実際には、あとから方法的に見出されたものだし、根には、フェティシュ〔呪物〕というような物、それ自体がシーニュ〔記号〕であるような物があるんじゃないか*1、というふうに思うんですよ。 ―『フェティシズムについて』(1978年)。*2 柄谷行人は、人間の脳から意識を引き出すロシア流の唯物論も、精神から存在を引き出すドイツ流の観念論も等しく否定している。それゆえ、上で考えられている「物」というのは、飄飄たる精神でないことはもちろんだが、また固定した物質でもない。彼は『資論』のマルクス*3が言う「商品」を「物」と言い換えているのである。「物」という語のこの奇妙な用法には、記号論が考える「言語」とマルクスの言う「商品」を同じ視点から眺める彼のおもしろい*4考え方がはっきりとした形で現れている。 〈それ自体がフェティシュでもあり記号で

    柄谷行人と占星術 - 学者たちを駁して
  • 攝津正/Q-NAM問題-2

    Q-NAM問題における柄谷行人の一連の振る舞いを検証する。 柄谷行人は、2002年8月29日に京都南無庵にて催されたQ-hive(Q管理運営委員会)のオフライン会議(所謂「京都会議」)にQ監査委員の資格で出席した。柄谷は夜を徹して西部忠を説得した。その説得の内容は、宮地剛・穂積一平がQを辞めると言っても引き止めないこと、だったという。その席では、宮地や穂積の人格を否定するような発言もなされたというが、正式の会議が終わった後は眠ってしまった攝津(私)には、そのような事実があったかどうかは分からない。とはいえ、宮地・穂積批判の強い発言が徹夜でなされたことは、ほぼ確実である。杉原正浩の証言([nam-rules:0353])【註1】参照。 柄谷行人は、翌30日に、西部忠に宛てて、近畿大学での市民通貨研究プロジェクトへの招聘をキャンセルする旨告げ、北海道大学にもそれを通知した。 柄谷行人は、200

  • 批評空間【Web CRITIQUE】 子犬たちへの応答/柄谷行人

    東浩紀、鎌田哲哉、大杉重男、千葉一幹らが私を批判しているから、それに対して応答したらどうかといわれた。しかし、こんな連中の低レベルな批判にまともに応答する理由はない。 この連中は、批評空間や群像新人賞から出てきた。世の中では、私が評価したと思っているかもしれない。もちろん、相対的に評価したのは事実である。しかし、その後の仕事については、また別である。私の評価はそのつど変わる。ただし、それをいちいち言うべきではないと思い、長い目で見ようとしてきた。しかし、彼らが錯覚し思い上がって騒々しく噛みついてくるとなったら、一言いっておかねばならない。 こういう連中は、全面的に私の言説の中で育ってきて、一人前になるために、そこから出ようとして、まず私にからみ攻撃する。しかし、それでは私に対する従属をますます認めることにしかならない。(何にしろ私はこんなストーカーどもにつきまとわれたくない。)そもそも、こ

  • 『週刊読書人』による柄谷行人氏へのインタビュー - associations.jp

    こに掲載する柄谷行人氏の発言は、私たちassociations.jpの活動の指針となるものです。 associations.jpは、原発災害の状況報告やデモへの参加呼びかけなどとともに、反原発運動をより幅広く根強いものにする言説を発信していきたいと考えています。 associations.jp 事務局 反原発デモが日を変える 3月11日の東日大震災から、この6月11日で3か月が経過する。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所~表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。批評家の柄谷行人氏は、六〇年安保闘争時のデモ以来、芝公園のデモに、およそ50年ぶり

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