タグ

美術に関するjgwのブックマーク (34)

  • 「美大生におすすめの本」Vol.15:松浦寿夫氏(元 美学美術史研究室教授) | 武蔵野美術大学 美術館・図書館

    ムサビの先生方がお勧めする”美大生なら読んでおいてほしい”、第15回目は、画家、美術批評家の松浦寿夫氏です。2021年度まで学美学美術史研究室の教授を務めていらっしゃいました。 イメージライブラリーの映像資料もご紹介いただいています。 図書館では共通の分類法に基づいて図書の配列が行われています。これに対して個人の蔵書は多くの場合、個々の関心領域によって独自の配列のもとに組織されています。そして、隣接関係の変化によって同じ図書がまったく異なった相貌を露わにすることもあります。まったく無関係にみえる対象との隣接性こそが発見の好機ともいえます。ここでは、いくつかの教育的な隣接関係を提示しますが、当然のことながら、この隣接関係は解体されることを求め、新たな編成に開かれ、またそれを待機しています。

    「美大生におすすめの本」Vol.15:松浦寿夫氏(元 美学美術史研究室教授) | 武蔵野美術大学 美術館・図書館
    jgw
    jgw 2022/05/23
  • cha_bo on Twitter: "そういや西洋画では雨を線で描かないんだってね。 じゃあどうやって表現してたんだろうって思って、 https://t.co/l23sYjmbRG"

    そういや西洋画では雨を線で描かないんだってね。 じゃあどうやって表現してたんだろうって思って、 https://t.co/l23sYjmbRG

    cha_bo on Twitter: "そういや西洋画では雨を線で描かないんだってね。 じゃあどうやって表現してたんだろうって思って、 https://t.co/l23sYjmbRG"
    jgw
    jgw 2021/08/17
  • 僕のしょうもない人生を紹介します

    大西拓磨です。21歳、ニートです。 このたび、縁あって、ここで何か書いていい権利をいただき(、そこから半年が経ち)ました。 とりあえず、僕のここまでの人生をザバーと紹介して最初の記事と代えようと思います。 1999-2011 横浜で、両親の反対を押し切って生まれました。父と母が毎日のように喧嘩している間、僕はどちらの膝にも座れるのが楽しかった思い出です。 内気ながら足が速かったので小学校では男1女6で遊んでたし、うち2人に告白されました(ここで自殺しておけば...)。 これはその頃に描いた船の絵と その間取りです。 2012-2014 3分の1が東大に行く中高一貫男子校に入れさせられましたが、勉強嫌いだったのでずっと遊んでました。 雪だるまに土下座させたりとか、 ポテトで悟空作ったりして。 あとずっとパズドラやってた。無課金で属性一面+297を達成したのは僕が史上初でした(伝わらない)。

    僕のしょうもない人生を紹介します
    jgw
    jgw 2020/12/25
  • 第1回 私の中に「奇」はない | 橋本治+浅田彰 日本美術史を読み直す――『ひらがな日本美術史』完結を機に―― | 橋本治 , 浅田彰 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    著者: 橋治 , 浅田彰 先日亡くなった橋治さんは、『ひらがな日美術史』全7巻完結後に、浅田彰さんと「新潮」2007年8月号にて対談をしました。浅田さんが『ひらがな日美術史』という仕事を高く評価していたことから実現したもので、活字になったの二人の対談はこれ一回のみです。二人の大ファンである私にとって、この対談は夢のような時間でした。今回、浅田彰さん、橋治さんご遺族のご厚意により、この「新潮」掲載版の対談を復刻掲載いたします。(編集長 松村正樹) 浅田 お久しぶりです。二十五年くらい前に、『広告批評』が紀伊國屋ホールで開いたシンポジウムで、オブザーヴァーと称して隣どうしに座らされて以来ですよね。 橋 あれは何だったんですかね。僕はオブザーヴァーになってくださいって言われた記憶もないんですよ。客席にいてくださいって言われて、何か最後に言ってくださいって言われて、すごく過激なことを言

    第1回 私の中に「奇」はない | 橋本治+浅田彰 日本美術史を読み直す――『ひらがな日本美術史』完結を機に―― | 橋本治 , 浅田彰 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
  • 東野芳明 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "東野芳明" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2024年1月) 東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 2005年11月19日)は、東京都出身の美術評論家である。多摩美術大学名誉教授。多摩美術大学の芸術学科の創設者でもある。 来歴・人物[編集] 都立一中、一高を経て、1954年東京大学文学部美学科卒[1]。1967年多摩美術大学美術学部共通教育非常勤講師。1968年同大学助教授。1973年教授。1981年芸術学科を創設。1993年名誉教授。ヴィネチア・ビエンナーレの日館コミッショナーや美術評論家連盟の会長など

    jgw
    jgw 2019/02/18
  • 宮川淳 - Wikipedia

    宮川 淳(みやかわ あつし、1933年3月13日 - 1977年10月21日)は、日の美術評論家。 略歴[編集] 東京市大森区(当時)生まれ。幼年期は、外交官である父の海外赴任先と自宅とを往復していた。 1953年に、東京大学文学部美学美術史学科へ進学。この年から、種村季弘、吉田喜重たちと同人誌『望楼』を刊行。読書会には、フランス文学者である清水徹、豊崎光一、渡邊守章らが加わった(清水、種村、豊崎は、のちに著作集の編集委員となる)。 そのテクストは、アンドレ・ブルトンやモーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユやモーリス・メルロー=ポンティ、ロラン・バルトやクロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカンやジャック・デリダなど、多くが、現代思想に繋がる当時のアクチュアルな思想家のものだった。シュルレアリスムや構造主義周辺の思想・文学を受容しつつ独自の思索を展開していった宮川は、美術史の領域

    jgw
    jgw 2019/02/18
  • 篠原有司男 前衛の道 

    2003年4月個展出品彫刻作品 「ボクシングペインティングをする ファイティング・ドクロ 」 と著者 ファイティング・ドクロ の顔 (この彫刻は、篠原有司男がボクシングペインティングを終え ポーズをとっているところを、インカ風にアレンジした作品) 「前衛の道」 篠原有司男 著者

    jgw
    jgw 2018/01/19
  • アーティストは6時間肉体を差し出した。観客が彼女に行ったことは恐怖さえ感じさせる

    刺激の強い描写が含まれています。閲覧の際はご注意ください。 マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)は、ユーゴスラビア出身、現在はニューヨークを拠点として活動しているパフォーマンス・アーティストです。1970年初頭より30年以上におよぶ活動から、現代美術における「パフォーマンスアートのグランドマザー」と自らを称し、世界の美術界で大きな影響力を持つ女性アーティストとして知られています。 その作品は、芸術家と鑑賞者の間の関係性を重視し、身体の限界や精神の限界・可能性を探究したものが多く、自身の身体に暴力を加えるなどの過激なものも多く発表しています。 中でも1974年にイタリアのナポリで上演された「Rhythm 0 (リズム0)」は、アブラモヴィッチの代表作として有名です。6時間に及んだパフォーマンスは、当時23歳のアーティストが観者の意のままに自らの肉体を使わせる、という

    アーティストは6時間肉体を差し出した。観客が彼女に行ったことは恐怖さえ感じさせる
    jgw
    jgw 2017/06/22
  • tanukinohirune

    2024年6月1日、東洋大学で行われる藝術学関連学会連合のシンポジウムで発表する要旨です。http://geiren.org/news/2024/generative-ai.html タイトル「人間とは何かとAIは問う」 生成系人工知能が生み出す文書やイメージを、熟練した人間が制作したそれらから、結果を見ただけで区別することはできるだろうか? 言い換えれば、機械による出力を知識や経験に基づく人間の手作業から決定的に見分ける「眼力」や「鑑識眼」といったものは、存在するのだろうか? もしそれが客観的なテストという意味なら、この問いに対する私の答えはノーである。 だがこのことは、人工知能が人類やその文明にとって深刻な危機だといったこととは、何の関係もない。AIがやがて人類に取って代わるという予言、あるいはそれが人類文明に深刻な脅威をもたらすことを懸念したり、その開発をしばらく中止すべきだといった

    tanukinohirune
    jgw
    jgw 2017/03/20
  • フランク三浦裁判に思う(栗原潔) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ちょっと前から「フランク三浦」という高級腕時計フランクミュラーのパロディネタ製品が話題になっていましたが、これに関して「<知財高裁>"フランク三浦"認める…ミュラーと区別できる」というニュースがありました。 知財高裁は「三浦」が日人を連想させることや、フランク・ミュラーの腕時計の多くが100万円超であるのに対し、「フランク三浦」は4000~6000円である点などから「混同は考えられない」と結論付けた。 とのことです。 テレビでは「フランクミュラーがフランク三浦を訴えた」と言っていましたが、正確に言うと、「フランクミュラー側がフランク三浦の登録商標に無効審判を請求して無効にしたのに対して、フランク三浦側がそれを取り消すよう訴え(審決取消訴訟)、勝訴した」ということです。フランクミュラー側は、最高裁に上告するか、別の理由で無効審判を請求するしかないため、フランク三浦商標の登録は揺るがない可能

    フランク三浦裁判に思う(栗原潔) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 浅田彰「村上隆なら森美術館より横浜美術館で」 - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    浅田彰「村上隆なら森美術館より横浜美術館で」 - REALKYOTO
  • 荒川修作 オーラル・ヒストリー – 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

    荒川修作 オーラル・ヒストリー 2009年4月4日 荒川修作アトリエ(事務所)にて、ニューヨーク インタヴュアー:由みどり、富井玲子 書き起こし:池田絵美子 公開日:2010年9月26日 荒川修作(あらかわ・しゅうさく 1936年~2010年) 芸術家・建築家 名古屋生まれ。武蔵野美術学校中退。読売アンデパンダン展に1958年から出品。《棺桶》シリーズのオブジェで東野芳明ら批評家の注目を集める。ネオ・ダダに短期間参加した後、1961年に渡米、瀧口修造の紹介でマルセル・デュシャンに会う。翌年出会ったマドリン・ギンスと生涯のパートナーとなり、《意味のメカニズム》などの図形絵画の共同制作を始める。近年は、《養老天命反転地》(岐阜県養老町、1995年)など、身体の刺激を通じて「死に抗する」建築を次々と手がけ、ギンスとの共著『死なないために』(1987年)の日仏出版などで知られる。1997年にはグ

    荒川修作 オーラル・ヒストリー – 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
    jgw
    jgw 2016/01/15
  • gjks.org

    This domain may be for sale!

    jgw
    jgw 2015/09/18
  • 会田誠さん作品に改変要請 美術館、子ども向け企画展で:朝日新聞デジタル

    東京都現代美術館(東京都江東区)で開催中の子ども向けの企画展で、現代美術家・会田誠さん一家による文部科学省への批判を書いた作品について、館側が会田さんに改変などを要請していたことが24日、わかった。子どもにふさわしくないなどとする館側に対し、会田さん側からは現状のまま展示できない場合は撤去もありえるとの考えが示されている。 企画展は18日に始まった「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展。夏休み向けに館が企画し、4組の作家が参加している。会田さんは、と中学生の長男と共に「会田家」として参加。3人が感じている学校制度への不満などを、白い布に毛筆で「文部科学省に物申す」と書き、「もっと教師を増やせ」などと訴える作品「檄文(げきぶん)」が問題視されている。 都生活文化局の担当者は「会田さんの展示全体として小さい子どもにはどうなのかという声が美術館と都側から上がり、展示内容の見直しを要請

    会田誠さん作品に改変要請 美術館、子ども向け企画展で:朝日新聞デジタル
    jgw
    jgw 2015/07/25
  • 椹木『アウトサイダーアート入門』:いまさら何さわいでんの? - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書) 作者:椹木 野衣幻冬舎Amazon まともなエスタブリッシュメントのオゲージュツカのアートに対して、キチガイや犯罪者が作ってしまった体制の外のアートがあるのだ、そういうのに注目してエスタブリッシュメントに対してそれをつきつけねばならない、という。 何騒いでんの、という感じ。 キチガイや犯罪者の作る作品があれこれもてはやされるって、昔からの話じゃないの? 耳切り落としたヤツとか、死刑囚で小説書いてほめられたやつとか、「狂気のナントカ」って昔から迫力ある芸術を誉める十八番の言い回しだし。 だから、アウトサイダー・アートなるものが存在し、そこに何か対立構造があって、という発想自体が今さらで古くさい。というか、世間的な評価はむしろ逆で、その「アウトサイダー・アート」的なものを昔から積極的にもてはやす風潮さえある。クスリやってましたとか、ゲイでしたとか、

    椹木『アウトサイダーアート入門』:いまさら何さわいでんの? - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 奈良、村上、会田etc. - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「「ラッセンとファンが同じ」 奈良美智が関係者発言に怒りまくる」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131006-00000000-jct-ent http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131006-00000000-jct-ent&p=2 この記事の要約の仕方に問題があるのか、「奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う」という、美学校の『中ザワヒデキ文献研究 夏の陣』*2における武田美和子さんのものだとされる発言の文脈が殆どわからなかった。ちょっと抜き取ってみると、 「奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う」――。事の発端は、東京・京橋のギャラリー「ギャラリーセラー」のディレクター、武田美和子さんによる発言だ。武田さんは2013年9月25日、現代美術家・中ザワヒデキさんによる講義イベントに出

    奈良、村上、会田etc. - Living, Loving, Thinking, Again
    jgw
    jgw 2013/10/12
  • 榎忠 オーラル・ヒストリー 第1回 – 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

  • 音楽芸術は公共財か?(4/6) - 現代古楽の基礎知識

    第4回 芸術というゾンビ 「音楽芸術は公共財である」という掛け声はすでに無効だ。そのことがはっきりしているのに、あたかもそれが有効な物言いとして流通しているのはなぜだろうか。それは、旧来の音楽芸術概念がゾンビとして生き残っているからだ。それをゾンビとして生かしているのは意外にも、旧来の枠組みで非芸術とされた音楽に携わる人々である。今、音楽芸術概念を最も必要としているのは、ポピュラー・ミュージックを中心とした生産性の高い音楽ジャンルなのである。そのカラクリはこうだ。 芸術は死んだ。それも、芸術なるものは幻想だ、なにものも旧来の意味での芸術たり得ない、という死に方をしたはずである。しかし、芸術概念はしぶとく生き残ってきたというのが実際のところだ。たとえば、19世紀半ばに始まる「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、芸術と日用品のあいだの境界を取り除き、両者の融合を図ろうとしたが、それは日用品を芸術

    音楽芸術は公共財か?(4/6) - 現代古楽の基礎知識
  • 芸術と批評と権威

    qual quelle @qualquelle ヴェネツィア・ビエンナーレにしてもだ、束芋より田中功起、植松由佳より蔵屋美香なのは分かり切った事だろう。だから無視してはどうだろう。 2010-07-20 22:48:10 qual quelle @qualquelle これは言っておくと、田中功起は重要である。蔵屋美香も絶対に無視してはいけない。彼女の論文は東近美のサイトで劉生論などのPDFが手に入る。面白いから読むべきである。 2010-07-20 22:51:00 qual quelle @qualquelle それから、瀬戸内国際芸術祭にしてもだ、青木野枝が気にわない人は無視してはどうか。何が恒久設置だ。毎朝、犬の散歩のついでに小便かけてやれば良いのではないか。その逆に、市民運動が気にわない人も無視すれば良いのだ。 2010-07-20 22:53:53

    芸術と批評と権威
  • 吐き気を催すほどに高尚な - Danas je lep dan.

    数ヶ月前の他所様のエントリをダシにしてちょっと語ってみようかと思う。僕は最近、学問・芸術・美味にせよ、レヴェルが高いものそのものに興味があるように思え、一人でその探求をするのが自分の人生だ、と思いつつありました。そのような時に、スローターダイクを読み、基的にそれでよいと確認したのでした。しかし、問題は山積です。大衆化は止められない時流であるのはスローターダイクも指摘しており、そこで高尚なものを賞賛することは、大衆から鼻持ちならないと憎悪される対象になるということです。これは、実際には金を稼ぎつつ職場では鼻持ちならない人間であることを隠し、プライベートでは他人とのかかわりを避け、その中で探求を続けるしかないと思います。また、結局は学問・芸術・美味も大衆社会の中に存在するものなので、それらに対する大衆の直接攻撃に対してはどうするのかという問題があります。まずは自分がそのレヴェルの高さを熟知し