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ブックマーク / bach.hatenadiary.jp (2)

  • 音楽芸術は公共財か?(4/6) - 現代古楽の基礎知識

    第4回 芸術というゾンビ 「音楽芸術は公共財である」という掛け声はすでに無効だ。そのことがはっきりしているのに、あたかもそれが有効な物言いとして流通しているのはなぜだろうか。それは、旧来の音楽芸術概念がゾンビとして生き残っているからだ。それをゾンビとして生かしているのは意外にも、旧来の枠組みで非芸術とされた音楽に携わる人々である。今、音楽芸術概念を最も必要としているのは、ポピュラー・ミュージックを中心とした生産性の高い音楽ジャンルなのである。そのカラクリはこうだ。 芸術は死んだ。それも、芸術なるものは幻想だ、なにものも旧来の意味での芸術たり得ない、という死に方をしたはずである。しかし、芸術概念はしぶとく生き残ってきたというのが実際のところだ。たとえば、19世紀半ばに始まる「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、芸術と日用品のあいだの境界を取り除き、両者の融合を図ろうとしたが、それは日用品を芸術

    音楽芸術は公共財か?(4/6) - 現代古楽の基礎知識
  • 音楽芸術は公共財か?(3/6) - 現代古楽の基礎知識

    第3回 音楽芸術 さて「公共財としての音楽芸術」は前述の3つの性質を兼ね備えていなければならないので、その音楽芸術とは個別の事柄、たとえば1回1回の演奏のことを指しているわけではない。10人が入れるサロンで演奏を行うならば、11人目からは排除されることになるし、チケット代金が定められていれば、ただ乗りすることはできない。 公共財の条件を満たす「音楽芸術」とはつまり、概念としての「音楽芸術」だ。概念であれば、非競合的で排除不可能的な上、外部経済を持ち得る。音楽芸術が公共財なのだとすれば、その音楽芸術とは、作曲、ひとつひとつの楽曲、1回1回の演奏、そのたびごとの聴取、録音、放送、批評、教育などを総体として表現した、概念としての音楽芸術でなければならない。もちろん、その概念を担保するのは個々の音楽現象に他ならないから、昨夜子どもに歌った《ブラームスの子守唄》も音楽芸術だし、明日聴く《越天楽》の演

    音楽芸術は公共財か?(3/6) - 現代古楽の基礎知識
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