村上春樹がエルサレム賞受賞記念のスピーチで、ガザ攻撃について言及したそうです。 ■村上氏、イスラエル授賞式で講演 「制度が組織的に人を殺す」 http://www.47news.jp/CN/200902/CN2009021601000122.html 【エルサレム16日共同=長谷川健司】作家の村上春樹さん(60)が15日夜、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で記念講演し、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃に言及した上で「わたしたちを守るはずの制度が組織的に人を殺すことがある」と述べ、一人一人の力で国家や組織の暴走を防ぐよう訴えた。 (・・・) 講演は英語で約15分間行われ、約700人の聴衆が大きな拍手を送った。一方で「政治的な内容で不愉快。イスラエルに賞をもらいに来て批判するのはおかしい」(中年男性)という声も聞かれた。 ■村上春樹さんの講演要旨 http://www.chugo
初心者による初心者のための言語学の本 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake最近なにかと大変そうなBrittyさんにidコールされたので、言語学入門書バトンだと曲解して返事とします。ちなみに、セクハラ云々の議論は1文字も読んでいませんが、私はBrittyさんを支持します。なぜなら、私はBrittyさんが個人的に好きだからです。id:ekkenさん、何があったか知りませんがとにかくやめてください!本の基準は特にありません。別に「初心者のために〜」とか狙ってません。むしろ、奇を衒って難しめなのも入れました。英語のも入ってます。 ここまで書いて、元気がなくなったので、本の紹介は「超要約」にします。 抗争する言語学作者: フレデリック・J.ニューマイヤー, Frederick J. Newmeyer, 馬場彰, 仁科弘之出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2004/10/14メディア: 単行
先日、お声をかけていただいて、SF地区の一橋大学OB会(如水会)の集まりに出席した。途中中断した時期はあるものの、SF支部が最初に設立されたのはなんと1908年という、文字通り100年の歴史を誇っているそうだ。そもそも外国との取引のできる人材を育てるという目的で作られ、今でも「Captains of Industry」がキャッチフレーズというこの大学の面目躍如、ではあるのだが、改めて複雑な気持ちにもなった。 シリコンバレーに引っ越してから10年経つけれど、ここで一橋のOBに会うことはこれまで稀だった。ニューヨークでは、金融・商社などの人がたくさんいたが、私のつきあいの深い、通信・携帯・IT・ウェブ・コンテンツといった業界で、アメリカで仕事をしている人はあまり多くない。例えばJTPAの仲間のように、ここに根を下ろして、グーグルやオラクルやアップルで働いてます、という人には会ったことがなく、ま
実は今まで隠してきたのだが、浅田真央が好きである。自分でも、こんな二十歳未満の、そんな美形じゃない女のどこがいいのか、と抑圧して、新聞などに写真が出ていると、切り取っておきたいのを抑えてきたのだが、今日はテレビで観た。まるで自分の娘が踊っている(?)ようにどきどきした。 解説が八木沼純子だったが、私は彼女も好きだった。これは美人だった。当時の八木沼の愛称は「ジュンジュン」だった。その後、初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である。いやもちろん、谷崎年譜から始まったからジュンジュンではあるのだがね。 - 文藝誌の匿名時評、相変わらずダメだなあ。「侃侃諤諤」は島田雅彦でもからかっているのか知らんが、面白くないし、「相馬悠々」も微温的だし。『週刊現代』の「ナナ氏」まで微温的になってきた。どうなって
ミネルヴァ書房 2008年6月 「六〇年代末の大学紛争は、大学における学問のあり方をめぐって行われた」と羽入氏はいう。また、養老孟司氏はいう。「全共闘は大学解体を叫んでました。学問とはなんだ、研究はなんのためだ。紛争が収まってから、私のほうは、それに対する返事をまだ考えてたわけです。」「東大紛争が起こったとき、私は助手になって二年目でした。学位論文が済んで、次の論文を書いて、それが英国の雑誌に採用されたところでした。」 それが紛争による研究室封鎖で研究室を追い出された。研究活動を物理的に阻害されたわけである。全共闘の問いに応えて自分から研究をやめたのではなく、意志に反して無理矢理研究を止めさせられた。「でも私自身の研究は本気でしたよ。だから研究室を追い出されたとき、本気で腹を立てました。はたで見ていた人が「顔色が真っ青だったよ」と、あとでいってたくらいです。・・あの当時私が本気だったからこ
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20090215/1234635379 なるほど。久しぶりにネット上で、説得的な文章を見た。 私はもう十年ほど、学者は学問をしていればいい、と思ってきた。「生きることの意味を問う」たりするのは「学問」ではないと思ってきた。それは、私自身が、自分で生きることの意味を考えていたからである。しかし東大のような場に、碌に生きることの意味など考えていない教員が多数いることは間違いない。平均寿命を百歳にまで押し上げればよいのだと能天気に考えるような禁煙ファシストがのさばるのも、そのためである。しかし、そういう「問い」を抱え込んだ人間というのは、育てられるものではなく、先天的なもの、最初からそのような人間であるものだ。大学での教育によって、「生きることの意味」を考えるような人間を育てることはできない。 だが、西部先生がその当時不快に思っていたの
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