東海地震が明日にも来る!と言って社会の注目を浴びた東大地震研助手だった石橋先生は、原子力安全委員会検討分科会委員つとめ、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改正作業に携わった。 しかし、1)科学的な検証をしていない、2)多くの人の懸念が示されているのに考慮しない、ということを主たる理由に、委員を辞任したのは2006年8月のことだった。地震が頻発する日本で杜撰な地震指針を作るわけにはいかないと石橋先生は主張したが、それは通らなかった。 翌年、新地震指針は私が委員を務めていた基準部会に上がってきた。報告した東大名授は地震指針の成立にあたって強い異論があり、石橋先生が辞任したなどと言うことは一切触れず、通り一遍の説明をした。この部会で私は最初に発言し、「地震指針の目的は何なのかハッキリしない」と質問したところ、分科会でも学問的な審議を妨害した水間課長が約2分の質問に20分の訳のわからな
■ 「個人情報」定義の弊害、とうとう地方公共団体にまで 現行個人情報保護法の「個人情報」の定義に不備があることを、これまでずっと書き続けてきた。「どの個人かが(住所氏名等により)特定されてさえいなければ個人情報ではない」(のだから何をやってもよい)とする考え方がまかり通ってしまいかねないという危機についてだ。 2003年からはRFIDタグ、2008年からはケータイIDによる名寄せの問題を中心に訴えてきたが、当時、新聞記者から説明を求められるたび、最後には「被害は出ているのでしょうか」と、問われたものだった。当時は悪用事例(不適切な事例)が見つかっておらず(表沙汰になるものがなく)、これが問題であるという認識は記者の胸中にまでしか届かなかった。 それが、昨年夏から急展開。スマホアプリの端末IDを用いた不適切事案が続々と出現し、それぞれそれがなぜ一線を越えているか説明に追われる日々になった。ス
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
[書評]センタリングの祈りと内面の目覚め(Centering Prayer And Inner Awakening)(シンシア・ブジョー) 詳しく調べたわけではないが日本語の訳本はないのではないかと思う。シンシア・ブジョー(Cynthia Bourgeault)による「センタリングの祈りと内面の目覚め」というタイトルはオリジナル「Centering Prayer And Inner Awakening」(参照)の仮訳である。内容はそのまま、「センタリングの祈り」についての簡易な解説であり、その歴史と神学的な背景も平易に説明されている。彼女の語りくちも興味深く、英語も平易で読みやすい。 「センタリングの祈り」とは何か? 公式な説明ではないが、「人が存在の中心(センター)である神に立ち返る祈り」としてよいのではないかと思う。 命名したのはシンシアの師でもありこの祈りの現代的な提唱でもあるトーマ
極私的回想で書いたような単なる自分語りですが、考えを伝えるとか、表現する、言うべきことを言う、といったことに重きをおかないよう気をつけています。 世の中的には、少なくとも建前上、「考えをキチンと表現して伝える」ことは「良いこと」とされています。実際、これらが大事な場面というも沢山あるでしょう。 また、何かを書き綴って(あるいは別の方法で)表現出来た時、さらにそれが他人に理解された時の悦びというのは、素晴らしいものです。「書く」ことに格別にひっかかってきた(ひっかかってしまった)人間としては、非常によく分かります。 しかし、この悦びというのが曲者です。考え(あるいは別のもの)を「表現する」とか「伝える」ことの快感というのは、麻薬のようなものです。 別に麻薬が絶対悪だと言うつもりはありません。時にはそういう快楽があっても良いでしょう。お祭り騒ぎだってたまにはしたいです。 しかし、年中お祭りをや
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