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2012年8月29日のブックマーク (5件)

  • CSRFによる冤罪、誤認逮捕か。大阪市ウェブに大量殺人予告での逮捕の件: ホットコーナー

    ブログ(iiyu.asablo.jpの検索) ホットコーナー内の検索 でもASAHIネット(asahi-net.or.jp)全体の検索です。 検索したい言葉のあとに、空白で区切ってki4s-nkmrを入れるといいかも。 例 中村(show) ki4s-nkmr ウェブ全体の検索 ASAHIネット(http://asahi-net.jp )のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。 --- 橋下徹市長の大阪市のウェブで「大量殺人をする」と投稿したという容疑で、 アニメ演出家が逮捕された件。 たとえば、 http://mainichi.jp/select/news/20120827k0000m040038000c.html 殺人予告:大阪市HPに書き込んだ疑いで42歳演出家逮捕 http://

  • 英語の動詞には未来形はない: 極東ブログ

    英語についての話。「はてな」にちょっと面白い質問が上がっていた(参照)。 英語について、どうして過去は、過去形とかで表現するのに(wentとか、cameとか。)、どうして未来形は助動詞で表現するのか、歴史的背景や文化的背景から何か理由があったら教えて下さい。 回答期限を早々に打ち切ったのか、掲載されている回答は一件のみ。しかも、その回答はちょっと検討違いのようだ。 ヘブライ語の説明に、神にとっては、すべては、すでに完了した、という、時制などを問題にしない、時間を超越した存在である事を意味し、それは、端的に聖書ヘブライ語の中に表現されている。とあります。 英語もその影響をうけて、すべてはすでに完了したこととして考えて、文法としての未来形というものをもっていないのではないでしょうか。 え?みたいな感じだが、もとネタ「ヘブライ語の超論理性について」(参照)自体、愉快な説明だ。 ヘブライ語は、伝言

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/08/29
    ロシア語は時制がない。
  • [書評]死との対面 瞬間を生きる(安岡章太郎): 極東ブログ

    先日ふと鶴見俊輔さんと安岡章太郎さんのことが気になって書店でぶらっとしていたら、安岡章太郎さんの「死との対面 瞬間を生きる」(参照)が文庫で復刻されていたのを見つけた。なぜと思うこともなく読んだ。 扉裏には、「書は『死との対面』(1998年/小社刊)を加筆修正し文庫化したものです」とあるので、現在92歳の安岡先生の近況も含まれているのかと期待したが、初版と比較したわけではないが、ざっと読んだ限りでは、特になかったように思う。前書きも1998年のままだった。 気がつく加筆がまったくなかったわけではない。近藤啓太郎について触れた段落の末には、括弧で、(註・近藤氏は二〇〇二年没)と追記されている。初版と復刻の間に亡くなった。近藤啓太郎と限らず、あちこち没の追記がある。バトルロワイヤルという趣向でもないが、安岡先生の存命が強調されている。 1998年に安岡章太郎は78歳。表題の「死との対面」も

  • 異端エリート層を育てる「異端中間層」の厚み - アンカテ

    私が、いじめがなくても学校からもう逃げ出した方がいいというエントリで一番言いたかったことは、「人と同じ道を歩む」ことに与えられてきた暗黙のインセンティブを意識しよう、ということです。 図にするとこんな感じです。 大量生産の製造業が経済の推進力で、それが社会のパラダイムを支配していた時代には、この「正統派中間層」を手厚く支援して、そこに周辺の人を引きこむことは正しい戦略です。 この丸から大きくはずれた人は余分な苦労を強いられますが、日全体の経済力が向上すれば、その恩恵が回ってくる側面もありますから、国の政策としては間違ってなかったと言えるでしょう。 問題なのは、これが意識的、明示的に国策として行なわれたのではなく、たまたま国民性と経済のニーズが一致したことで、誰もが意識しないうちになんとなく、自然にそうなったということです。無意識的に行なわれたので、かえってその分だけ強力に推進されたのかも

    異端エリート層を育てる「異端中間層」の厚み - アンカテ
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/08/29
    "これからは、無意識に行なってきた意思決定を意識的に調整していかないと、残念な思いをすることがだんだんと増えてくると思います"
  • ボルドー断章 - kom’s log

    7月から8月半ばまで、夏だというのに申請書だの原稿だのフィンランドのプログラムだの〆切がいろいろあって、ドタバタしていた。技術関連のミーティングに登録したら、会議の紀要に論文を書くことが必須なのだという。生物系だと概要だけ書いて発表なので勝手が違う。理系でも分野による作法の違いは著しく。このあたりの差が、複合分野の場では申し合わせのなかった不測のあれこれを引き起こして慌てたりするのだが、まあ、なんというか、ある分野で常識と思っていることは他の分野では非常識だったりするわけである。違う文化。 - ドタバタしていたのはこれまでほとんど出張との組み合わせでしか休暇を取らなかった私には少々難度の高い家族旅行という〆切もあったからである。あらかじめの用事もなくスクラッチから旅行を考えるのは久しぶりだった。行き先は今や貧乏画家のフランス人の友人が住むボルドー。彼は「政治にまみれた科学」に失望しポスドク

    ボルドー断章 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/08/29
    樹上生活者すごい