わたしは、こう思う、こう考える、 というときの「こう」の内容は、どのようなものであろうと、それを言った人「個人」の思うこと・考えることであり、それ以外ではあり得ません。 いやいや、「個人」ではなく、「学校」の意見だ!?「国家」の意見だ!?「人類」の意見だ!? 組織や、団体や、共同幻想体が、意見をいうわけはありませんので(笑)、誰かさんの主張ですから、その誰かさん「個人」の意見であり、意識です。 話し合って、合意した意見というのはありますが、それもまた個人と個人が話し合うのであり、お化けのような抽象的人間の意見や意識!?などあったらビックリ~~ これは、当たり前の話ですが、この当然の前提を踏まえない人、自覚しない人、おかしな妄想に憑りつかれている人がいるので、狂気の国家主義(国家という実体がある)が生まれてしまいます。 たとえ家族であれ、その四人なら四人の「個人」が存在し、それぞれ「個人」の