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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (98)

  • 原子の名前 - kom’s log

    の放射線防護部会の議事録を一年ぶりぐらいに眺めた。当時は事故前の議事録しかなかったのだが、事故後の議論がいろいろアップデートされていた。次はその抜粋。 【米原委員】 活性汚泥で東京都などが問題になっていることを含めると、現存被ばく状況はどこまで適用するかというのは、これはちょっと議論しておく必要があると思う。 そのような活性汚泥などが、障害防止法の定義数量を超える濃度になった場合に、どういう措置をするかということに関して放射線規制室から教えていただきたい。 【中矢放射線規制室長】 放射線障害防止法の立場からお答えすると、(広く拡散している)セシウムについては、発生元が原子炉施設の核分裂生成物である。核分裂生成物としてでてきた物については、原子炉等規制法の中の対象である。したがって、放射線障害防止法の対象ではない。 放射線審議会基部会 (第39回)議事録 http://www.mext

    原子の名前 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/05/18
    "これらの汚染は原子炉由来であるから、放射線障害防止法では規制しない、と、当の管理を行う国の責任者が放射線防護部会基本部会で述べている"
  • 近況 - kom’s log

    昨年の11月にバルセロナのことを書いてから、年末年始に車でバルセロナ、今週もバルセロナとなにやらバルセロナにばかりいっているのだが、半分は友達が大勢住んでいるからであり、半分は仕事である。友達がいると仕事もなにやら舞い込んでくるので、どちらがどちら、と分別するのも妙なものなのだけど。直近のバルセロナは出張だった。三泊だけなので、今回は無珍先生、お留守番である。 最初の夜はお気に入りのバルに空港から直行、一人でエスケシャーダだのカジョスだのを感動しながらべているうちに、だんだんと友達が集まってきて、7人で夕飯。二日目は学会関連の人たちと友人たちがごちゃごちゃに混じって、入るレストランがみつからず、あまりうまくないレストランで豚足をうことになったが、なんだかんだいってその後は夜半までバルで侃々諤々であった。三日目は和う、とかで「てんぷらや」という店にいって、これまた8人ほどの友人及び

    近況 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/05/05
    "そもそも国家というシステムは便利ではあるが、信じるかどうか、ということではない。住んでいる人間が使い倒す対象の筈である"
  • 三回忌 - kom’s log

    6月の終わりから7月のはじめにかけて日に行った。用事はいろいろあったのだが、もっとも重要だったのは3月末にしそびれてしまった無珍先生の母親の三回忌である。震災がある前に飛行機の仮予約などもすませて、義理の妹ともども三人で3月末に日に行く予定だったのだが、原発がどうなるかわからなかったので、震災の数日後にはキャンセルした。そんなわけで、他の用事にあわせて3ヶ月遅れの三回忌になったのである。 無珍先生が三回忌にいないのもなんだよなあ、としばし迷ったものの、わざわざリスクを負わせる必要はないだろう、と思って結局連れていかなかった。我々をとても気にかけている(我々、というか無珍先生である)こちらの友人一同にしてみれば、もし連れて行くならば「感情的な行動」と映るだろう。日の方々はしらんかもしれないが、国連によるリスク評価によれば原発事故後の日は紛争地帯に相応するリスクレベルなのである。3月に

    三回忌 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/07/22
    "日本の方々はしらんかもしれないが、国連によるリスク評価によれば原発事故後の日本は紛争地帯に相応するリスクレベルなのである"
  • ■ - kom’s log

    オチがあるわけではない、たんなるメモ。 ドイツの文学者エーリッヒ・ケストナーに『飛ぶ教室』という名著がある。そのまえがきがすばらしい。 どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう?そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?(この機会に私はみなさんに心の底からお願いします。みなさんの子どものころをけっして忘れないように!と。それを約束してくれますか、ちかって?) この人生では、なんでかなしむかということはけっして問題ではなく、どんなに悲しむかということだけが問題です。子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。誤解しないで下さい、みなさん!私はただ、つらい時でも、正直でなければならないというのです。骨のずいまで正直で。 人

    ■ - kom’s log
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    jiangmin-alt 2011/06/23
    "ドイツの文学者エーリッヒ・ケストナーに『飛ぶ教室』という名著がある。そのまえがきがすばらしい"
  • ギリシャ - kom’s log

    過去無珍先生と離れて暮らしたのは最大48時間であるが、ついに4泊5日のミーティングに一人で参加して少々緊張気味。義理の妹にこの半月で左ハンドル右側通行マニュアル運転をカタロニア人の友人と共に特訓し、送り迎え等に効率の滞りがないように計らったのであるがやはり不安である。ひそかに友人一同にも私がしばらくいなくなることを告げ、たとえ私が道中遅滞、逮捕、行き倒れなどになってもどうにかなるようにはからったつもりである。とはいえ、今日は泣いていないだろうか、など不安になりながら、ここ数年はじめて格的にひまになった時間、空港で待合席に座りながら虚空を眺めたり、ミーティングのコーヒーブレークの列にならんでぼけっとした瞬間、私は育てるのに必死なばかりだったのではないか、とはたと気がついた。無珍先生を自分が好きになっていることにはじめて気がついたのである。無珍先生という人間、たとえば今日は保育園で例のごとく

    ギリシャ - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/06/08
    "ミーティングのコーヒーブレークの列にならんでぼけっとした瞬間、私は育てるのに必死なばかりだったのではないか、とはたと気がついた。無珍先生を自分が好きになっていることにはじめて気がついたのである"
  • 近況 - kom’s log

    ー 無珍先生はかなり言葉をしゃべるようになってきた。ドイツ語と日語のごたまぜ。単語をふたつならべてしゃべる感じである。それでも結構なコミュニケーションがとれるので、なかなか楽しい。ただ、朝まだこちらが寝ているときにダイビングで飛び乗ってきて「パパ起きた、パパ起きた」と騒ぐのは心臓がでんぐりがえるので勘弁してほしい思う。散歩の帰り道には家の近くにあるジェラート屋の前をとおるかなりて手前から「アイス、アイス、アイス」と催促する。一番少量のセットである三つほどの玉のアイスクリームのうちひとつを自分で選び3ユーロで買って、手をべたべたにしながら自分でもって家に戻り、ご満悦でアイスクリームをべる。アイスクリームはあまり好きではなかったが、付き合ってべているうちになんとなく好きになってきた。 ー 6時半頃家にかえってからのあそびの催促はたいへんなもので、寝てしまう9時過ぎまで私はなにもできない。

    近況 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2011/06/02
    "日本の人はまじめだ、といわれたりするけれども(あるいはそう日本の人が自分で思っているだろう)、実に内容のない真面目さなのではないか。真摯であることを差し置いて真面目であることもできる"
  • 被曝リスクの計算について。 - kom’s log

    在日アメリカ人に向けて放射線のリスクを説明する短いセッションが2011年4月7日に東京で開かれた。米国大使館のウェブサイトにビデオへのリンクが貼られており、Youtubeで4つのセッションを眺めることができる。そのうち、放射線の健康リスクに関するセッションを私も見てみた。米国の国立がんセンターのSteve Simonさんによる、セミナー形式。 http://www.youtube.com/watch?v=ESyWIbcI_qE セッションの内容の概略は以下のようなものだ。 車の運転やスポーツのリスク、タバコのリスク。タバコを一ヶ月に一吸うと身体にわるいか?一日に一だったら?あるいは一日一箱だったら?ものは程度による。放射能のリスクも同じようなことである。 放射線はどんなに微弱なレベルであっても人体に影響を与える。この影響が健康を害する結果(特に癌)にいたるかどうかは確率的に決まる。この

    被曝リスクの計算について。 - kom’s log
  • 2011-03-27 - kom’s log

    24日から27日にかけて、全体として放射線率は徐々に低下傾向。 3月24日16:00 3月25日16:00 3月26日16:00 3月27日16:00 近く、前のプロットも含めてまとめ、細かい説明も加える予定です。 データについては以前のものと同じソースなので、今のところそちらの解説を参照にしてください。 フレームが多くなってきたので、いずれ15日あたりからの積算値概算やアニメーションも加えるつもり。 この数日ではっきりしたこと。楽観的なシナリオは冷却系が外部電源によって自動的に冷却されることである。しかし、いまだ冷却系の破損そのものの状況がわかっておらず、さらには漏洩する高濃度の放射線物質を含んだ水によって、修理の難度が高くなってしまった。なにしろ継続して人が故障部位に入ることができないのである。したがって、現状で想定される今後数ヶ月の、ありそうなシナリオは、原子炉や使用済み燃料棒を今の

    2011-03-27 - kom’s log
  • 2011-03-22

    東北南部、関東の放射線率の大域分布がどこにもみあたらないので、等高線プロットした。 使ったデータは、文科省発表のものを機械可読化したデータを使用した。 そのままではきわめて読み込みにくいPDFのテーブルから、可読な形に変換しているのは三重大学の奥村さん*1、NTTデータのスタッフなどのボランティアの努力によっている。もとのデータはおそらくエクセルなどのスプレッドシートに文科省の担当者はまとめているはずなのに、書式にこだわってだかなんだか、この重大なデータの汎用性がさがっている。このあたりどうにかできないものか。 18日16時 20日16時 21日16時 22日16時 また、この文科省のデータからはなぜか福島県と宮城県のデータが省かれている。福島県庁のウェブサイトにいけば、データがあるのだからなぜ他の県と同じようにまとめてくれないのか、とも思う。うえのプロットには、福島県庁のサイトのデータも

    2011-03-22
  • ■ - kom’s log

    築地の場外の刃物屋で牡蠣剥きの器具を買った。ヨーロッパと比べると、刃渡りが長く細身。日の牡蠣のほうが一般にサイズが大きめだからこのようなことになるのかな、と思う。店の人に、牡蠣剥き器のことをきいたら、プロ用のものもあるというので、見せてもらったのだが、切り出しナイフを細くしたような形で、先端はとがっている。斜めに短く刃がついている。貝柱をキレイにさくっと切ることができるそうである。彫刻刀にみえなくもない。カッコイイ、と心の中で感嘆し、欲しくなったが私は普通の牡蠣向き器でも手をさすことが時々ある。とくに酔っ払いながらやると刺す。かくなるプロ仕様でやったら、手の平をざっくりやってしまう可能性があるので、自ら禁じることにした。あー。それにしてもかっこいい刃物であった。 成田空港の屋で(思えば今回屋にいったのはこの屋だけだった)中央公論の大学問題関連の特集に気がついたので、買って機中で読ん

    ■ - kom’s log
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    jiangmin-alt 2011/01/14
    "体系はいわばカタである。チャート式に示すこともできるが、自分でやらないと実はわからない"
  • ■ - kom’s log

    2年足らずの間につぎつぎと亡くなった義理の祖父、義理の母、自分のが残したものを、日に来るたびに少しづつ片付けている。義理の祖父は中国史の学者、義理の母は栄養学の研究者、自分のは建築設計者であったが、いずれもや書類を集積するのが仕事の一部であるので(とくに歴史家が天寿をまっとうして残したの数は激烈である)、片付けるといっても一気に終えられるものではない。だから、日に帰ってくるたびにや書類を片付ける、という作業がスケジュールに入る。 埃をかぶりながら茶色を通り越してほとんどくろずんだ戦前の中国文化論のなどを眺めているうちに、抽象的なことを考える。人口構成比を考えると、これからの日人の若い世代が行うのは、上の世代が生きた時代の後片付けなのではないだろうか。日の成長の時代はとっくに過ぎて停滞となり、今後は衰退する。国の調子が循環的に変動するものならば、成長の時代はまたやってくる

    ■ - kom’s log
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    母校の学部4年生向けセミナーで講義。1年半ほどかかわった共同研究の話をした。 実に激しい競争が起きている分野だったので、それを目の当たりにしてなおかつ巻き込まれた経験は私にとって面白くはあったが辟易する場面もかなりあったりした。なにしろ、プロジェクトの立ち上げにかかわり論文に名前が入ることが最初から決定していた元院生がその後競争相手のラボのポスドクになって論文の結論に反旗を翻す一方、また別の研究室が真っ向から対立するデータを出し、さらに私自身の解析は、どちらかというと敵方に組するような結果となった、というような錯綜する状況で、論文の落としどころは極めて困難な状況になった。さらにネイチャーやサイエンスの編集者との終わりなきバトル(電話とか、アポなし学会突撃などである)まで延焼し、結局対立点をすり合わせながらギリギリの合意点に到達、という論文になった。科学はそうやって仮説を戦わせながらすすんで

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  • ■ - kom’s log

    10月の頭にはオーストリアのインスブリュック大学の山の家(Obergurgle)、標高2000メートルにいった。日でいえば、合宿所、とかかな。院生などを教えた。ほとんどが地元の院生だが、ドイツからもちらほら。アメリカのバークレイからもひとりきていたが、帰省をかねてとのことだった。招待された講師の方は、ほとんどが知り合い、もしくは論文で名前を知っている人たちだったので、雑談がてら最近の業界ウラ事情など知ることができた。 例のごとく無珍先生と義理の妹を連れて行った。こうした専門的なコースの合宿に家族を連れてくる人はあまりいないので、珍しい人、ということになってしまう(義理の妹は事情を説明しない限り、奥さん、ということになる)。事とかの際に学術的な話をする一方で、無珍先生を追いかけ回して飯をわせたりすることになる。ただえさえ日人でマイノリティなのであるが、輪をかけてマイノリティになるので

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    jiangmin-alt 2010/11/05
    "ドイツには元々ハロウィンの習俗はないので、こうしたことがあるようになってきたのは実に最近の話である"
  • バリ - kom’s log

    シンガポールからしばしの休暇でバリに行った。いろいろ楽しい旅行だったが、印象に残った一人の男について書く。 旅行先で観光ツアーに行くというのはいままでしたことがなかった。観光地にそもそも興味がない。飲んだりったりするほうが重要なのである。とはいえ一歳半の子供がいるので、飲んで回るわけにもいかない。車を運転してもらって観光地を回るんだったらラクだしできそうだな、と思ってはじめてツアーを頼んでみた。泊まっていたホテルのシャトルを運行している気のいいお兄ちゃんがしきりに売り込むので、ツアーをお願いすると決めたら即決だった。値段を聞いたら逆にいくらだったらいいか、というので、ガイドブックを見てそれよりも低めの値段をいったら、そのままだった。 当日ガイドとしてホテルにやってきたのはシャトルのお兄ちゃんではなく、日のチンピラのようなサングラスをかけた若い男だった。中肉中背、浅黒い肌に刈り込んだ髪。

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  • シンガポール - kom’s log

    7月中旬、二年ぶりにシンガポール。AStar(大学院)の私が関係する集中講義が二年ごとに開講されるので、そのたびにこれからも呼ばれる、ということらしい。前回と比べて思ったのは、学生がとてもアクティブに質問するようになっていたこと。しかもその内容が質的。2006年から大学院の授業をはじめたそうであるが、金をじゃんじゃんかけて米国欧州から講師をどかどかよびよせて授業しているのだから、どんどん学生が優秀になっていくのもあたりまえかもしれない。タマセックライフサイエンスの方にいるイギリス人の知人との某ハッカソン共同開催の話とかも始まって、なかなかみのりある滞在になった。もともとは日でやろうとおもっていて、日の人たちになんかできませんかね、ときいてまわったら、生物関係ではBioinformatics以外ではありえないらしい。Bioinformaticsでもないので、枠がない、担当できる教授がい

    シンガポール - kom’s log
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    jiangmin-alt 2010/08/01
    "枠がない、担当できる教授がいない、だからむずかしいとのこと。ということは日本ではあたらしいことができないってことか。ナムサン。というわけで、結局最先端の話はシンガポールにいってしまうのだった"
  • 2010-05-31

    無珍先生、犬を見て「ワワ」というようになった。きわめてマジメにこつこつとバルコニーから物を下に投げ捨てるので実に困る。 上記パブリックコメント募集中なる日発の回覧が回ってきたので、募集文書文を眺めてみた。すごく複雑。ここにはかかれていない暗黙の了解コンテクストがあるのだろう。なによりも未だに国家総動員体制でしか政策立てられないのだなあ、という政策立案者の限界を感じた。戦争は終わっていない。…と考えるのは昨日笠井潔の『例外社会』を読み終わったところで、頭がそっちに染まっているからかもしれない。 他の国家を超えるような科学政策を目指すのであれば、徹底的かつ戦略的にオープンで国家に閉じない形態を目指すのがよいだろう*1。科学の分は国家に閉じないインターナショナルな理念にあり、その王道に沿って政策を立案すれば、いまや世界の先進各国が推進する、あまたある各国の科学技術重視政策 − いずれもそれ

    2010-05-31
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2010/06/01
    "ここにはかかれていない暗黙の了解コンテクストがあるのだろう。なによりも未だに国家総動員体制でしか政策立てられないのだなあ、という政策立案者の限界を感じた。戦争は終わっていない"
  • ■ - kom’s log

    ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜 - kobeniの日記 http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20100423/1272031425 片親で乳児を育てることになった私は、日だったら研究職はあきらめなければなかっただろうな、と想像する。義理の妹がいまだに手伝ってくれているとはいえ、仕事の絶対量は確実に減った。予防接種やら熱出したやら、といったときに私は仕事を中座して病院にいき親権者として同意書などにサインせねばならない。流感であれば登園禁止になるので仕事を休んで家で面倒をみる。仕事をこれまた中座して子供の保育園の行事にも出席し、他のおかあさんたちとドイツ語で歌なぞうたう。それでもなお、仕事を続けられているのは、社会にそれをうけとめるだけの余裕があるからだと思う(個人の職業倫理としては仕事のクオリティに確実にかかわ

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  • 近況 - kom’s log

    気温10度。まだ油断できないが一番寒い時期は抜けたような。 無珍先生が伝い歩きを盛んにしはじめて、次から次へと物をひっくり返し、棚に手を伸ばし引きづりおとし、ヨタヨタと足をよろけさせて転んでは、自分で床に落としたものに顔をぶつけて、ウワーン、と泣くのを眺めているのは、うーむ、自己組織化、と思わせなくもないが要するに自業自得である。生きることはすなわち自業自得であるからして、その縮図をそこに眺める思いなのだが、眼にあたったりしたら大怪我をしてしまうだろうから、ということでこの数週間大幅に家具を入れ替えた。イケアさまさまの登場である。 イケアの家具というと心ある人々の間ではグローバリゼーションの尖兵、郊外スプロール化の権化、大量生産、安かろう悪かろう、の象徴でもあるのだが、こうなると非常に便利である。背に腹はかえられぬ、というか、時間が無いので仕方がない。暇と余裕があれば、フリーマーケットめぐ

    近況 - kom’s log
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    jiangmin-alt 2010/02/23
    すごい! すごい!
  • 対象になり切ること - kom’s log

    零歳児の世話は実に手間がかかるもので、想像はしていたがかくなる状況になることは実感として持っていなかった。そもそも私は子供を持とうと積極的に考えたことはこれまでなかったし、彼女が赤ちゃんを産むと決意したときにも、そのことがわかっていた彼女は「私が全部やる」とまで言っていたのだった。自分勝手に生きてきたこれまでの業が廻ったのか、今や私は勝手なる赤ん坊の世話をやたらとみることになったのだった。 とはいえ、よかった点、悪かった点、何事でもそうであるように双方ある。悪かった点はもちろん、自分の時間がなくなったということ。いまだに自分勝手ではあるいが、かつてのようにはいかない。よかった点は、母親の苦労を知った、ということである。父親というのは子供の世話を母親に押し付ける。多かれ少なかれ、そうなのだと私は思う。事実私の父親はそうであったし、私が父親となると知った3人の子持ちのドイツ人の友人は「男にでき

    対象になり切ること - kom’s log
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    jiangmin-alt 2010/01/06
    田中清玄
  • 秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log

    英語を喋りながら車に近づき、運転席に入ろうとすると自動的に体は車の左側に向かってしまう。扉をあけようとするとハンドルがないので、反対側に苦笑しながらぐるっとまわって右側のドアを開ける。日語を喋りながらだったらこんなことはまずない。妙なものである。何回かやってしまってからは意識して間違えないようになったけれど。 わすれないうちに彼女のことをいろいろ書きとめておこう、とおもっているうちに死んだ日から半年もたってしまった。書こうと思うとはた、と止まってしまう。まったく書けない。書きたくないのではなく、彼女のことを書こうとするとその存在のリアルさに圧倒されて書けない。死が生のリアルさを際立たせてしまうのかもしれない。文字にできない。ならない。でもなぜか英語だったらできる。日語だととても難しい。でも日語で書きたい。彼女と日語を喋っていたからかもしれない。そうこうするうちに忘れてしまうか

    秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2009/09/30
    "わすれないうちに彼女のことをいろいろ書きとめておこう、とおもっているうちに死んだ日から半年もたってしまった。書こうと思うとはた、と止まってしまう。まったく書けない"