向かい風や坂道に強いというふれこみの電動アシスト自転車だが、乗ってみて、思いがけない効用があった。 今までは、発進時の労力が小さいものではなかったので、なるべく止まらないように走行していた。つまり、信号無視をし、路側帯でないところを走り、一時停止をしなかった。 ところが、現在は、いったん止まっても、再び走り出すことが、モーター駆動で楽になったので、交通ルールを守って走行するようになった。つまり、以前よりも、ずっと安全になった。
猫という生き物が最強なのは、人間に対してもっとも無関心だからだろう。猫は「お前らなどにたいして興味がない」というメッセージを常に出すことで、人間(飼い主)から自由でいられる。 そういう意味で「無関心」は武器だ。コミュニケーション上、相手に対し無関心でいられた方がより優位にたてる。そして、相手に興味を持ってしまうと、相手の意図に取り込まれてしまうのだ。 しかしながら、これが人間界で行われるとさながら悲喜劇である:男 「おれ、お前にこれっぽっちも興味ないからな!」女 「は!?私だってアンタのことなんてどうでもいいから」男 「何言ってんの!?最初誘ったのお前だろ。お前は多少興味があるんだろ。繰り返すけど俺はお前の話は別に聞きたくない」女 「ちょっと社交辞令で誘ったら喜んで付いてきたのはどっちだよ。」男 「は!?気があったんだろ、お前」女 「ねえよ。つうか××する気満々だったのどっちだよ」男 「
その他「禁忌KiDs」初めてこの本を目にしたとき「ちょっキンキキッズーーー!!」という気持ちになったが、本の持ち主はだいがいテンパっていることが多いので、なかなかツッコミが入れられなかった。禁忌KiDsは医師国家試験の対策本、KiDsシリーズの一つで禁忌問題を扱っているもの。禁忌問題とは「医者としてこれを間違えちゃまずい、人死にが出るぞ」というような設問で、他がどんだけ正解してても禁忌問題を2,3問間違えると不合格になるという地雷である。推理小説なんかによく出てくる強心剤のジギタリスを投与しちゃいけない患者はどーれだ、みたいなことが書いてある多分。破片が胸へと突き刺さるだけのことはある。 ところで以前、オーストラリア人留学生に「日本の曲は好きだけど"KinKi Kids"はやばいわ」と言われた。"キンキ"はkinkyとつづり、発音が似ていてkinkyは変態という意味だ。「変態坊や達」か。映
アポロ陰謀論とかいう以前に さすが”と学会”会長は馬鹿を見つけるのが巧い。 アポロが1回どころか6回も月着陸した*1のを知らないとか、アポロは歯の神だと思ってたとか、太陽と月と地球の位置関係がわかってないとか、日食の原理を知らないとか、月は太陽が海で冷されてふたたび上がってきた姿だと思ってたとか、そういう人が世間の多数派だとして、何か問題があるのか? むしろ、税や医療費の仕組みを知らないことの方が、ずっと問題がある。生活にかかわってくるのだから。 世間の人の大半は、高額療養費を知らない。知っていたら、民間医療保険なんかに入るわけがない。
クリック統計学をマスターする、ただ5つの方法 - 女教師ブログのB面クリック統計学エクセルや統計ソフトのボタンを「クリック!」することで統計解析を行う学問。最近の統計ソフトは、分析結果を提示する際に必要な係数や情報を、一回のクリックで一度に出力してくれる便利なものが多い。しかし、そうした便利さゆえ、「統計学とは何ぞや」ということをちっとも理解していないような、ひどい統計解析を行う立場。および、そうした立場を「統計はツールなんだし、数式なんて覚えなくていいじゃん」のように開き直る理論的態度。*1 1. 似た変数を統合する前に、単純集計・クロス表・グラフなどをつかって、「生データ」の特徴を徹底的に調べましょう。 たとえば、英語読解力、語彙力、発音の正確さ、流暢さなどが、すべて英語力に関係するものだからといって、それを統合していい理由は少しもありません。「似ている」「関係している」というのと、「
クリック統計学エクセルや統計ソフトのボタンを「クリック!」することで統計解析を行う学問。最近の統計ソフトは、分析結果を提示する際に、必要だと“言われている”係数や情報を、一回のクリックで一度に出力してくれる便利なものが多い。そうした技術的革新に敬意を払い、それらをそのまま報告書や論文に貼り付ければ、思考や紙の節約になって、とても良いことであると考える理論的立場。*1 1. とりあえず、似たような変数はすべて足し合わせなさい たとえば、英語読解力、語彙力、発音の正確さ、流暢さなどはすべて英語力に関係するものですから、構わず足し合わせましょう。それらを個別に、ちまちまと検討するのは紙と時間と思考の無駄遣いです。みんな似ているのですから、足していいのです。あるいは、「国語力」や「コミュニケーションへの積極さ(外向的性格)」なども、たぶん、英語力に関係しているはずですから、必要ならば足してしまいま
見出しは演出です。奇妙でも何でもありません。答えは最後。 昨日、町中で、都議選の候補者なのか応援演説をしている人なのかはわからないが、次のようなことを言っていた(うろ覚え)最近の日本語はひどく乱れています。たしかに言葉は「生き物」ですから、変わるのは仕方ありません。しかし、最近の「言葉の変化」は速すぎます。そして、大きすぎます。問題なのは、言葉の変化の「速度」、そして変化の「質」なのです。 「言葉は生き物」などと恥ずかしげもなく(いや、実際恥ずかしかったかもしれないが)言ってしまうあたり、「言説に語らされている」感が否めないが、それはともかく、私はこれを聞いてわりとぶったまげた。というのも、「言語変化の質と速度が問題」というのは、消滅の危機に瀕する少数言語の保護運動に携わっている人がよく使うレトリックだからだ。 つまり、少数言語話者たちが自分の母語を忘れていくのは、言語変化の必然なのだから
読書教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)作者: 苅谷剛彦出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/06メディア: 新書 「教育と平等」と言われると、思わず、教育格差を「告発」し、「教育は平等であるべきだ!」と高らかに叫ぶ、そういった内容(格差社会論のステレオタイプのような内容)を想像してしまう。もしかすると、タイトルに引きずられて、そのような「オチ」を期待する人も多いかもしれない。しかし、そのような期待を持って本書を読み始めると、混乱(落胆、というよりは、混乱)するだろう。 というのも、著者は、徹底して、「教育の平等」を相対化しているからなのだ。 つまり、私たち「日本人」が当たり前のように使っている「平等」という概念が、実は、「面の平等」という、特殊日本的な平等観であることを描き出しているのである。この「面の平等」とは、欧米とくに合衆国の「個の平等」と対立す
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