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ブックマーク / yujivocabow.blogspot.com (18)

  • 批判は役に立つか?

    ある議員が「批判なき政治を」というスローガンを掲げました。「批判なき政治とは何だよ? 全体主義だろ」という声が当然のように上がる一方、「大衆にとって、批判は集団の和を乱す行為にすぎない。そういう大衆をちゃんと理解を理解しないとダメだ」という主張も出てきました。 たしかに「批判」は問題を起こすだけ、と嫌がる人は少なくありません。意見・利害も対立し、立ち往生する。だから「決められる政治」という言葉も流行った。しかし、批判して問題を起こし、立ち往生させることは、ホントに悪いことなのでしょうか? 東大ロースクールの初年度の問題は、次のようなものでした。 (1)下線部(a)の花子の設問に、あなたならどう応答しますか。(引用は途中省略あり) 太郎 日にもやっとロースクールができて、「社会の医師」の養成を質量ともに充実させる時代がきたね。ぼくも今度受験するよ。 花子 「社会の医師」って何? 太郎 法曹

  • 教養・知識の欠如について

    自民・公明の提出した安保法案に対して、学生団体のSEALDsが反対運動を繰り広げている。70年安保を経験した世代からすると、この団体の活動はなかなか面白い。 かつての学生の反対運動は、ヘルメットとアジ演説のイメージだった。演説では「我々はー」とか「帝国主義ガー」とか、判で押したような語句を単調に並べる。ヘルメットは赤や青に塗って「中核」とか「反帝学評」とか文字が書かれ、党派やグループが強調されていた。日の体制に反対する割には、その行動原理は「命令」「統制」「集団主義」を前面に出していた。だから、内部で反目が起こると「内ゲバ」も起こった。 それに比べると、SEALDsの特徴はラップと自分の言葉の語りだ。演説は「私たちは...」と日常の一人称でゆるやかに語られ、iPhoneに入れられた草稿を見ながら発語される。シュプレヒコールはラップのリズムに乗せて、ときにはシンコペーションなど複雑なリズム

  • 現代詩のアイドルたち

    昔は「現代詩」というジャンルがあって、私もけっこう読んだ。鈴木志郎康とか白石かずことか天沢退二郎とか、いろいろアイドルやスタアがいた。私は、詩とは何か、などまったく分からなかったので、とにかく「かっこいいな」と思えるフレーズをあれこれ収集していた。「のどが裂けて砂が吹き出す」という素敵なフレーズは、たしか天沢のだったような気がする。「とにかく、すげーっ」と高校生の私は思ったものだった。 白石かずこの詩は、よく分からなかったが、自作の朗読をするときに、長い黒の(?)のスカートをはいてきて、さて、朗読しようとするときに脚を組む。すると、スリットの入った長いスカートがさーっと割れて、すんなりとした脚が覗く、なんて「詩人紹介」の描写にしびれた。鈴木志郎康のキャラクター「処女プアプア」も、その名前のあっけらかんさと「処女」という大時代さ加減が、面白かったね。そんな中で、谷川俊太郎が「言いたいことを言

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    jiangmin-alt 2014/03/18
    "白石かずこの詩は、よく分からなかったが、自作の朗読をするときに、長い黒の(?)のスカートをはいてきて、さて、朗読しようとするときに脚を組む。すると、スリットの入った長いスカートがさーっと割れて"
  • ツイートと論理

    この間ツイッターで妙な理屈を見た。 「児ポ法を通さないために自民党に投票しません!」  何だろうね、この「健康の為なら死んでもいい」のバージョン違いみたいな奴は。 児童ポルノ法反対を批判しているらしい。そんなことより、自民党に投票しろよ、と。 児ポ法を通さないために自民党に投票しません ‖比喩・同等 健康の為なら死んでもいい この人の中では、こういう等式が成り立っているらしいので、対応関係は、つぎのように書ける。 児ポ法を通さない=健康である 死んでもいい=自民党に投票しない 要するに「死ぬのはいやだ」という誰でも分かる価値基準を手がかりにして、「自民党に政権を取らせる」ことを主張しているのである。 死んでもいい(ダメ)=自民党に投票しない(ダメ)→自民党に投票せよ なぜ、「健康」は「死ぬ」ことに比べたら重大事ではないか? 生きていればこそ「健康」には意味があるので、死んでしまったら、「健

  • 小林秀雄のために―2013年センター試験第一問解説 - 吉岡友治の三日坊主通信

    2013年のセンター試験は、第一問の小林秀雄『鐔』のおかげで、思うように点数がとれなかった、平均点が下がった、と大騒ぎになったらしい。受験生だけではなく、予備校の解説者まで、「そもそも小林秀雄には、論理性がないんじゃないか」とか「根拠が見当たらない随筆だからね」などと論評している人も少なくない。 そうかね〜? 私に言わせれば、こういう解説や意見は、自分の理解力のなさを棚に上げて、文句を言っている場合がほとんど。「バカは自分よりバカな人しか理解・評価しない」ということの見みたいなものだ。 ただ、高校生のときに小林秀雄のシャープなロジックにイカれた私としては、こういう有象無象の中傷を放っておくのは腹立たしい。そこで、僭越ながら、私淑させていただいた「小林秀雄のために」解説をUPすることにした。どれだけ簡単に解けるか。どういう風に論理がつながっているか。読めば分かるはずだ。 問題はいろいろな所

  • Independentに生きるということ - 吉岡友治の三日坊主通信

    先週の木曜日に、河合塾池袋校の教養講座(エンリッチ講座)で話をした。演題は「Independentに生きるということ」。実は、私は一度も「正式な就職」をしたことがない。いつも非正規労働者。フリーターとかニートとか言うが、私は35年間ずっとフリーを通してきた。 その私の「半生」(ああ、私も年を取った…)を語るという企画なのだ。こんなものに、大学を目指す若い人たちが興味を持つのかと、はじめは半信半疑。企画を立ててくれたH先生もY先生も「聴講者が全然来ない」という夢を見たとか。 ところが、蓋を開けてみると何と170人もの人が聞きに来て立ち見も出た。終わってからの講師室での質問タイムでも、ひっきりなしに人が現れ、気がついたら90分間質問に答えていたというていたらく。 いったい何でこれほど若い人が熱心なのか?

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/07/12
    "実は、私は一度も「正式な就職」をしたことがない。いつも非正規労働者。フリーターとかニートとか言うが、私は35年間ずっとフリーを通してきた"
  • パブリックとプライヴェートのはざま

    この間、奇妙な体験をした。私は、高校時代の友人たちと、メーリング・リスト(というか、ただのCCメールね)でいろいろ他愛のない意見を述べ合って楽しんでいたのだが、私が一人の発言をちょっと批判したところ、そいつの逆鱗に触れたらしい。「批判するなら、ちゃんと名指ししてやれ。そうでないと反論する気にもならない」と激怒のメールが来た。どうやら、病後の彼を刺激しないようにと婉曲な書き方をしたのだが、かえって悪かったようだ。 言い過ぎたかなと息を潜め、数日たってふとフェイスブックをのぞいてみたら、その人が「今やっているメーリングリストの中に馬鹿が一人紛れ込んでいて、見なきゃ良いのについ読んでむかつく」と書き込んでいる。取り巻き連から「馬鹿は死ななきゃ治らない。気にするなよ」「そうだよー、気にするなよ」と口々にいわれて「ありがとう。ようやく気が収まりました」と。 一瞬、呆気にとられた。自分が友人と思ってい

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2012/02/14
    "メーリング・リストという議論の場では強がりつつ、フェイスブックの「友達」には陰口や愚痴を言う。まるで会社と飲み屋を往復するサラリーマンみたいに"
  • 生産財としての読む技術

    この頃「文章ブーム」らしい。そのせいだろうか「文章を書く」方の企画は、どんどん通って困るぐらい。私も来年は教育もの、論文術、反論術、など、あれこれ書かねばならないものが山積み。かなり忙しい。でも「文章を読む」方の企画は、いくつも出しているのだが、なかなか通らない。 なぜか? 編集者に言わせると「読解力では売れない」からだ。「自分が読解ができないと思っている人がを買うわけがないでしょう。書くのなら、別だけど」。…一理ある。読者とは、を読もうという人なのだから、自分で一応読む力はある、と思っている。そんな人に「読解力を向上させましょう」と言っても、ピンと来ない。読者心理としては、たしかにありそうだ。 でも、現場から言うと、文章を読むテクニックというのは、今の日に一番必要なものだと思うのだけどね。私の実感では、読解力がない人、理解力がない人が日には溢れている。インターネットで発信が容易に

  • ディベート好きの議論下手!

    この一両日ほどTwitter上で、京大准教授T氏なる人と論争していた。ことのおこりは、編集者に彼のディベートのを勧められたこと。読んだら初歩的でびっくり。「主張には根拠を出す」という、通常の解説なら最初の30ページで終わることで終始する。Twitterを見ると、やや言葉はキツかったが、批判的な意見も書き込んである。同感なのでRT。ところが、その次の日、T氏から妙なtweetが来ていた。 「黙殺されるのも自由ですが、論文指導業界には残念ながら、そう言う方もいるのだなと認識させて頂きます」 ???? 私が何を「黙殺」したというのか?しかも「そう言う方もいるのだな」とは、何の喧嘩を売っているのだ? TLをみると、どうやらT氏が批判tweetを見つけて「どういうことだ!」と文句をつけたようだ。相手は面倒だと思ったのか「ただのつぶやきです」と弁解。そしたら、Tは「最初のtweetを取り消せ!」と迫

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    jiangmin-alt 2011/11/18
    "「結構有名な大学の基礎ゼミでも推薦されている」と権威主義を丸出しにしたあげく、「吉岡さん」も「ビジネスに」しているから「お互い」様でしょう、とウヤムヤにする。何だかオヤジっぽい"
  • 安全な日本と私

    3.11から六ヶ月あまり。放射能問題に終わりはなさそう。リスクとの共存という日常がゆるゆると動いている。帰国すると、その空気がベターッとまとわりつく感じだ。 そんなとき、仙台の友人からメールがあり、次のような質問があった。 吉岡殿に質問。 バリ島では以前、爆弾テロがあったのに、よく行くなあと心配+感心+なぜ?の私。 その「なぜ?」の答えは次のどれ? ①現地ではもう誰もテロのことなど覚えていない。 ②テロのあったところから遠いので心配していない。 ③テロ集団は壊滅した。 ④テロは心配だが自分は大丈夫。 ⑤テロは心配だがそれより強いバリ愛。 ⑥テロは心配だが私は死を恐れていない。 選択肢まで作ってくれている。彼は高校の先生なので、テストを作るのはお手の物。ただ、私も予備校講師をやっていたけど、選択肢問題には今だに馴染めない。なぜなら、提示してある以外の答えを選べないから。問題作成者が何を答えと

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/09/30
    "日本に住むと日本の危険に目をつぶり、バリに住むとバリの危険に目をつぶる。そういう風にしてしか、我々はある場所に住むことを選べない"
  • アパシーとアクティヴィティ

    八月は残酷な季節だ。くそ暑い中で体はゆったりと休息を求めているのに、いつもと同じかそれ以上の活動を求められる。その結果、気がついたら「気力減退」と「原稿遅滞」のダブルパンチに見舞われる。気ばかり焦っても、全然物事は1ミリも先に進まない。そのうち「プチ過労死」状態(つまりは「夏バテ」にすぎないが…)になる。 実際、油断していたら、八月は一回しかBLOGを書いていなかった。とにかく書く気が起きない。「夏のプチゼミ」「夏のセミナー」と週3回はクラスがある。その準備と添削・個別コーチングなどで時間を取られる。当然、原稿は出来ないから苛々。でも、どうにもならない。自分を責めて疲れる。そういう繰り返しだ。 「夏バテ」なのは、世間も同じ。ニュースを見てもろくなことがない。連日、原発関係か民主党総裁選挙のオンパレードだった。正直言って飽きる。とくに原発関係は何度も見ていると、「ベクレル」「シーベルト」とい

  • 暑い夏のロジカルシンキング

    現今の「政治の混乱」を見ていると、マスコミを初めとして「議論力」「論理的思考力」がまったく欠如しているのを感じる。たとえば、菅首相の「辞任表明」にしたって、私はTVを逐一見ていたけど、まったく「辞める」とは言っていない。むしろ、ロジカルに考えれば、問題が片付くまでは「辞めない」と受け取れる。もちろん、菅はそのつもりで意識的にダブル・ミーニングを利用しているんだけど。 その構造を見抜けないで、マスコミは「退陣表明」と一方的なテロップをつける。要約力に欠けているとしか思えない。尻馬に乗って、民主党の野心を持った政治家(そもそも野心を持たない政治家は政治家ではないけどね)が「いつ辞めるんだ、七月か八月か」と騒ぎだす。菅は当然辞任時期を明らかにしない。するとマスコミが鳩山に「菅さんが辞めないって言っているけど」と追求する。鳩山も「菅は嘘つきだ」と言わざるを得ない。事態収拾してバランスを保つ会談のは

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    jiangmin-alt 2011/07/17
    "日本では、問題に立ち向かうときに、つい知識を増すというsolutionを取りがちだ。「これが解けないのは、知識が足りないためだ」と思いたがる", "正解に至る定型的知識が存在していないから「大問題」になる"
  • 感覚のリテラシーを育てる

    我々は、だいたい会社や組織に属して忙しく働く生活を強いられる。コストをかけるな、利益を上げろ、とヘトヘトになるほど使いまくられる。だから、休みになると、その反動で豪勢に金を使い、暴飲暴し、着飾ってホテルライクな空間に自分を置く。そういう富を蕩尽する生活が豊かだと思う。 でも、これらは、所詮金を巡ってのゲームに過ぎない。金の奴隷になっているからこそ、金を自分が奴隷にする幻想を楽しむ。だから、この傾向は金がない人にも顕著だ。たとえば、バックパッカーの楽しみは「いかに安い金で宿に泊まれたか?」の自慢話だ。「何円でインドを回ったか」の競争で話が盛り上がる。我々は、生活のコストを考え、そこから逆算するから、やるべき事が自動的に決まってくる。だから生活に追いまくられる。 自由を楽しむには、金銭比較というラットレースを超越しなければならない。金という共通尺度より、自分個人の感覚を優先する。その自由さが

  • 来る人と来ない人

    オープニング・セレモニーの日が三日後に近づいた。出席者はざっと数えてみたら70人くらいで、大きな儀式ではない。ただ、この地域の慣習として、やらないではすまされない。あまり高くつかないことを祈る。 どうしても必要なのは、お坊さんの読経と闘鶏。とくに闘鶏は、お浄めとして欠かせない。土に血が流れなければ、bad spiritを押さえ込めないらしい。こちらの友人たちも、いろいろ踊ったり演奏したりしてくれる。仮面ダンスとかワヤンクリ(影絵芝居)とか、声をかけるとさっと集まってくる。お金なんかいらないよ、ぜひやらしてくれ、と言う。ありがたいことだと思う。 めったにない機会だと思うので、日友人たちにもいろいろと声をかけておいた。だけど「行ってはみたいけど余震が…」という人が多い。天災は一人一人心配していても、しようがないと思うのだが、やっぱり不安らしい。 その中でやってくる人もいる。職業もいろいろ。

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    jiangmin-alt 2011/05/29
    "趨勢に乗った「意見」を生産するという傾向が強い。知り合いに聞くと「震災後の何々」(何々には自分の専門分野が入る)という原稿を現在書いているよ、と自慢げに言う。「烏合の衆」というか「付和雷同」というか"
  • モグラ叩き社会

    原発の海水注水が55分中断した責任はどこにあるか、ということで日は大騒ぎになっているらしい。菅総理が指示したから遅れたのだという人あり、指示していないという人あり、専門家のアドバイスに従ったからだという人あり、いや俺はそんなこと言っていないという人あり、実は現場の判断で中断していなかったという人あり、しっちゃかめっちゃかなのである。 今更そんなこと言ったって、現に原発から放射能は漏れているのだし、55分の中断が誰かの責任であることが分かったとして、状況が変わるわけではない。そもそもが原発を推進させてきたのは、今までの国・政府の決定の蓄積なのだし、それを許してきたのは国民の総意。私も、ことあるごとに原発は危険だと言ってきたつもりだが、結局、何の影響も与えられなかった。これでは、同意書名をしていたと同じ。自分だけ被害者面して、責任者は誰だ!と呼ばわるのは、もういい加減に止めた方がよい。 「リ

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/05/28
    "たぶん日本は、黙っていると責任を負わされる社会になっているのだろう。だから、我先に「被害者」の肩を持とうとする。でも、本当に自分は「被害者」の側になっているのか?"
  • アタリのはずれ方

    先週の日曜日は「公共の哲学―レイチェルズ」最終回。すごく面白かった。倫理学というと、細かな話を延々聞かされたトラウマがあったのだけど、今日の藤原講師の話には納得。カントの定言命法に何で2つの表現方法があるのか、ずっと分からなかったのだが、結局その謎は読んだ人は皆感じていたらしい。なーんだ、私の直観もまんざら間違っていなかったのだ。 「小室直樹博士記念シンポジウム」もそうだったけど、この頃、若い頃に抱いた疑問が、結局それで良かったんだ、と思うことが続いている。昔は、自分の方が悪くて、学問的能力がないのではないか、あるいは、その学問の方法に向いていないのではないか、と迷っていたのだが、何のことはない。学問の方を私の直観に合わせて評価すべきだったのだ。 学問は、所詮、現実の不完全な写しなのだから、現実に合わせて変えるべきだ。そうやってみると、学問はどれも面白いし、ためになる。その学問には、それぞ

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    jiangmin-alt 2011/04/10
    ジャック・アタリ
  • 地震酔い?

    地震があった日から、何となく私の環境世界は変わってきた。風呂に入ると、水がゆらゆら。「すわ地震か?」どうも違うらしい。道を歩くと、道面がいつもよりでこぼことうねっているように見える。地下鉄の通路を歩くと、壁面に向かってはげしく傾いでいる。どうも地震以来、私の三半規管はちょっとばかり変化したようだ。 地震酔いと言うらしい。「船酔い」と同じで三半規管に異常を来すというのだが、はたしてそうか? むしろ、今まで気がつかなかった揺れや傾きに敏感になったせいではないのか? 耳鼻科に行く人が増えたらしいが、私は「治療」するのはもったいないな、と思う。 なぜなら、この感覚は、昔、舞踏のグループに入って始めてスキンヘッドになったときの衝撃と似ているからだ。「舞踏やるなら髪ない方がいいね」とリーダー麿赤児に言われて剃っちゃったのだが、それから数日は何というか、至福の時だった。世界の事物を頭のてっぺんで直接感じ

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/03/28
    "この感覚は、昔、舞踏のグループに入って始めてスキンヘッドになったときの衝撃と似ている"
  • 社会リスクとしての新聞報道

    社会の中には一定数のバカが存在する。しかも、そのバカが誰かは決まっていない。場合によって、さまざまな人がバカになり得る。こう書いている私もバカになり得る。それまで蓄積した知識や情報量は多少関係するけど、決定的ではない。では、バカを直すにはどうするか? 誰かから「バカだ」と指摘してもらうしかない。それを繰り返せば、情報の氾濫に慣れて勘が働き、バカになる確率は減る。 その意味で言えば、今の新聞は、バカを直すチャンスを受けにくい仕組みになっていると思う。その結果、素人目にも明らかなデマ記事が出てくるようになった。象徴的なのは、福島県の病院の患者が21人亡くなったことが「院長が見捨てた」と書かれたこと。私は、当初からこの報道はおかしいと思ったが、その病院に勤めている看護師の息子がtwitterで懸命に発信したことで、真相が全く違ったことが分かった。 ▶福島・双葉病院「患者置き去り」報道に関する情報

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