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ブックマーク / kazetabi.hatenablog.com (78)

  • 「正しさ」の前に萎縮した社会 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    企業の不祥事が連日のように報道される。賞味期限、偽造、介護現場の不正請求等・・・・・。こうした報道を目にすると、私たちはとんでもない時代に生きているように思わされてしまう。しかし、実際には日国内に無数の企業があり、その多くは誠実な仕事を積み重ねている。どちらかというと、誠実すぎるくらいに。 しかし、最近、幾つかの企業を相手に仕事をしていると、「正しさ」に対して、あまりにも神経質になっていて、その萎縮ぶりの方が気になるくらいだ。 国民を代表するという大義名分で、メディアの多くは、企業の不祥事があるたびに、国の監督責任を問う。そして、国(お役所)は、重箱の隅をつつくように企業を管理しようとする。質的に大事なことならまだいいのだが、形式的なところで、つまらないルールをつくる。そのお役所を刺激したくないからと、企業のサラリーマンはつまらないところで萎縮している。 例えば、介護において新しく制度

    「正しさ」の前に萎縮した社会 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2008/02/15
    "自分の言葉に責任を持てない「正しさ」よりも、自分の言葉に責任を持つ「間違い」の方がマシだと思うことは多い"
  • 情報伝達における、目に見えにくいモラルについて - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    今朝の新聞の折り込みに、政府広報として、C型肝炎感染の危険がある血液製剤が納入された約7500の医療機関のリストが公開されていた。 新聞折り込みの政府広報(8ページ)として全国約3000万世帯に配布するそうだ。 →http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080116-00000081-mai-pol もちろん、こうした活動が大事であり必要だと私も思う。 しかし、私は天の邪鬼なので、「政府広報」という言葉が気になる。その広報活動じたい、予算(つまり税金)からお金が使われているのであれば、その額も公表すべきだと思うのだ。 国が責任を認めた。そして、その責任を果たすために、被害を受けた人に補償をする。 補償するにあたって、こうした広報も含めて、様々なことが必要になる。それらは全て、税金でまかなわれる。 そして、こうした広報活動が、新聞社などの善意で無償で行われてい

    情報伝達における、目に見えにくいモラルについて - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2008/01/17
    "情報伝達の権威に対する活動は簡単にはいかないと思う。法的に白黒はっきりとわかる悪業ではなく、もっと微妙なことだからだ"
  • 「世界遺産・・・・」の捕捉 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    今日書いた「シンポジウム」の件で、大事なことを書き忘れた。 このシンポジウムの最後、司会進行者である朝日新聞の論説委員の「まとめ」がひどかった。 1時間という短い時間のなか、パネリストはできるかぎりの問題提起も行っていたのだが、司会者が最後に「いろいろあるけれど、深刻に考えずに、楽しく保護していきましょう。自分も、白神山地などを歩くのは楽しいですから」といった言葉でまとめた。 このパネルディスカッションの内容に関係なく用意されていたような自説で、唖然とした。今回の対話が、台無しになったような気もした。 なぜなら、パネルディスカッションのなかで、屋久島の件、そして最後に出た広島の原爆ドームの件で、世界遺産に指定されることと、そこに住む人の気持ちのギャップというものが、時間がなくて未消化であったけれど、今回の対話で、けっこう重要な鍵になっていたからだ。 司会者である朝日新聞の論説委員は、原爆ド

    「世界遺産・・・・」の捕捉 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2008/01/13
    "司会者である朝日新聞の論説委員は、原爆ドームの世界遺産指定をどう捉えるかという話しの後に、「楽しく保護していきましょう」という言葉でまとめて、今回のシンポジウムを終えた"
  • 「世界遺産」という名の背後に - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日、文化庁、外務省、朝日新聞が中心になって上智大学の講堂を使って行われた「世界遺産と生きる」というシンポジウムに出かけた。 パネリストおよび講演者は、文化長官の青木保さん、上智大学長の石澤良昭さん、東京文化財研究所国際企画情報研究室長の稲葉信子さん、衆議院議員の鈴木恒夫さん、アフガニスタンのバーミヤン遺跡を研究している前田耕作さん、作家の田口ランディさん等であった。 ランディさんと石澤さんと懇意にしていることもあって出かけたのだが、シンポジウムとしては中途半端だった。6人が参加するパネルディスカッションが1時間しかとられていないというのは、最初から実りのある議論を主催者側が期待していなかったということだろう。 もともとこのシンポジウムは、「アジアの遺産と生きる」というテーマだと石澤さんから聞いていた。実際に、アンコールワットの石澤さんと、バーミヤンの前田さんが、声をかけられていた。しかし

    「世界遺産」という名の背後に - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 新風舎の倒産、風評が原因というのは何かゴマカシがあるのでは。 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    新風舎が倒産したのですね。驚きました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080107-00000008-omn-bus_all 一昨年の末、新風舎のビジネスの在り方についての議論がありました。賞で人を誘って共同出版という名の自費出版を勧める方法は、いかがわしいこと甚だしかったのですが、朝日新聞が、この社長を時代の寵児のように取り上げていました。 http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20061128 それはともかく負債の総額が25億円にもなるのだとか。 新聞の報道などでは、一昨年末の訴訟などに関するマスコミなどの報道でイメージが悪化して契約が取りにくくなったからということですが、当にそれだけなのでしょうか。 というのは、自費出版は、最初にお金をもらってを作り、印刷会社などへの支払いは後になるので、私がやっている「風の旅人」

    新風舎の倒産、風評が原因というのは何かゴマカシがあるのでは。 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 無駄の価値と、権威 - 風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜

    昨日の夜、今日の社会や未来に関して、爆笑問題と各分野の大学の先生が討論する番組を見た。 既にどこかで聞いたような話が多く、何か新しい視点を得られることはなかった。爆笑問題にも突っ込まれていたが、各先生は、現在の大学が昔に比べて面白くないと語るのだが、自分たちこそが大学の権威的構成員として学生と向き合っているわけであって、大学が面白くないというのは、自分たちが面白くないということなのだ。 彼らには、その自覚があるようだが、そこから脱する道筋が見えないという感じだった。 さらに、「社会全体を見ても、昔なら見になったような人物がいたが、今はそれが見当たらない、それが若い人の無気力につながっている」とも言う。 何をもって「見に」にするのかというところが、その人の価値観なのだけど、「見がない」と思うのは、「対象」に問題があるのではなく、その価値観じたいがステレオタイプで現在からズレているからと

    無駄の価値と、権威 - 風の旅人 編集便り   〜放浪のすすめ〜
  • 情報伝達のスタンス - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日の私の日記のなかでクーリエに言及した部分で、「クーリエは“世界中のメディアから記事をピックアップ”し、翻訳して読者に情報提供を行う、というのが基スタンスですから、主にはレイアウトと記事の選出にのみ、その個性なり技量なりを発揮する雑誌です。上述の基スタンスは、(おそらくはkazetabi氏がなされたような誤解を防ぐために)毎号毎号、目次ページ付近に明記されており、もしもkazetabi氏がそのことを知らずに批判されていたのであれば、訂正された方が良いのではないでしょうか。」 というコメントをいただいたので、そのことについて、もう少し述べておきたい。 クーリエが、自社の主体的な記事でなく、海外のメディアの翻訳をして記事を紹介しているというクレジットは、確かに書かれている。しかし、私は、クレジットがあればいいだろうという感じを持てない。 「タイム誌が選んだ記事です」という言い方は、タイム

    情報伝達のスタンス - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 世界の厚みと、今年のテーマ - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    年末にエントリーをした「国家と責任」に対して、ブログ上でコメントをいただき、そのことについていろいろ考えたことと、今日の東京新聞紙上の鷲田清一さんと内田樹さんの対談が重なりあい、今年の私のテーマにつながってくるように感じた。 改めて思ったことは、「風の旅人」は世の中で正しいとされることを伝えるのではなく、どんな情報であれ、それじたい単独で単純に絶対的に正しいものはないということを前提に、世界や物事や人と人との関係などの微妙な綾を、ていねいにすくいとって積み重ねていくスタンスを大切にしたいということだ。 世界も人間も重層的で、複雑で、その厚み全体を通して考えようとしなければ見落とすことは多い。 「国の機能不全」、「地球温暖化対策」、「戦争反対」、「原発反対」といった大きな言葉で語られることは、正論だから反対しずらく、それを主張する人もまたそのことがわかっているから、何の後ろめたさもないという

    世界の厚みと、今年のテーマ - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 国家と責任 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    薬害C型肝炎集団訴訟において、福田首相の政治的決断によって、薬害肝炎の被害者に補償する「一律救済法案」と、再発防止のための「肝炎対策基法案」の成立が目指されることになった。 その際、この薬害における「国の責任」を明記することを被害者は求め、民主党に強く働きかけている。二大政党のうち一方が「国の責任」に対して慎重な態度をとり、もう一方が、国の責任を認めるということに対して積極的な態度をとるということだろうか。 異なる見解を持つグループが、議論を尽くすことにより、それぞれの側の考え方における問題点などをじっくりと検討することは必要だろうと思う。 しかし、この議論が、単純に自民党と民主党の議論にすぎないものであれば、あまり意味がない。国の予算運営に対して当事者責任を持たない野党の時には国の責任を認めるが、与党になって苦しい財政事情に直面すると、国の責任に対して慎重になるということもあるだろうか

    国家と責任 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 介護現場のこと - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    今朝の新聞の一面に大きく、「介護養成校入学13%減」、「低い待遇、景気回復で流出」「コムスンで拍車も」というタイトルが踊り、第10面でも「学生の介護離れ」「見返り少ない」「待遇改善、待ったなし」というコピーと関連記事が掲載されていた。 こういうのを読むと、ほんと新聞社の記者というのは傲慢だなあと思う。 コムスン問題の時は、会社として不正があったとはいえ、現場で働くスタッフのほとんどがとても真面目にきっちりとした仕事をしているのにかかわらず、そこで働くことに後ろめたい気持ちになるような報道を繰り返したあげく、このたび介護職で働く人が減少している現実に対して、コムスン問題が影響していると無責任に言い放つ。 そして、それだけでなく、「介護という仕事は給与の安い3K職場」だと大々的に伝えて、この職を目指す人たちの気持ちを萎えさせる。「景気が悪い時、仕方なく安い給料で仕事がきつい介護関係に進んだ生徒

    介護現場のこと - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2007/12/19
    新聞は"自分の意見ではなく、いつもの手だが、そういうふうに言っている人がいるというスタンスで記事を書く"
  • 罪と罰 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    ここ数日のニュースで、どうしても納得いかないことがある。 「 肝炎リスト放置 現職3幹部、厳重注意 歴代幹部は不問」2007年12月04日 血液製剤でC型肝炎に感染した疑いがある患者418人のリストが5年間放置された問題で、厚生労働省は3日、当初は「ない」とした実名入り資料が見つかったことについて、現職幹部3人を文書による厳重注意処分にした。減給などの懲戒処分でなく、注意処分でも2番目に軽い。リストを放置した歴代幹部の責任も不問にしており、「身内に甘い」との批判が出そうだ。 「処分」という言葉を使っているけれど、ようするに、口頭ではなく文章で注意をしたという程度のことにすぎない反省のさせ方なのだが、これを伝えるAsahiニュースは、「身内に甘いとの批判が出そうだ」などと日和見的に、のんびりと書いているが、まずは自分が徹底的に批判してみろよ、と言いたい。 この役人の罪と罰に比べて、関東学院大

    罪と罰 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 現代社会の土壌 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    目黒美術館で行われている写真やアートなどの若手作家の展覧会を見る。 この展示でもそうだが、昨今の若手アーティストたちに対して、学芸員などが、「知性と感性が感じられる」という誉め言葉をよく使う。品が良くて、すっきりと整えられたものを、そのように評価することが多いが、「知性と感性が感じられる」という言い方をされるものの多くは、デザインに工夫を凝らしたプラスチック商品のように私には見える。それらには「情動」があまり感じられない。 アート作品もインテリア風になっているから、お洒落な「知性」と「感性」が好まれ、「情動」は敬遠される傾向にあるのだろうか。 若い表現者のプロフィールを見ても、大学院とか海外留学というのが多い。学校で表現の方法論を学び、その延長に表現があるわけだから、知性と感性なのだろう。学芸員も同じだ。学芸員になるには、その種の学歴があればよい。学校でアートを勉強し、卒業して、アート関係

    現代社会の土壌 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2007/12/09
    "この社会に生きることは、この社会の土を今あるようなものに作り上げる微生物になるのか、その土に作付けをして収穫するのか、化学肥料になるのかのうち、どれかであり"
  • 人はなにを学ぶのか - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    やりたいようにやれる立場にいても、やりたいようにやる、というのが、なかなか難しい。何をどのようにやりたいのか、自分でもよくわからない。 自分のやりたいことは、とても漠然としている。何が欲しいとか、誰に認められたいとか、そういう類のことではない。ならば自分で納得できればそれでいいのかというと、その納得というものがよくわからない。一つの状態をクリアして、その瞬間はそれなりに納得しても、すぐに空白がきてしまう。 その空白の向こうにあるものがいったい何なのか、頭で考えて言葉で導き出すことはできず、ただ目を凝らすことしかできない。身体を動かし、ぶらぶらと歩きながら、偶然の出会いを期待するような気持ちもある。そのような状態で、うまい具合に自分の目の前にこれはと思うものが降りてくるものがあり、それをどうにかつなげることで、自分が潜在的に思うことをとりあえず形にしてきているけれど、いつもいつも、そのように

    人はなにを学ぶのか - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
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    jiangmin-alt 2007/10/25
    日高敏隆
  • 就職のミスマッチ!? - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    一昨日の新聞で、「就職のミスマッチを減らせ!!」と、大学が独自に卒業生の早期退職を防止するため行っている工夫のことが紹介されていた。 記事によると、入社3年以内に退職する大学新卒者は35.7%(2003年卒)で、一年以内に退職する人も、ずっと15%を超えているそうだ。 そうした現状を知っておそれをなして、大学を卒業しても就職しない人も大勢いるだろうし、とりあえずの猶予期間として大学院に進む人もいるだろうから、かなりの学生が、就職という現実とミスマッチを起こしていることになる。 大学側は、その原因として、学生が企業のことをよく知らなかったり自分の適性をよく知らないまま就職を決めているからだと分析して、「自分を知るための講座」などを行ったり、「再就職支援の会社」を設立したりしている。少子化時代に大学が生き残るために「面倒見の良さ」が重要になっているからだそうだが、そうした案を作りだしている人た

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  • 世の中の価値観って? - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨夜会った人に、「風の旅人」のように文字がいっぱいの雑誌って、売れるんですか?と言われた。「風の旅人」は、150ページのうち、写真が90ページほどで、通常の雑誌よりも写真が多い筈なのだが、文字が多い雑誌と受け止める人もいるようだ。 また、文字が多いと売れないとも思われているらしい。 それ以外にも、「風の旅人」に掲載されるような写真は、濃密すぎて一般の人に敬遠されるのではないか?と、わざわざ言ってくれる人もいる。文章の内容が難しいとか、テーマが重いとか、あちこちでさんざんな言われ方をする。 誉められる場合も、豪華だとか、贅沢だという言い方が多く、誉める場合もそうでない場合も、その中身とじっくりと付き合った上でのことではなく、”表面的な印象”に基づくことが多い。 そうなのだ。何であれ、対象ときっちりと向き合えば、全てのものが備えている存在の固有性に肉薄されて、簡単な言葉で評価付けなどできやしな

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  • ボクシングと、宗教団体のこと。 - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜

    昨日、編集部のビルのベランダの向かいにあるオフィスのテレビの前に人が集まっていた。なんだろうと思って目を凝らすと、亀田選手の父親の顔が大きく写っていたので、どやら謝罪会見のようだ。そして今朝、新聞の第一面と社会面とスポーツ面に写真付きで昨日の会見に関する記事が出ていた。さらに、別のページに、今回の騒動についての分析がなされていた。 反則がどうのこうのと大きな騒ぎだけど、あの程度の反則は、サッカーとかラグビーとか他のスポーツでも普通に行われているのではないか。サッカーで、ボールを蹴るふりをして相手の足などを蹴っ飛ばしたり、肘で顔面を強打するようなシーンは、けっこうあるのではないか。、また、かりに反則現場が見つかっても、イエローカードとかレッドカードで次の試合に出られなかったり、罰金が課せられる程度だろう。一年間、きちんと練習も試合もできないといった処分や、その監督までがライセンス停止などの処

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  • ミャンマーおよび報道について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    つい最近、マグナムの写真家たちに関する記録映画を見る機会があった。 マグナムは、世界最高の写真家集団と認識されているが、過去のキャパやブレッソンが活躍していた頃と比べて、その影響力や役割が失われつつある現状のなかで、一生懸命に「マグナム」の素晴らしさを説き、今の沈滞状態を脱するための何をすべきかということを、写真ではなく、言葉で語り続ける映画だった。 写真表現を何とかしなければならないのだが、けっきょく、発想が言語中心主義なのだ。 キャパやブレッソンが活躍した時代は、大きなドラマがあった(とされる)。大きなドラマとは大きな戦争とか革命だ。進行しつつあるドラマの現場にいて、その瞬間を撮るだけで、その写真はドラマになり、ドラマが大きければ大きいほど、写真のドラマ性や自分の存在感も高まった。しかし、今はかつてのように大きなドラマがない。ドラマを求めて現場に入るが、キャパたちの時代に比べてドラマ性

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  • 生物として働くこと - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    いろいろ考えているうち、「生物」と「無生物」を分ける一番大きなポイントは「相補性」ではないかという気がしてきた。 生物は、ジクソーパズルのように、形の違うピースが、互いに欠けた部分を補い合うことで成立している。それが平面ではなく、時間と空間を合わせた4次元的に。 無生物も生物も、物質が組み合わさって形を作っていくことは同じだ。 しかし生物的活動は、均一に物質が重なって結晶化していく無生物と異なり、一つ一つの形が異なる蛋白質が、自分に最適な相手を見つけて組み合わさっていくことで成立する。すなわち、組み合わさるべき物質が、組み合わさるべき場所で、組みあわさるべきタイミングで組み合わさっていかなければならないのだ。そうならないと、物質は生物としての働きに参加できない単なる物質で終わり、そのように生体サイクルから外れた物質が沈殿していくと、全体の生物的機能も歪め、死んでしまう。 自分にとって適切な

    生物として働くこと - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 現代社会の「生」の在り方について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    昨日自分で書いた「生物」と「無生物」のことについて考えていると、現代社会の状況が何となく自分で腑に落ちるような気になった。 現代社会は、物をたくさん作り、消費し、スケジュールを埋めてたくさんの人と会って忙しく時間を消費したり、お稽古事をやったり、様々な活動に手を染めたり、じっとしていない状況が、活き活きした生活だと錯覚されている。 そして、そのように人や物が動けば動くほどGDPは拡大し、経済成長だとみなされ、それが豊かさだと思い込まされている。 「こんなに働いて、こんなに物があって、こんなに刺激的な毎日なのに、なんか心の中は寂しい。なんか生きていないような気がする・・・。」というような感覚が心に去来すると、より生きている実感を得ようとして、さらにスケジュールの空白を埋め、人と会い、物を消費し、何らかの活動に参加し、慌ただしい日々を送る。慌ただしさのなかで、寂しく物足りない気持ちを忘れること

    現代社会の「生」の在り方について - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜
  • 生物と人為 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜

    『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)が、とても面白かった。最後の一歩手前までは、読みながら、ワクワクした。 『生命』というものを、人智の及ばない超自然的な抽象的なものとして崇めるのではなく、そのメカニズムを、現時点での人間がまだ認識できていない物理的なふるまいとして解明していこうとするスタンスが、とても刺激的だった。 生物進化に関しても、「ランダムな突然変異があって、これまでと異なる存在の仕方をするものが生まれ、その新種が環境変化なかで適性を発揮し、生き残っていった結果である」という単純なまとめ方ではなく、あらかじめ一定の物理的枠組みと物理的制約があり、それにしたがって構築された必然の結果であるとの認識から、複雑なジクソーパズルを組み立てていくように、進化も含めた生物の動的な構造を解き明かしていくというスタンスの福岡さんの文章は、その前方に未来の新しい認識が横たわっているような予感があり

    生物と人為 - 風の旅人 〜放浪のすすめ〜