■ はてなの社員なんてだいたいがここ以外じゃ通用しねぇんだよな。 ていうかみんなはてなに甘すぎ?っていう感じで、 なんでこんな傲慢が許されるのかがぜんぜんわからん。 きもいっていうのはちょっと言い過ぎかもしれないけど、 もうそういわれても仕方がないところまできてる。実際問題。 いつまでたってもあいまいな言葉でごまかしてても、もう瓦解するのは近い将来だぜ こまった。文意を捻じ曲げるとかそういう問題じゃなくなってしまった ぜんぜん隠せてない
いやーな話をしますよ。 昼休みがあけて5時限目、授業も終わりに差し掛かった頃、先生がチョークの手を休めて、こう言いました。 「最近はいじめ問題が流行っているね。」と。 「お前たちの間にはいじめはないだろうけど(実際無い)けっして対岸の火事で終わる問題じゃないぞ。」 「例えば、例の手紙の件で11日にどうのこうのってあるけど〜」 ここで、クラスの一人が隣に座ってる子にこう話しかけたのが聞こえた。 「いやー本当に自殺するかどうかオレ楽しみなんだけど!」 いっておくけど、これは学校の授業中の発言で、決して酒飲んでる席とか、面白いことを言う会で放った発言ではありません。確かにそう聞こえました。 この発言に、はてな村のかたは[これはひどい]とか[死ねばいいのに]とかのタグをつけるでしょうし、 「オマエおかしいよ」とか「なに考えてんだ」とかブクマコメントも書き込まれることでしょう。 現実は違うのです。「
■[社会] 「逃亡」という概念の存在しない場所で逃げることはできない ちょっと、一連の「自殺予告」の話をしたい。かなり個人的な話も入ってくるので、興味がない人はスルーで。 逃げることが「できない」学校という環境 一般的な疑問だけ述べれば、何故逃げないの?ということだ。或いはどこかに避難するとか。「いじめた人を殺」すなんて、何時でもできる。どこかに逃げるとか避難するという選択肢が(主観的にも)ないということが問題なのか。勿論、本人を責めるべき問題ではなく、問題なのは直接的には周囲であろうし、社会なのだろうとは思う。 逃げろや、逃げろ - Living, Loving, Thinking ご推察の通りで、学校という空間にいると「(学校から)逃げる」という発想ができなくなってしまう。なぜなら、この国の学校では、そこに自己の尊厳の全てを預け、人間関係を作り上げ、その中で自己実現を図ることが至極当然
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