宮城県中部を東西に横切る松島丘陵から出て、その南縁(仙台平野の北東縁)にそって流れて仙台港に注ぐ。主に宮城郡利府町と多賀城市を大きく弧を描くように流れるが、上流は黒川郡大和町に属し、海に注ぐとき仙台市にわずかにかかる。支流の野田の玉川、加瀬沼が塩竈市を流れるため、流域はそこまで含まれる。 江戸時代の初めまで、砂押川の下流には南から七北田川から流れ込み、砂押川は七北田川の支流であった。合流点は現在の八幡小学校の真北、砂押川屈曲部あたりとされる。また、下流部では貞山堀からさらに東に流れ、湊浜に注いでいた。 砂押川下流部には古墳時代から集落があり、724年には陸奥国の国府として多賀城が左岸の塩釜丘陵(松島丘陵の一部)の上に築かれ、国府の町が川の両岸にわたって広がった。このうち当時の砂押川の河道にあたるのが市川橋遺跡である。木の人形(ひとがた)、人面墨書土器など祭祀にまつわると考えられる遺物が大量