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ブックマーク / nippon.com (25)

  • 自民党型政治に回帰する民主党の政策決定

    の政策決定過程はどうなっているのか。誰が一番政策を決める力を持っているのか。政治家か官僚か利益(圧力)団体か。自民党の長期政権が続いているときには、これらの問題を研究する学者も多く、一定のパターンが抽出できた。 癒着の温床、政官業の「鉄のトライアングル」 自民党の政務調査会の下に、テーマごとに部会を形成し、そこを舞台に族議員と呼ばれるその分野に利害と関心とを持つ議員と、担当官庁の役人と利益団体の代表が集まって、政策を決めていく。議院内閣制なので、与党の議員たちが閣僚となって、各分野の政策を実行する。その過程で政府(内閣)と与党とが対立するようなケースは、ほとんどなかったと言ってよい。 したがって、官僚も利益団体も、与党の政治家に影響力を行使することが、自らが追求する政策を実現させる近道であった。分野別の部会のほかには、たとえば、税制調査会が毎年の税制改正の中身を決めた。税制改正が業界に

    自民党型政治に回帰する民主党の政策決定
    jingi469
    jingi469 2012/05/29
    舛添さん退屈してそうだな。
  • 中国の対外経済協力

    経済発展著しい中国は対外援助の分野でも存在感を高めている。国際協力機構(JICA)東・中央アジア部長の北野尚宏氏が、メコン地域諸国との関係を中心に、中国の対外経済協力の現状を解説する。 近年、中国と隣接国・地域の経済関係が急速に深まりつつある。双方は二国間経済協力や地域経済協力の枠組みを活用し、道路、鉄道、送電線、石油・天然ガスパイプラインなどの整備や国際陸上輸送協定の締結など制度面の整備を通じて連結性(コネクティビティー)を高めながら、企業レベルの経済協力を促進している。稿では、メコン地域諸国(カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス)を中心に、中国の対外経済協力の動向を対外援助に焦点を当てながら概説したい。 対外援助の体制と政策 中国政府内では、商務部対外援助司が対外援助政策・業務を所管しており、政策策定プロセスには商務部傘下の国際貿易経済合作研究院、社会科学院や大学などの研究

    中国の対外経済協力
  • 人間らしさにこだわった東洋初のロボット「学天則」

    学天則は、1928年に大阪毎日新聞社の論説委員だった西村真琴が作った“人造人間”で、東洋初のロボットといわれる。そこには、人型ロボットのルーツがあった。 姿は森羅万象を象徴 オリジナルの学天則。左の人物が西村真琴。 写真提供:松尾宏 日で初めて作られたロボットといわれる「学天則」は、文字を書いたり,表情を変えたりする「人造人間」だ。1928年の大礼記念京都大博覧会で公開された後いくつかの博覧会に展示されたが、ドイツで行方不明になったといわれる。現在、大阪市立科学館で展示されているのは、2008年に復元されたものだ。 学天則とは、自然の法則に学ぶ、という意味である。制作した毎日新聞論説委員の西村真琴は、生物学者でもあり、自然に対して広い見識を持っていた。「学天則は西村の思想を形にしたもので、その姿には自然との調和や生物の共存などがイメージされています」と復元にあたった大阪市立科学館学芸員の

    人間らしさにこだわった東洋初のロボット「学天則」
  • ロボットなのに人の助けを求める「ゴミ箱ロボット」

    人間にゴミを拾ってもらったり、手を引いてもらったり―。豊橋技術科学大学(愛知県豊橋市)のロボットはユニークだけれど、少し頼りない。しかし、その弱さにこそロボットとの関係性を考えるヒントがあった。 大切なのは人とのコミュニケーション力 部屋中をキレイにしてくれる掃除用ロボットが人気を集めているが、豊橋技術科学大学の岡田美智男教授らが開発した「Sociable Trash Box(通称、ゴミ箱ロボット)」は、なぜか掃除どころか自分でゴミを拾うこともできない。もちろん、ゴミ箱ロボットにはUSBカメラや赤外線センサー、車輪などが取り付けられている。しかし、室内をあちらこちら動き回ってゴミを見つけると、ロボットがするのは、人の方に身体を振り向け、お辞儀のように身体を傾けることだ。その頼りなくて愛嬌たっぷりの動きは、人に「ねえ、ゴミを拾うのを手伝って」と呼びかけているようだ。 人間のアシストを引き出す

    ロボットなのに人の助けを求める「ゴミ箱ロボット」
  • 消費税率引き上げが日本経済に及ぼす影響

    消費税率の引き上げをめぐって、熱い論戦が続いている。消費税率を引き上げることに反対する人たちは次のような論議を提起している。 (1)経済が弱っている今の時点で消費税を引き上げたら、景気が失速してしまう。 (2)消費税率を上げる前に、財政の無駄をもっと徹底的に見直さなければ、国民の納得は得られない。政府が抱えている膨大な埋蔵金もさらに積極的に活用する必要がある。政府債務を過大評価して消費税増税を求めるのはおかしい。 (3)デフレの中で消費税を引き上げても財政は良くならない。それよりもまずデフレを解消することが重要で、そのためには日銀行により踏み込んだ金融政策を求めたい。それで財政状況もずいぶん良くなるはずだ。 (4)消費税を5ポイント程度引き上げたとしても、高齢化の中での社会保障財源には焼け石に水である。 それぞれの論議がまったく間違っているとは言わない。しかし、消費税引き上げを先延ばしす

    消費税率引き上げが日本経済に及ぼす影響
    jingi469
    jingi469 2012/05/15
    そうは言うがな。
  • みんなが知ってる“あのロボット”ギャラリー

    人型ロボットについて、企業も負けず劣らず熱心に研究・開発を続けている。人を助ける「道具」から、人から愛される「仲間」へ。学術機関や企業の “顔”としても活躍している人気ロボットたちを紹介する。 人ごみの中も平然と歩く「ASIMO」(田技研工業) (写真・動画:田技研工業提供) ASIMOは、人々の生活空間の中で活躍することを目指して開発された。そのため、威圧感を与えず、人間の家具や道具を使いこなせるような大きさに設計されている。2000年の誕生以来、ASIMOは「できること」の範囲を順に広げているが、2011年発表の新型はついに、人の操作を介在させずに、各種センサーからの入力情報を総合し、自分の判断で動くことができるようになった。 ステージから降り、人間が行き交う空間で活動する第一歩を踏みだしたASIMO。人ごみの中でも人をよけて歩くことが可能になり、取材に訪れた海外メディアが「中に人

    みんなが知ってる“あのロボット”ギャラリー
  • 【Photos】みさおとふくまるの日々好日

    大正生まれのみさおさんのチャーミングな表情と、愛ふくまるのユーモラスな仕草。田園の中で寄り添って暮らす“ふたり”の日常。こんな光景に出会ったら、思わず笑みを浮かべてしまうだろう。 いつも“ふたり” 毎日畑へ出かけるおばあちゃんと、愛・ふくまるのほのぼのとした日常を捉えた写真集『みさおとふくまる』が、今、ベストセラーとなっている。撮影したのは、写真家の伊原美代子さん(30)。みさおさんと一つ屋根の下で共に暮らす、実のお孫さんだ。きっかけは「祖母の生きた証を残したい」という想いから。撮影を始めて3年目の2003年、伊原家の納屋で野良が生み残した雄の白・ふくまるが家族に加わった。それから、どこへ行くにも姿を寄せ合う“ふたり”の姿を写真に収めることが伊原さんのライフワークとなった。 「ふたりとも耳が遠いせいもありますが、祖母とふくまるはいつも見つめ合い、お互いを近くで感じ合っています」と伊

    【Photos】みさおとふくまるの日々好日
  • エルピーダ破綻に見る産業政策の「不在」

    1980年代には日の大手電機メーカーの収益源であったDRAM(随時書き込み読み出しメモリー)半導体。その後の収益悪化に伴う各社のDRAM事業の再編を経て日唯一のDRAMメーカーとなったエルピーダメモリは今年2月に経営破綻した。エルピーダに資金支援していた日政府の産業政策が問われている。 製造業で戦後最大の破たん 2012年2月末に、日唯一のDRAMメーカーで、DRAM世界市場3位のエルピーダメモリが会社更生法の申請を行い、製造業として戦後最大の負債総額4480億円で経営破綻した。2009年6月末に産業活力再生特別措置法の認定を経済産業省から受けて、日政策投資銀行(政投銀)の増資引き受け(300億円)や、政投銀と民間銀行団の融資(約1000億円)によってテコ入れされてから3年弱だった。この失敗を日政府、経済産業省の産業政策との関わりで評価し、今後のあるべき政策を示唆したい。 結論

    エルピーダ破綻に見る産業政策の「不在」
  • 東アジア漢字文化圏の再考【Part 2】

    19世紀、東アジアに西欧列強が進出し、日は開国を決断すると西洋化・近代化に進んだ。1894-1895年の日清戦争と1904-1905年の日露戦争の勝利によって列強の隊列に入る日を、中国は西洋化のモデルとして見直した。 日中共同チームによる漢字の四次加工 清朝政府は1896年6月15日、日に第1回目の官費留学生13人を派遣した。以後、その規模は拡大し、1905年には1万人近い留学生が日で学ぶようになった。中国の近代文学の父といわれる魯迅(1881-1936)、社会主義中国の指導者周恩来(1898-1976)、孫平化(1917-1997)、郭沫若(1892-1978)のほか、軍事家の蔡鍔(1882-1916)、美術家の張大千(1899-1983)、科学者の李四光(1889-1971)らも、日での体験を通じて中国再建に必要な知的資源を養ったのである。 20世紀初めは、中国教育界が近代

    東アジア漢字文化圏の再考【Part 2】
  • 東アジア漢字文化圏の再考【Part 1】

    世界約200カ国の中で、現在も漢字を使う国は中国と日しかない。 日列島に漢字が体系だって伝えられたのは応神天皇(在位270―310年)の代であったという。記紀による漢字伝来は5世紀初頭とされる。それ以来、列島の人々の漢字との格闘が始まった。なぜなら、漢字は元来中国大陸の人々の表現に合う言葉として創造されたものであったからだ。その意味で、日人はすべての難問を乗り越えて漢字を日語表記の道具として揺るぎないものにしたといえるだろう。 漢字の一次加工から「国字」創出まで 中国では、漢字の数は時代が下がるにつれ増えている。現在利用される漢字の大部分は、後漢時代の1世紀ごろに完成したとされる。日の弥生時代後期に相当し、漢字が日に伝来したとされる5世紀初頭には、より多くの漢字が揃っていたと考えられる。 実際、宋代の11世紀初頭、漢字の読音に取り組んだ『広韻(こういん)』は2万6194字を収録

    東アジア漢字文化圏の再考【Part 1】
  • 【物質・材料研究機構】微細な穴が放射性物質を捕まえる

    独立行政法人物質・材料研究機構(部・茨城県つくば市)は、メソポーラス物質という多くの細孔をもつ新規材料を使い、放射性物質の吸着材を開発した。汚染された土壌や海水の除染に向け、実用化が進められている。 日で発見、無数の微細な孔をもつ“メソポーラス物質” メソポーラス物質とは、2~50nm(1ナノメートルは1mの10億分の1)の大きさの孔(あな)をたくさん持つ多孔性材料。約20年前に日で発見された。多くの孔を持つため、表面積が極端に大きいことが特徴だ。メソとは、ナノとマイクロの中間を意味する。大きさが2nm以下のナノ孔には、水やメタンなどのごく小さな分子しか入れないが、それより大きいメソ孔には、様々な化合物の分子が入ることができる。そのため、孔の中で多彩な化学反応が起こる。 一方、メソ孔の大きさでは、取り込まれた分子が集合し自由には動けず、分子の並びや動きが制限される。そのため、孔内部の

    【物質・材料研究機構】微細な穴が放射性物質を捕まえる
  • 【Photos】桜ランドスケープ

    桜は日人にとって特別な花木だ。春の訪れを告げる桜の開花は、いにしえより人々の心を弾ませてきた。日人はなぜ桜の下に集いたくなるのか。日列島の各地で桜と人々が織りなす風景を追った。 広島県廿日市市宮島町 桜前線とともに北上する旅をしてみたいと思うのは、私だけではないはずだ。そんなかなわぬ願いを、せめて映像で再現できぬものか。そんな妄想にとらわれて、何年か前から桜の季節にあちこち出かけるようになった。 撮り始めて分かったことだが、桜は必ずしも南から順番に咲くわけではないということだ。九州より東京が先に咲くこともあるし、同じ桜の木でも年によって開花時期や開花期間は思っている以上に違いがある。 最近はかなり詳細な開花情報があるので助かるが、天気のコントロールまでできるわけではない。わざわざ出かけたのに、「昨日一気に散ってしまいました」と言われ、呆然と葉桜を見上げたこともあった。またこの時期は案

    【Photos】桜ランドスケープ
  • 被災地メディアの闘い。「東京、そして世界に伝えたいこと」Part 2

    東日大震災発生から一年。原発事故による避難生活の多大な負担や、風評被害との闘いなどの重荷を負わされた福島県。目に見えぬ放射能と闘いながら、発信し続ける地元のジャーナリスト6人が、一堂に会した。 福島民報社 早川正也・編集局報道部長 84年入社。社会部、遊軍、県政の各キャップ、報道デスクを経ていわき支社報道部長、編集局社会部長などを歴任、11年より現職。 福島民友新聞社 瀬戸栄治・編集局統括部長 83年入社。県北支社、浪江支局長、社報道部、若松支社報道部長、編集局整理部長を経て、09年より現職。 福島テレビFTV 後藤義典・報道部長 88年入社。社会部記者、郡山支社報道部記者、県政記者、報道デスクなどを経て、09年より現職。 福島中央テレビFCT 村上雅信・福島報道部県政担当 00年入社。社報道部、事業部、東京支社事業部を経て、08年より福島支社福島報道部。 福島放送KFB 早川源一・

    被災地メディアの闘い。「東京、そして世界に伝えたいこと」Part 2
  • 被災地メディアの闘い。「東京、そして世界に伝えたいこと」Part 1

    東日大震災発生から一年。原発事故による避難生活の多大な負担や、風評被害との闘いなどの重荷を負わされた福島県。目に見えぬ放射能と闘いながら、発信し続ける地元のジャーナリスト6人が、音で語った。 福島民報社 早川正也・編集局報道部長 84年入社。社会部、遊軍、県政の各キャップ、報道デスクを経ていわき支社報道部長、編集局社会部長などを歴任、11年より現職。 福島民友新聞社 瀬戸栄治・編集局統括部長 83年入社。県北支社、浪江支局長、社報道部、若松支社報道部長、編集局整理部長を経て、09年より現職。 福島テレビFTV 後藤義典・報道部長 88年入社。社会部記者、郡山支社報道部記者、県政記者、報道デスクなどを経て、09年より現職。 福島中央テレビFCT 村上雅信・福島報道部県政担当 00年入社。社報道部、事業部、東京支社事業部を経て、08年より福島支社福島報道部。 福島放送KFB 早川源一・

    被災地メディアの闘い。「東京、そして世界に伝えたいこと」Part 1
  • 【360°】清水寺 Night&Day | nippon.com

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    【360°】清水寺 Night&Day | nippon.com
    jingi469
    jingi469 2012/03/21
    iPad3で見てみたい、と言おうとしたが肝心の写真部分がFlashだった。
  • 【Photos】雪やこんこ

    “雪国”と呼ばれる日の豪雪地帯。しんしんと降る雪の中での冬祭りは、ふさぎがちな人々の心をなごませる。雪と共生し、その美しさ、豊かさを知る人々の心温まる光景が広がる。BGMの童謡「雪」とあわせてお楽しみください(写真下部の再生ボタンをクリック)。 心を解き放つ冬祭り 日列島の日海側の北陸や、東北地方は、世界でも有数の豪雪地帯だ。 冬の間、連日のように雪が降り、平地では1メートル以上に達し、山間部では2〜3メートルをも越える。日の国土の約半分を占めるこうした豪雪地帯には、約2000万人もの人々が暮らしている。 雪国の冬は毎日が雪との戦いだ。道路の除雪や、屋根の雪下ろしなど厳しい生活が続く。しかし、長い冬の間に、それぞれの地域や集落で、昔から行われてきた祭や市が催され、人々の重苦しい気分を吹き飛ばしてくれる。祭の中には、数百年以上の伝統を持つものが少なくない。ここで紹介する斎藤亮一の作品

    【Photos】雪やこんこ
  • 医療、福祉の新分野に挑む発想力——安久工機

    安久工機は1969年の創業以来、製品の基である「プロトタイプ」や「試作品」を作り続けている。対象は企業、大学からのオーダーである人工心臓、視覚障害者用の触図筆ペン、パタコーン(折りたたみ式カラーコーン)など多岐にわたる。しかも前例のない製品がほとんどだ。そのユニークな「発想を形にする」仕事は、まさに日のイノベーションそのものである。 東京大田区の町工場地帯の1工場で、アメリカのシリコンバレーのような恵まれた環境があるわけではない。しかしその開発への挑戦は、医療や福祉など、日の新経済戦略の分野で革新的な成果を挙げている。 安久工機の工場の中は、油にまみれた、どこにでもある工場だ。しかしよく見ると、赤い血肉のような固まりが、作業台に置かれている。「これは人工心臓のプロトタイプです」と田中 隆社長は説明した。 「早稲田大学依頼の人工心臓のプロジェクトに参画しています。ポンプの中に膜があり、空

    医療、福祉の新分野に挑む発想力——安久工機
  • なぜ日本ではストが激減したのか

    1970年代半ば以降、日ではストライキの減少傾向が続き、国民の関心も大幅に薄れている。なぜストは減ったのか。経済的に困難な時代だからこそ、ストの意義を改めて見直す必要があるのではないだろうか。労働法の専門家が分析する。 「今日は、バス会社でストライキがあるから、途中まで歩かなくちゃならないよ」 1971年生まれの筆者には、小学生の時分、春になると、親がそのようなことを言いながら出勤していった日の記憶がある。春先には決まって、ストライキのために交通機関が止まるニュースが流れていたものだ。戦後の日では、労働組合と経営側との労使交渉において、1955年に「春闘」と呼ばれる方式が開始され、1960年代以降に定着をみた。この「春闘」方式とは、日で主流の企業別組合(特定の企業や事業所ごとに、その企業の従業員のみを組合員とする労働組合)によって行われる企業ごとの賃金交渉を、毎年春に足並みを揃えて短

    なぜ日本ではストが激減したのか
  • オホーツク世界と日本

    北海道のオホーツク海地域は18世紀後半から19世紀初めに日歴史に登場する。だが、それ以前にもアイヌやツングース系の人びとの豊かな歴史があった。 北海道のオホーツク海地域、すなわちオホーツク世界が日歴史に登場するのは、18世紀後半から19世紀初めにかけて、千島列島を南下して来たロシア人とそれを排除しようとした日人の間に衝突が頻繁に発生した以降のことである。しかしながら、北海道に居住していたアイヌ民族は13世紀ごろから北はサハリンに、東は千島列島からカムチャツカ半島に進出して北方の諸民族と交易や交流を展開していた。 アイヌ民族のサハリン進出――13世紀―― 図1  『元史』巻5、フビライ統治期の至元元年(1264年)11月、骨嵬を征討した記事(右から4~6行目)が記載されている。 1263年11月に、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライはアムール川下流域を支配下に組み込むと、そこに居住し

    オホーツク世界と日本
  • 【日本の安全保障】普天間飛行場移設問題の経緯

    2012年現在、日米関係の最大の懸案事項といえる、沖縄・普天間飛行場移設問題の経緯を年表で振り返る。 関連記事:沖縄の「基地問題」の現状、 シリーズ・冷戦後日外交の軌跡【第4回】日米同盟再定義 普天間飛行場は移設できるのか 2012年2月8日、日米両政府は在日米軍再編のロードマップ(工程表)の見直しに関する基方針を発表した。従来は普天間飛行場の名護市辺野古への移設と、在沖縄海兵隊8000人のグアム移転は同時に実施するとしてきたが、グアム移転が先行して行われることになった。また、米軍嘉手納基地以南の6施設の返還もグアム移転と同時に進められる。一方で、計画の切り離しが、普天間飛行場が固定化されるのでは、との懸念の声も出ている。 難航する普天間飛行場移設問題の経緯

    【日本の安全保障】普天間飛行場移設問題の経緯