筒美京平さん 昭和を代表する作曲家が音楽界にもたらしたモノ歌謡ポップス界の巨人・筒美京平が逝った——。その人は数多くの伝説的な名曲を残した一方で、ある疑惑をもたれた作曲家でもあった。 『ブルー・ライト・ヨコハマ』や『また逢う日まで』をはじめ数多くのヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが、今月7日、誤嚥性肺炎のために亡くなった。80歳だった。近年はパーキンソン病を患っていたという。 青山学院大学経済学部卒業後、日本グラモフォン(後のポリドール・レコード→ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、作曲家のすぎやまこういちに師事し作編曲を学んだ。 ‘66年、『黄色いレモン』(藤浩一ほか)で作曲家デビュー。‘68年の『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ)が、自身初のオリコン週間1位を獲得。作曲家としての地位を不動の