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ブックマーク / www.ikedahayato.com (3)

  • 苦しいときに助けを求められる人は、強い人です。弱い人は、そもそも「助けて」と言えません|イケハヤ大学【ブログ版】

    テレビで女性の貧困やってて、芸能人の人が、「なんで助けを求めない。恥かいてもいいじゃないか」と言っていた。それって、クラスでいじめられていた人に、「なんで助けを求めないんだ」と言うのに似てるんだと思う。多分。 — 慎 泰俊 / Taejun Shin (@81TJ) 2013, 12月 10 「日の「芸能人」たちに絶望的に欠けているもの」という記事を書いたばかりですが、色々欠けてますね、ホント…。 助けを求められないから、辛い状況に陥る 何度も書いている気がしますが、「なんで辛いのに助けを求めないの?」と語る人は、超シンプルな「順番」を見逃しています。 辛い状況に陥っている人は、そもそも人に助けを求められないから、辛い状況に陥っているんです。「その人の性質によって、その人を取り巻く環境によって、助けを求めることが難しくなっている」という「前提」がまず存在しており、だからこそ、辛い状況に陥

    苦しいときに助けを求められる人は、強い人です。弱い人は、そもそも「助けて」と言えません|イケハヤ大学【ブログ版】
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    jun1_1020 2013/12/13
  • 「挨拶ができない」ことに悩む必要などない。|イケハヤ大学【ブログ版】

    「ちゃんと挨拶しろ」みたいな説教って、いまだにまかり通ってるじゃないですか。あれ「日軍かよ!」って感じの古さがありますよね。 そもそも、超上から目線。 「ちゃんと挨拶しろ」みたいなことを言う人は、前提として「挨拶ができない人間は劣っている」という思い込みのなかに生きています。 挨拶は「できた方がベター」ですが、別に、できなくても仕事はできますし、生きていけます。 ぼくなんかろくに挨拶できないですよ。からいつも「人の目を見て話さないよね」と言われてます。 「仕事をする上で挨拶は必須だ。挨拶ができないやつは人間としてダメだ」という狭い世界で生きている人とは、できるだけ距離を置きたいですね。 オレに対して敬意を見せろ、という意識が透けて見える 「ちゃんと挨拶をしろ」という説教は、ようするに「敬意を忘れるな」と伝えたいわけですね。 これはまぁ、同意しますし、正論です。他者に対する敬意はたしかに

    「挨拶ができない」ことに悩む必要などない。|イケハヤ大学【ブログ版】
    jun1_1020
    jun1_1020 2013/04/16
  • 「人を笑い者にする」天才、やまもといちろう氏|イケハヤ大学【ブログ版】

    やまもといちろう氏がぼくについて言及していたので、ぼくも彼について書いてみることにしました。 イケダハヤト師型炎上をどう表現するべきか?: やまもといちろうBLOG(ブログ) 人を笑い者にするのがうまい まず指摘したいのは、やまもといちろう氏がやっていることは、「人を笑い者にしている」という客観的な事実です。これを否定する人はいないでしょう。愛を感じようが、ユーモアを感じようが、彼が「人を笑い者にしている」のは揺るぎない事実です。 そして、その「笑い」の中には、狡猾に他者を否定する目線が埋め込まれています。彼と彼のブログの読者はそれを「愛ある批判」と正当化するのでしょうけれど、ぼく自身取り上げられてみて、はっきり言って良い迷惑だと感じました。言うまでもなく、愛があればなんでも許されるだろうというのは、鈍感で傲慢な態度です。 関連記事:「愛しているから叱るんだ」という嘘っぱち | ihaya

    jun1_1020
    jun1_1020 2013/01/22
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