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ブックマーク / metalsty.seesaa.net (90)

  • 気になんかしてないぞ。: あんたジャージでどこ行くの

    この言葉、いいなあ、と思いました。 ただ、そのままに受け取って賛成するわけではありません。 「こう言いながら。眞鍋かをりは実は、悪口を読んでるんだろうなあ」と感じたので。それを含めて、いい言葉だなあ、と思ったのです。 悪口にかかわらず、批判、そして時には賛辞も、見たら負けなんですよ。 自分に対する評価なんて気にしてないもんねー!という顔をして、飄々と、そして堂々としていればよろしい。 しかし、裏では評価を気にし、一喜一憂する。「くっそー!」とか「やったー!」とか思う。 それが健全な大人の煩悶という物ではなかろうか? と、ここを読んで思いました。 僕も他人様の評価に一喜一憂する煩悩多き人間の一人です。ほんと、人のいってることが一切気にならなくなったらいいのに。とか思いつつ、一切気にしなくなったらブログなんてケッタイなものはやっていないだろうな、とか。 上記リンク先の記事は、ゆがんだはしごさん

    junkMA
    junkMA 2006/04/20
    (表現しにくいけど)対面はかっこよく、後は謎に包まれたまま。うん、イメージとしてかっこいい。
  • 中村仲蔵: あんたジャージでどこ行くの

    先日、圓生師匠の「中村仲蔵」を聴いていて、しみじみと反省してしまったのでした。 実は、彦六師匠がやる「中村仲蔵」の方が好き。圓生師匠の仲蔵は前向きすぎる。ただ、それだけに感じ入る部分があったのです。 この中村仲蔵という人は、良い役者の家系に生まれたわけではないけれど、大出世をした人なのですね。それは歌舞伎界ではまず無いことなのですよ。家柄第一の業界ですからね。それは昔も今もそうは変わらない。 しかし、この仲蔵という人は随分努力して、立派な役者になる。普通ならあり得ない話です。それだけ努力して、名の知られた役者になるわけ。 そんなある時、ある芝居で、随分つまらない役をやれ、と言われるんですね。来ならば自分よりもずっと格下の役者がやるような、下っ端の役をやれ、と言われる。 これは芝居の作家のいじわるで、仲蔵をいじめてやろうという事なわけです。 でも、仲蔵はこう考えるのですよ。「こんなにつまら

    junkMA
    junkMA 2006/04/20
    一所懸命。
  • チャカポコチャカポコ: あんたジャージでどこ行くの

    そのチャカポコというリズム感が絶妙で、特に東北地方の盆踊りには欠かせないメンタコ。 あほだら経というのは、社会の外にある物。だから社会への批判が可能になると言うものなんだろうなあ。お坊さんというのは社会の外にあるんだけど、じゃあなんで、普通のお坊さんは社会を批判したりしないのかなあ、とかふと思った。お坊さんは多分「俺だけが解脱できりゃ良いんだい!」とは思っていなくて、「他者を救いたい」って考えているはずなんだけど、どうやって他者を救うのがお坊さんなんだろうか。 輪廻にせよ「死後裁きにあう」にせよ、死後の世界を云々するのは、現世を美しくするためなんだろうなあ、とか。 まあとにかく僕はこういう事に疎いので、少し勉強しようかと思いました。偉そうに語るためにではなく、なんでそんな物を人が求めるのか、ということを思うために。

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    junkMA 2006/04/12
    コメント欄。赤ん坊が泣きながら生まれてくる理由、ということで同じようなことを聞いた覚え。
  • 4/7-9あの日あの時(週末SP): あんたジャージでどこ行くの

    ■2005/4/7のわたくし この頃、livedoorからSeesaaへ移転。 ・私がseesaaブログを選択した理由(各ブログサービスの比較) ・ブログへの記事投稿数とアクセス数の相関関係 今調べ直すと、また違った結果になると思う。アクセス数は、シームレスに伸びてゆく物ではなくて、段階を持って増える物だと思う。 ブログにおいて、過去記事は基的に読まれない。ブログの過去記事をうまく検索できるようなサービスが生まれたら、ブログの読まれ方が少し変わるはず。 すごく当たり前のことだけれど、「読まれ方」の変化はアクセス数と密接な関係を持っている。ことブロガーというものは「書き手の論理」でものを考えてしまうが、アクセスや評価とは「読み手の論理」で決まるものだという当たり前のことを知っておくべきだ。 ■2005/4/8のわたくし ・「水曜どうでしょう」サイコロ企画の行方 水曜どうでしょう研究に没頭し

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    junkMA 2006/04/07
    読んで“もらう”Blog。一方的でありながらも“お勧め記事”はありだと思う。
  • それに付随して: あんたジャージでどこ行くの

    何故なのかは分かりませんが、しかし今までもそうだった。 アクセスが急に増えると、記事を書こうという意欲がなくなります。 どういうことでしょうか? 自覚できる、はっきりした理由はありません。 そしてそれなりに、いつも通り物を考えたり感じたりしている。 しかし、それを文字にしようという気が起こらなくなる。 今まで、アクセス津波が押し寄せてきた時に、いつもそのようになったような、そのような気がします。 何故なのだろうか。 オレの場合は、その状況を客観的に見ていたいってのがありますね。どんなリアクションが出てくるかをワクワクしながら眺めたり探したりしていて、何か出たらそれについて考えられるなぁってね。そんなことを考えてると、他の事が手に付かない感じですね。 また、リアクションが出れば、さらにそこから考える事がいっぱいあって、それがとても面白い。 だから、そんな時は更新が滞る。 あと、何だか妙に冷静

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    junkMA 2006/03/31
    “当たり前”が欲しい。壁のこちら側にいる一人として、常に“当たり前”の不足に悩んでいます。
  • 3/28あの日あの時: あんたジャージでどこ行くの

    ■2005/3/28のわたくし ・家庭内暴力に関するチェックリスト ドメスティック・バイオレンスって僕にとっては「全く分からないもの」なのですが、結構あるようですね。 なんだろうなあ。 僕は、恋人関係とか、夫婦関係というのは常にSM的な物であるべきだと思う。支配者と被支配者という関係の方が安定するから。 ただ、そこにはバランスが必要であって、例えば家の外では女が男を立て、家の中では男が女に従う、というような。日常生活の中でSM関係のバランスを取る、というのが大事なことだと僕は考えています。 なんというか、このゆるい世の中ではそういうこと、つまり支配と被支配や、あるいは教育のための体罰・支配のための暴力とか、そういうことがタブーになってしまっている。 支配=良くない、体罰=良くない、それは絶対であって、当に良くないのか吟味することすら禁忌である。吟味すること、考えることがタブーになると、何

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    junkMA 2006/03/28
    1.SM的支配の効用について。 2.事情や物事を丸投げ(思考停止)しての解決法は危うい。 3.経験問題。
  • 「仲が良い」と「批判しない」は違うと思う: あんたジャージでどこ行くの

    「web上での知り合い」が増えて、その人の事がある程度分かってくる。 そうすると、記事を書く時に躊躇することがある。 ・特定企業の批判をする時→「あ、あの人、ここの関連企業だったなそういえば」 ・ブログデザインの批判をする時→「あの人は、こういうデザインにしてたよな、悪く言ったら悪いかな」 ・著作や音楽の批判をする時→「あの人は、このクリエイターのファンなんだよなー、怒るかな」 そんなことを、よく思います。 でも、結局は書く。ほとんどの場合。 それは「書きたいという衝動」によるものではない。 そういう風に気を遣って批判を抑える人は「めんどくさい知り合い」だと思うからだ。 ちょっとした批判から「あの人は友達だと思ってたのに」とか「オフ会で会って優しそうな人だったのに」とか、なんかそういう部分から始まる争いというか、どろどろしたような関係。そういう物とは無縁でいたいと思う。 だから、「もしかし

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    junkMA 2006/03/24
    こういうときこそ糸井メソッド。
  • 友達に貸した「ハットリ君」は、友達の母親に捨てられた。: あんたジャージでどこ行くの

    こことここをちらっと見て。 大事にしてる物を嫁に捨てられたら、その時は凹むだろうし怒るけど、別にその後は気にしないなあ。 「昔ああいうのを持っていたなあ」と思い出す事はあるだろうけど。 僕は物持ちの良い方だけど、そして物に対する執着心が強い方だと思っていたけど、実はそうでもないのだろうか? 捨てられようが燃やされようが、「かつて持っていた物」は「自分の一部」の様になっていて、物が無くても別に良い。 プッチの時計じゃないんだから。 それは、先日書いた「捨てることとか」に関係するのだろうか。思い出のある物を、敢えて捨てた思い出。それは確かに寂しい物だが、「捨てなければよかった」とは決して思わない。 物っていうのは、所詮過去なんだよね。未来に向かって、これから生きてゆくにあたって「絶対に必要な『物』」なんて、ほとんどないのではないかと思う。あったとしても、その多くは「形のない『物』」なんじゃあな

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    junkMA 2006/03/20
    「“後で使うかも”と思っても結局使わないことが多い」、とはよく言ったり。※あ、同じようなコメントを書いてる。
  • 3/14あの日あの時: あんたジャージでどこ行くの

    ■2005/3/14のわたくし ・ブログを続けるコツを教えてあげましょう この時僕は「だめなブログって続かないな、、、」と書いた。たしかに、内容が希薄なブログは淘汰されてゆくけど、一方で「ダメだけど消えないブログ」っていうのがある。アフィリエイトブログです。 アフィリエイト目的で面白いブログって無いんですよねえ。例外的にここは、単純な発想ながら面白いなあ、と思うんですが。 何度か言ってるけど、「ブログブームの犠牲者」って多いと思う。「書かなきゃいけない」という強迫観念に追い立てられる人たち。当は絵を描く才能とか、歌を歌う才能があって、それによって人に物を伝えられるのに、ブームに追われ、文章を書く人。結構、そんな人って多いのではないかと思うのですよ。 ところで、この日焼いたCDは、まだ車の中にある。

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    junkMA 2006/03/14
    演じることを自分から要求される、という病
  • 求めよ、さらば与えられず。: あんたジャージでどこ行くの

    ・僕は「めんどくさい女」が嫌いだ。 ・というか「めんどくさい人間」が嫌いだ。 ・具体的に言うと「私に愛情をください」と言葉や表情で表現する人間が嫌いで、そういう人間とは一切関わるまい、と思う。 ・「私のことか?」と思った人がいるかも知れない。 ・しかし、多分、あなたのことではない。 ・私が嫌うのは、そういう「自覚症状」のない人間だから。 ・自覚せずに「愛情をください」なんて表現ができるのか?できるでしょう、「自分は愛されて当然」だと思っている人間なら。 ・赤ん坊の頃は、どんな人間でも当然のように愛される。 ・しかし、だんだん「自分が自分であると言うことだけで、愛されるわけではないのだな」という事に気付く。 ・「愛されるためには、自分はどうあるべきか」を考えるようになる。それが、自立について考える始まりなのかもしれない。 ・中には、そんなことを考えずに大きくなってしまう人がいる。 ・そういう

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    junkMA 2006/03/08
    自覚症状あるなしの話は人間の引力関係につながる