歴史とビジネスに関するk-takahashiのブックマーク (31)

  • ゲームブック栄枯盛衰|ハイランス

    はじめに:ウォーロックを読んで稿の趣旨はゲームブック産業の栄枯盛衰をデータで可視化し、その要因を考察することである。 きっかけは古で入手したウォーロック誌全63号を読んだことであった。 ウォーロック誌表紙創刊号(1986年12月号)から18号まではスティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンが監修に入っており、ファイティングファンタジーに代表されるゲームブック作品のレビューやタイタン世界の解説等が充実している。 しかしながらウォーロック誌の創刊は一筋縄ではいかず、安田均先生の回想では土壇場での苦労があったようだ。 「ウォーロック」で一番大変だったのは、1986年12月に創刊号が出て、正月になったところで「お話があるんですが、国版つぶれました」(笑)。国版のストックはあったから、12号までは「ファイティング・ファンタジー」シリーズの雑誌という名義で出せるけれど、その後の保証はないの

    ゲームブック栄枯盛衰|ハイランス
    k-takahashi
    k-takahashi 2023/11/07
    “高い固定費にも関わらず、激しい競争環境の中で書籍価格を引き上げることが出来なかった。売上を稼ぐには販売部数を引き上げるしかないが、ゲームブック愛好家数数は思いの外少なく、採算割れする作品が多かった”
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 中編|初心カイ

    3DO REALの誕生 話が前後するが、1993年1月、北米最大の見市コンシューマ・エレクトロニック・ショーにて松下が提供する世界初の3DO規格プレイヤー、「3DO REAL」がお披露目された。そのデモで示された性能は当時のライバル、SNESとGENESISを凌駕し、GENESISのアップグレード機器SEGA CDをも上回っていた。 ただしこの段階ではあくまでAT&Tのモデムやセットトップボックスユニットというのは構想の一つ程度のものでしかなく、具体的なプランは上がってきていない。それにワーナーやMCAが期待していたビデオCDへの標準対応も見送られた。3DOの性能は高いものではあったが、そのビデオチップが肝心要のビデオCDのコーデックMpeg1に非対応だった。これはおそらくMpeg1にまで対応してしまうと、ただでさえ高性能で高コストな3DO体が、さらに高くならざるを得ない事情があったた

    3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 中編|初心カイ
    k-takahashi
    k-takahashi 2022/10/18
    『5000本の買取保証策の他、自社でソフトメーカーのタイトルをIPごとそのまま買い取る施策も打ち出した。この場合は開発費の半分を松下が補填』 感触的には、もっとお金が流れていた印象
  • 初心会興亡記 -かの大帝国は如何にして一夜で滅んだか-:追記あり

    ※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。 https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a ちょっとゲーム歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。 とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。 そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。 この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な! まずは初心会そのものについての解説だ。 もともとの任天堂は花札屋

    初心会興亡記 -かの大帝国は如何にして一夜で滅んだか-:追記あり
    k-takahashi
    k-takahashi 2021/05/07
    ファミコン立ち上げのときは良かったけど、スーファミ登場あたりから加速度的に悪化していったな、とは思ってた。任天堂自身の天狗化でもあったが。 最近だと、テンバイヤーか
  • そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一

    「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」(長い・・ので以下、FFCC)のリマスター版が発売されました。 このタイトル、実はスクウェアが任天堂と取引再開した記念碑的タイトルなんです。 これを機会に、任天堂との取引再開の経緯、また、このタイトルが実は当時のスクウェアの革新について重要な役割を担っていたことについて、書いてみます。 任天堂出禁私が着任した2000年時点でスクウェアはソニーのプレイステーション(以下、PS)以外にタイトルを供給しておらず、任天堂から取引拒否をされている唯一のゲーム開発会社だった。 どのプラットフォームにも供給できる選択肢を持っているのが自然であるし、携帯ゲーム機を製造しているのは任天堂だけだったので、この観点でも取引は必須のはず。ところが、着任時のスクウェア社内では、出入禁止になっている事がシリアスに捉えられていなかった。 解せないながら、2000年内は管理

    そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一
    k-takahashi
    k-takahashi 2020/08/30
     面白い回顧録。そして、ここに「書かれていない」ことが幾つかあるのだが、それはジャーナリストの人が書いてくれるでしょう
  • TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった - 週刊アスキー

    「革新的な市場が登場してくるときは、関係者の8割が反対しているくらいのときが、それに携わる絶好のタイミングです」 NECの最初のパソコン(当時はマイコン)であるPC-8001が発売されてから、今年で40周年になる。8月5日には、当時の関係者をゲストに「PC-8001誕生40周年記者会見」が行われた(関連記事)。 そのNECのパソコンの原点であるPC-8001は、どのようにして作られたのか? その前身であるトレーニングキットのTK-80はどのようにして誕生したのか? 記者会見でも、その中心人物である渡邊和也氏、そして開発リーダーを務めた後藤富雄氏のお話を聞くことができた。 ここでは、初期の同社のPC開発についてもう一歩踏み込んで知りたい方のために、2010年に刊行した『日人がコンピューターを作った!』(拙著、アスキー新書)で行った渡邊和也氏へのインタビューを転載する。 TK-80 マイコン

    TK-80、PC-8001、NECのパソコンはこんな偶然から始まった - 週刊アスキー
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/08/08
    『2010年に刊行した『日本人がコンピューターを作った!』(拙著、アスキー新書)で行った渡邊和也氏へのインタビューを転載』
  • 『ポケモン』はもっとも買い切り市場に適したゲームである──環境とそれに適したビジネスモデルがゲームの形を規定してきた歴史を語ろう【ゲームの話を言語化したい:第五回】

    ゲームの話を言語化することに使命感を燃やす岩崎氏の、開発者ならではの視点が楽しめる連載。 直近の話題だった“RPGメカニクス”の話から、ずいぶんと間が空きましたが、今回から新シリーズをお届けします。テーマはゲームを作るうえである意味もっとも大切なのにもっとも語られない話、“マネタイズ”について。 今回は、『Y’s』の昔から現在のスマホゲームに至るまで精力的に開発に携わる岩崎氏が、考察の前提として俯瞰的にマネタイズの歴史を語ります。(編集部) マネタイズ=商売のしかた=ビジネスモデルの歴史を語ろう というわけで、めちゃくちゃに間が空いてしまったのだけど、なんとこの連載はいちおう続くのである(編集部が載せてくれれば)。 「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリット【ゲームの話を言語化したい:第四回】 今回からは、ゲー

    『ポケモン』はもっとも買い切り市場に適したゲームである──環境とそれに適したビジネスモデルがゲームの形を規定してきた歴史を語ろう【ゲームの話を言語化したい:第五回】
    k-takahashi
    k-takahashi 2018/06/20
    『ゲームの形(枠)を決めたり変えたりしてきたのは、たとえば通信コストが安くなるなどの“環境”と、その環境に適した“ビジネスモデル”だった』
  • hally (VORC) - an expert of "chiptunes" and "video game music history". - 『ソフトウェア著作権の誕生』告知ページ

    k-takahashi
    k-takahashi 2017/11/04
    『やがてソフトウェアが売買されても、誰も不思議がらなくなりました。「石ころ」から「作品」への変化はいかにして起きたのでしょうか』
  • “黒川塾 (三十五) ”デジキューブと混乱期のスクウェアを和田洋一氏が振り返る! - ファミ通.com

    デジキューブが手がけたのは“ゲームのキュレーター” おなじみの黒川文雄氏による“黒川塾 (三十五) ”が、東京・デジタルハリウッド大学大学院にて、2016年5月31日に開催された。今回のテーマは“ゲームビジネス潮流観測~藍綬褒章受章記念ナイト”。スクウェア・エニックス 元代表取締役社長の和田洋一氏がゲストとして登壇した。 ▲和田氏はコンピュータエンターテインメント協会(CESA)の理事などを務めたことや、コンシューマゲーム業界の発展に尽くしたことが認められ、2016年4月に藍綬(らんじゅ)褒章に至った。和田氏は藍綬褒章について、自動車や家電のようにゲーム業界が認知されていることをうれしく思っていたとのこと。 [関連記事]スクウェア・エニックスの元代表取締役社長 和田洋一氏が“藍綬褒章”を受章 今回は、国内外のゲームソフトの開発と流通に深く関わった和田氏が、デジキューブとエニックスの歴史や、

    “黒川塾 (三十五) ”デジキューブと混乱期のスクウェアを和田洋一氏が振り返る! - ファミ通.com
    k-takahashi
    k-takahashi 2016/06/01
    『黒川氏は、デジキューブがコンビニでゲームを販売するというインフラを残したことが、エンターテインメントコンテンツには大きなプラスになったと指摘』ここ、もう少し話して欲しかった
  • 信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」

    のコーエーテクモゲームス(当時 光栄)が初の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の『シヴィライゼーション』が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日で獲得した。 その2年後、彼らは『信長の野望』という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした『信長の野望』などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 『ファミコン

    信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」
    k-takahashi
    k-takahashi 2016/03/22
    『ファミコンにおけるROMの先払い制度』『そのときにメーカーが問屋さんに先払いさせた事例があった』光栄クラスの会社にも負担だった。 『結局、『アンジェリーク』を発売するまでに10年かかりました』こっちも凄い
  • 「どんな子供でも遊べなければいけない」 黄金期のジャンプ編集部で叩き込まれた”教え”が生んだ大ヒットゲーム「桃太郎電鉄」

    過去の名作ゲームの企画書を見てもらいながら開発秘話を聞くシリーズ「ゲームの企画書」。連載2回めとなる今回は、人気シリーズ『桃太郎電鉄』を長期にわたって手がけてきた、さくまあきら氏に『桃鉄』誕生秘話を聞いた。 『桃鉄』といえば、放課後に友達の家に集まって遊んだり、あるいは大学時代にサークルの部室で遊んだり、という記憶が誰しもあるような、”国民的ゲーム”の一つ。しかし、そのゲームデザインについて真剣に語られることは、あまりにも少ない。 ボードゲームに鉄道の要素を盛り込んだシステムが人気を博した『桃鉄』は、シリーズ累計売上1,500万を超える。第1作目『桃太郎電鉄』が1988年に登場して以来、携帯アプリ・ボードゲームも含め、39ものタイトルを展開してきた。画像は2008年発売の『桃太郎電鉄20周年』。 一方で、制作者のさくまあきら氏は、『ドラゴンクエスト』の堀井雄二氏や『俺の屍を越えてゆけ』の

    「どんな子供でも遊べなければいけない」 黄金期のジャンプ編集部で叩き込まれた”教え”が生んだ大ヒットゲーム「桃太郎電鉄」
    k-takahashi
    k-takahashi 2016/02/22
    『さくまさんや堀井雄二さんが他の連中と違うのは、「マス・メディア」というものを肌で理解していること』 『凄いよね。ごまかし方が人力なんだもん』 『崩れていますよ。だから、面白い』
  • ぷよぷよ生みの親はバイト生活、コンパイル創業者が誕生秘話や近況。 - ライブドアニュース

    2015年10月23日 8時11分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 22日の番組に、「ぷよぷよ」の生みの親の1人である仁井谷正充氏が出演した 会社が経営破たん後、個人名義で借金をしていた仁井谷氏は自己破産した 現在はアルバイトで生計を立てながら、1人でゲームの開発をしているという 人気ゲーム「ぷよぷよ」の“生みの親”の一人で、開発・発売元のコンパイルで創業社長を務めていた仁井谷正充さん(65歳)が、10月22日に放送されたバラエティ番組「」(テレビ東京系)に出演。現在はアルバイトをしながら、1人で新しいゲームの開発に取り組んでいることを明かした。 「ぷよぷよ」は、1990年代に爆発的なヒットを記録した、ゲーム好きなら誰もが遊んだことがあるであろう日を代表する“落ちものゲー”。一時、コンパイルは年商70億円の企業まで成長したが、経営の舵取りの失敗で199

    ぷよぷよ生みの親はバイト生活、コンパイル創業者が誕生秘話や近況。 - ライブドアニュース
    k-takahashi
    k-takahashi 2015/10/23
    『ディスクシステムが落ち目で売れなくなっていた時代」だったことに目を付け、「企画書を出したら、任天堂も企画欲しくて」と利害が一致、「ぷよぷよ」は「パクリみたいですけどセーフ」な状態で世に送り出される』
  • レイメイ期のウォーゲーム 第一夜 : moon Gamer - ボードゲームブログ

    1969年は玩具業界にとって、歴史的分岐点にあった。 「怪獣玩具の冒険」 著:神谷僚一 フィルムアート社刊 当時「プラモデル」の商標を持ち、ソフビ怪獣人形の大ヒットを飛ばしたマルサンが、1968年の暮れに倒産します(倒産時の社名はマルザン)。業界大手の一角であったマルサンの倒産は各方面に衝撃をもたらし、そのことは一般誌にも報じられるほどでした(『週刊文春』1969年2月3日号など)。 マルサンは1969年4月に早くも事業を再開しますが、再建当初は役員3人のみ、社は社長の自宅という状況でした。 [マルサン商店] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E5%95%86%E5%BA%97

    レイメイ期のウォーゲーム 第一夜 : moon Gamer - ボードゲームブログ
    k-takahashi
    k-takahashi 2014/12/23
    『月刊ホビージャパン」が、ミニカー専門の模型雑誌として創刊』『初心者用の記事は掲載しない」と明言して憚らないこの尖鋭的な新しい模型雑誌は、やがて『ウォーゲーム』という新たなホビーを国内へもたらす契機』
  • セガ・サターンの発売20周年【日記 2014/11/22】

    k-takahashi
    k-takahashi 2014/11/22
    『サターンの「マスコットキャラ」の…であったはずの…ペパルーチョの話と、「なんでソニックじゃなかったのか」という話』 ソニックはメガドラ用にしてあった、という推測。周辺状況から見ると納得できる話
  • ゲームブックはなぜ、衰退したのか2014: パラグラフの狭間で

    ツイッタ(582) 日記(115) ゲームブック(111) テレビゲーム(88) 悪夢の妖怪村(66) 悪夢のマンダラ郷(74) 悪夢の幽霊都市(68) フローチャート(23) タンタロンの100の回答(10) デジモン(57) 電子書籍(3) 2024年01月(1) 2023年01月(1) 2022年06月(1) 2022年05月(1) 2021年06月(1) 2021年05月(1) 2020年12月(1) 2020年03月(1) 2020年01月(1) 2019年04月(1) 2019年03月(1) 2018年01月(2) 2017年02月(1) 2017年01月(1) 2016年09月(1) 2016年06月(1) 2016年05月(1) 2016年01月(2) 2015年12月(1) 2015年08月(1) なぜゲームブックは衰退したのか? ゲームブック者の間で何度も話題になるこの

    k-takahashi
    k-takahashi 2014/10/29
    『なぜゲームブックは衰退したのか?』 『ゲームブックは手間の割りに安く売られており、コストに見合ってないのだ。ゲームブックは「火吹山」の値段設定の時点で詰んでいたのかもしれない』
  • アタリショック論(5) パックマン・フィーバー: Runner's High!

    ●Pac-Man Fever ジェリー・バックナーとゲイリー・ガルシアのデュオが歌う、1981年12月発売の流行曲。 シングルレコードは100万枚以上を売り上げ、『ビルボード』誌のヒットチャートに最高順位で9位にランクインする快挙を達成した。 ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 1982年4月3日――VCSの隆盛は最高潮を迎えていた。 アタリ社は、同年3月に発売した『パックマン』のVCS移植版について、大規模なセールスプロモーションを展開。この日を「ナショナル・パックマン・デー」と銘打ち、全米27都市で販売イベントを華々しく挙行した。 『パックマン』は、元々1980年にナムコより発売された業務用ゲームである。アメリカでは10万台以上を出荷し、社会現象と呼べるほどの一大ブームを引き起こしたことで知られる。 しかし、VCSへの移植版は、いわゆる「アタリショック」

    アタリショック論(5) パックマン・フィーバー: Runner's High!
    k-takahashi
    k-takahashi 2014/03/24
    『アタリ社は、小売店の水増し発注のみならず、サードパーティの大量参入や他社家庭用ゲーム機の販売攻勢を勘案することなく、向こう一年の家庭用ゲーム市場の需要予測を行うという失策』 過剰生産の背景について
  • みどりの窓口開設日(1965)【日記 2013/09/24】

    前: FireFox 初公開日(2002)次: シーボルト国外追放の日(1829) みどりの窓口開設日(1965)  2013-09-24 10:49:47  コンピュータ 今日は何の日 今日はみどりの窓口が開設された日です。 みどりの窓口ですよ。さすがに、皆さん知っているでしょ? 今は JR ですが、国鉄時代からありました。指定席券を購入したりする窓口ね。 このみどりの窓口、日のコンピューター黎明期と深いつながりがあります。 あまり資料がなくて、唯一手元にある資料「計算機屋かく戦えり」の要約みたいになってしまいますが、面白いので紹介しましょう。 話は1950年代にさかのぼります。 小野田セメント(現在の太平洋セメント)で、コンピューターの導入が画策されます。 なんで導入するかと言えば、社長が新しいもの好きだったから(笑) まぁ、いろんな理由があったのですが、究極的にはこれに尽きます。

    k-takahashi
    k-takahashi 2013/09/25
    『当時はコンピューターをこのような「事務作業」に使うなんて考えられない時代』 『日本で2番目のオンラインシステム導入は、国鉄』 『間違えても問題がないシステムを構築しなくてはならない』
  • アタリショック論appendix NHKスペシャル『新・電子立国』を検証する: Runner's High!

    ○新 電子立国「ビデオゲーム」 (YouTube) ○新電子立国 ビデオゲーム④ (ニコニコ動画) NHKスペシャル『新・電子立国 ビデオゲーム~巨富の攻防~』は、1996年1月に放送されたドキュメンタリー番組である。 アメリカ教育機関で産声を挙げたビデオゲームという名の新たな娯楽産業は、業務用機、パーソナルコンピュータ、そして家庭用ゲーム機へと版図を広げ、遂には世界規模の巨大市場を形成した。その歴史を辿ると共に、ゲームプログラム(ソフトウェア)こそが巨万の富を築く鍵であるという事実を、番組は紡ぎ出している。とりわけ、国内外の著名なゲーム業界関係者に行われたインタビューの模様は、一級の映像資料と呼ぶに値すると言えよう。 さて、番組で特筆すべきは、1980年代のアメリカに起きた家庭用ビデオゲームの市場崩壊を「アタリショック」と言い表し、ビデオゲーム産業の失敗事例として大きく取り上げてい

    アタリショック論appendix NHKスペシャル『新・電子立国』を検証する: Runner's High!
    k-takahashi
    k-takahashi 2012/05/05
    『本番組は、アメリカのゲーム市場崩壊をどのように描いているのか?その放送内容について検証を試みたい』 『荒川氏が市場崩壊の時期を“83年”と明言している点は見過ごせない』 新電子立国の検証。
  • 私考・RMTの歴史 - 未来私考

    前回の記事の続きというわけでもないのですが、ネット上でまとまった記事を見つけられなかったので自分なりに理解している範囲でRMTの歴史について少しまとめてみようかと思います。あくまで私見であり、見落とし、勘違いも多々あるかと思いますので突っ込みよろしくお願いします。 RMT黎明期 このあたりは通説ありますのでざっくりと行きますが、RMTという行為自体はDiablo、UltimaOnlineといったネットワークRPGの黎明期からずっとあるものです。この手のゲームでは効率良くゲーム内リソースを得るために膨大な手間と時間を単純作業に費やさなければならないため、その手間隙をお金で買いたいというユーザーが自然に発生し、当初はゲーム運営会社もそれを特別問題視することなくネットゲーム文化のひとつとして広まっていったように思います。 RMT拡大期 ただし、このやり取りがユーザー個人間で行われているうちはよ

    私考・RMTの歴史 - 未来私考
    k-takahashi
    k-takahashi 2012/03/09
    MMO、ロワイヤル系、カードバトル系、のRMTの歴史論。MMOの業者は普通のプレイヤーのプレイを邪魔していたのも大きいかも。
  • 株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス|SQUARE ENIX HOLDINGS CO., LTD.

    k-takahashi
    k-takahashi 2012/01/12
    『任天堂モデルが、お客様離れ、ソフト業者離れを起こして自壊し、残ったその他メーカー群の中で生き残ったのがソニーだった』 『コストがセーブされた分を、全部、ゲームソフトを作る側とお客様に還元した』
  • アタリショック論appendix 1982年12月8日に何が起きたのか: Runner's High!

    WCI社(筆者注:ワーナー・コミュニケーションズ)は八十二年十二月、アタリ社家庭用の急激な業績悪化を示す第四・四半期(十 - 十二月期)の業績予想を発表したことで、その株価が暴落した。米国家庭用市場が急激に後退し始めたのが原因で、ニューヨーク証券取引所で語り継がれることになる、「アタリショック」が起こったのだ。 ―― 『それは「ポン」からはじまった』 (05年)[1] 1982年12月に、アタリの親会社であったワーナー・コミュニケーションズの株価が急落したことは、アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊を象徴するエピソードとしてよく知られている。 上に引用した『それは「ポン」からはじまった』のみならず、元々「アタリショック」とはワーナーの株価暴落を指す言葉であったかのように説明している文献も少なくない。(ただし別稿でも述べたが、当時のアメリカで「アタリショック」との言葉が使用されている実例は見出すこ

    アタリショック論appendix 1982年12月8日に何が起きたのか: Runner's High!
    k-takahashi
    k-takahashi 2011/12/09
    『1982年12月8日~9日に起きた価株下落は、必ずしも家庭用ゲーム市場の実態を反映したものではなく、一部会社の業績予想を元にした悲観的ムードが株式市場に一気に蔓延したという側面が大きい』 ダウ自体も下げている