■ 雪斎にとって、今夏は、「長谷川如是閑の世界」に、どっぷりと浸かる夏である。 如是閑自身の著作と如是閑を扱った研究書の中でも現在、手に入る主なものを調達して、どっぷりとつかっている。学生時代、図書館で如是閑を読んで、相当な影響を受けた。イデオロギーを「役に立たない妄想」と呼ぶ感覚は、特に、そうである。 雪斎にとって興味深いのは、戦後に吉田茂がサンフランシスコ講和会議での「片面講和」を推し進めた時、「全面講和」を唱える往時の知識人の大勢を向こうに回して吉田の方針を支持した数少ない例外が、如是閑であったという事実である。如是閑にしてみれば、当時の「全面講和」論も、「役に立たない妄想」の類であったか。 如是閑にとっては、思考の立脚点は、「観念」ではなく「生活」であった。政党も、「生活」ではなく「観念」に走ると、途端に失速するような気がする。安倍晋三以降の自民党然り、現在の民主党然りである。 ■