*前篇はこちら 突発的なものでは決してないチベット動乱 1950年前後に生まれた国際政治の隙間を毛沢東に衝かれ、活路を絶たれて自立を失ったチベット。では敗残を重ねたチベットが中国に調印させられた「十七条協定」が、果たして中共の主張する通りに「帝国主義からの平和的な解放」であったのか? 勿論否である。 そのことを最も生々しく物語るのは、双方代表がサインし押印した「十七条協定」の正文そのものである(中国が出版した『西蔵歴史檔案匯萃』に掲載)。チベット代表団は、交渉過程の強引さに不満を抱き、自ら持参した印鑑の使用を暗に拒否した。そこで中国は、チベット側代表団全員に対し、中国側代表団全員の印鑑と全く同じ大きさの印鑑を与え、押印させた。それはあたかも全員が同じ三文判を手にした如く、極度に不自然な「統一感」が紙の上に演出されたかのようである。一体誰が、かくも安直な作為に満ちた紙片を、「帝国主義から解放
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