寄稿いたしました。 blog.tinect.jp ドーキンスの無神論から話がそれて自分の信仰の話になりましたとさ。でも、おれのって信仰といえるのかどうか、というのが結論で。 結局、唯円どころじゃなく、「救われてるってうれしいな、安楽だな」って気持ちになったことがない。おれなりにいろいろ読んだりして、行き着いたところが一番「楽」な浄土真宗、親鸞の教えだってのはある。あるけれど、それって信仰なのか? 信じているのか? 信じているわけじゃねえよな……。 とか言っていると、あれだな、たとえば親鸞の研究をして、大思想家であるとした吉本隆明も、「研究していって、どんどん細かくしていって、粒みたいなところまではいったと思う」とは言っているが、「信仰の内側には入っていない」って何度も言ってる。 おれはべつに研究者でもないし、吉本のような思想家でもないのでそこまではいかん。いかんが、「ああ、親鸞の教えってい