ブックマーク / hantubojinusi.hatenablog.com (79)

  • 月窓亭、大崎 - hantubojinusi’s diary

    西之表市、月窓亭 西之表市の中心地から少し坂を上ったところにある月窓亭は、江戸時代中期の延享2年(1745)、当時種子島家の家臣だった羽生能貴が建てた屋敷である。 月窓亭 1886年に種子島家27代島主守時を迎えてからは、種子島家のお屋敷として親しまれ、多くの著名人が訪れた。 種子島のひな祭り 市に譲渡された現在では、当時の面影が残されたまま、月窓亭として一般公開された。季節ごとにひな祭りや、端午の節句など、昔ながらの年中行事を再現した展示を行っている。種子島のひな祭りは、女の子が誕生して初めての節句の日、夜に親類縁者がやってくる。ダーに花やで飾ったお膳を持って集まってくる。床の間には土人形が飾られ、ダーが並べられる。ダーは大根を10センチほど切ったものを置き、季節ごとの花を差して飾る。周囲には紅白の丸、緑色の蓬などが添えられる。ダーとは台(お膳)のことである。このような光景は大正時

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    k10no3 2024/07/21
  • 種子島開発総合センター鉄砲館 - hantubojinusi’s diary

    種子島開発総合センター鉄砲館、旧石器時代 西之表市にある種子島開発総合センター鉄砲館では、戦国時代にポルトガルから伝わった火縄銃をはじめ、古式銃を多数展示し、日の鉄砲の歴史を紹介している。その他、種子島の自然、歴史等の資料も多数展示している。まずは、旧石器時代。約3万5千年前(後期旧石器時代)、種子島に最初に人が住み始める。代表的遺跡は横峯C遺跡と立切遺跡である。種子島の縄文時代(約16,000〜2,500年前)も個性あふれる時代であった。 旧石器時代、縄文時代の遺跡分布 主な旧石器時代、縄文時代の遺跡分布図を見ると、種子島の全島に分布していることがわかる。丸木舟もそれを作る道具の丸ノミ形石斧も発見され、島外交流を示す黒曜石も出土することから、南北交流が盛んに行われていたことがわかっている。 縄文時代の石器や石鏃 黒曜石は種子島には産しないが、大分県姫島や佐賀県腰岳、鹿児島土の三船・日

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    k10no3 2024/07/14
  • 広田遺跡ミュージアム - hantubojinusi’s diary

    広田遺跡ミュージアム 昭和30年(1955)9月、台風22号の襲来により崩れた砂丘の中から、地元の長田茂氏などが人骨や貝製品を見つけ、考古学者・盛園尚孝氏に届けたことで広田遺跡は発見された。最初の発掘は国分直一・盛園尚孝・金関丈夫氏らにより1957〜1959年にかけて行われ、90ヶ所以上の埋葬遺構から158体の人骨が出土、4万4千点を超える貝製品が出土した。その後も発掘が続けられ、国の史跡及び重要文化財に指定された。広田遺跡の手前に2015年、広田遺跡ミュージアムが建てられ、遺跡関連資料がたくさん展示されている。 広田遺跡 広田遺跡は、広田海岸の砂丘につくられた3〜7世紀にかけての集団墓地である。この墓地から107基以上の墓と170体以上の人骨が出土している。墓地は砂丘の北側と南側に分かれて見つかり、新しい上層期(古墳時代後期〜7世紀)と古い下層期(弥生時代後期後半〜古墳時代中期)の二つの

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    k10no3 2024/06/22
  • 種子島、宝満神社、赤米館 - hantubojinusi’s diary

    種子島、竹崎海岸、「象の水飲み岩」 3月初めに種子島を訪れた。あいにくの雨風で、鹿児島空港から種子島への飛行機が欠航となったため、鹿児島港からのフェリーを利用して、なんとか夕方までに北部の西之表港に着いた。急いで最南端のホテルへ向かったが、残念ながら1日目の観光は省略あるいは延期となった。翌朝、ホテルから竹崎海岸の東を眺めると、大きな丘陵に波風で侵された海蝕洞が見えた。象が水を飲む姿に例え、「象の水飲み岩」と呼ばれている。その向こうには宇宙センターがある。 竹崎海岸 竹崎海岸の西を眺めると、こちらでも2頭の猪が睨み合いしているような景観が見られたが、特に名前はついていないようだ。 宝満神社 今日は南種子町の観光地、門倉岬や宇宙センターなどを見てから、中種子町、西表市へと北上していく。まずは種子島の南端、門倉岬に向かう途中、宝満神社を訪れる。大きな社号標の左手に鳥居があり、その奥には石段の

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    k10no3 2024/06/01
  • 春の花 - hantubojinusi’s diary

    春の花、ソシンロウバイ 今年の1月から4月までの春の花をいくつか拾い集めてみた。1月に見かけたこの黄色い花は、ロウバイの仲間でソシンロウバイ(Chimonanthus praecox、素心蠟梅)というロウバイ科ロウバイ属の花である。ロウバイとともに中国原産で、中国ではウメ、スイセン、ツバキと共に「雪中の四花」として尊ばれている。江戸時代初期に中国から渡来し、生花や茶花、庭木として利用されている。ロウバイは花の中心部が暗紫色でその周りが黄色だが、ソシンロウバイは花全体が黄色である。どちらも春一番を告げる花として知られている。 アルパカと菜の花 こちらはアルパカと菜の花の組み合わせ。ソシンロウバイと同じく、伊豆アニマルキングダムで見かけた光景。アルパカは南アメリカ大陸原産の家畜の一種で、ラクダ科のラマ属に属する。アンデス地方ではインカ帝国時代より飼育されていて、体毛を衣類などに利用してきた。菜

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    k10no3 2024/05/25
  • 造山古墳 - hantubojinusi’s diary

    ビジターセンターより造山古墳を見る 倉敷から岡山へ戻る途中、北回りで吉備の南西にある造山古墳を訪れた。吉備は7年前にも同じく大原美術館の後に、吉備津神社、吉備津彦神社、総社宮などを巡ったが、造山古墳は見逃した。造山古墳の駐車場には造山古墳ビジターセンターがあり、造山古墳と周辺の中小規模の6基の古墳を合わせた造山古墳群や、日遺産に認定された「桃太郎伝説」を紹介している。立ち入りできる古墳としては日最大であり、世界最大の登れる墓といっても過言ではない。駐車場から眺めても前方後円墳の大きさがよくわかる。左が前方部、右が後円部である。 造山古墳 吉備には古墳時代前期から大型古墳が築かれ、古墳時代中期には巨大古墳も築かれたが、造山古墳は全長約350mと全国4位の超巨大古墳である。エジプトのクフ王のピラミッド体より長く、秦始皇帝陵の墳丘と同じくらいである。手前には田んぼと民家が並んでいる。 右手

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    k10no3 2024/04/28
  • ベネッセハウスミュージアム - hantubojinusi’s diary

    ベネッセハウスミュージアム 直島のベネッセハウスミュージアムは、「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに、美術館とホテルが一体となった施設として1992年に開館した。瀬戸内海を望む高台に建ち、大きな開口部から島の自然を内部へと導き入れる構造の建物は、安藤忠雄の設計による。絵画、彫刻、写真、インスタレーションなどの収蔵作品に加え、アーティストたちがその場所のために制作したサイトスペシフィック・ワークが恒久設置されている。 セザールの「モナコを讃えてMC12」 作品は展示スペースにとどまらず、館内の至る所に設置され、施設を取り巻く海岸線や林の中にも点在している。この作品は一階に展示されている、セザールの「モナコを讃えてMC12」(1994)。ポットが押しつぶされている。モナコはポットの生産で有名なことから作品のタイトルになったそうだ。 リチャード・ロング「瀬戸内海のエイヴォン川の泥の環」と「

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    k10no3 2024/04/07
  • 李禹煥美術館 - hantubojinusi’s diary

    李禹煥美術館 、「関係項-点線面」 地中美術館から少し進むと北ゲートがあり、ここから南に海沿いの道がつつじ荘までシャトルバス専用道路が続くが、ベネッセアートサイト直島の私有地エリアである。北ゲート脇の駐輪場に自転車を置き、シャトルバス専用道路を歩き始める。坂を下っていくと右手に李禹煥美術館が見えてくる。現在ヨーロッパを中心に活動している国際的に評価の高いアーティスト・李禹煥(リウファン)と建築家・安藤忠雄のコラボレーションによる美術館である。正面から見えるのは高さ6m、長さ50mのコンクリート壁だけで、延べ床面積443m2の建物の全容は見えない。入り口は壁の左端にある。建物の前庭にあたる「柱の広場」には、オベリスクのような18.5mの柱が立つ。これは「関係項-点線面」(2010)の一部だが、このように自然石や鉄板を素材とする「関係項」のシリーズが点在している。これは自然と文明の対比が共生か

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    k10no3 2024/03/31
  • 直島、地中美術館 - hantubojinusi’s diary

    小豆島に向かうフェリー・オリーブライン 二日目は高松港から瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島に向かう。高松港に停泊しているのは、有名な観光地・小豆島に向かう大型フェリー・オリーブラインである。 直島・宮浦行きの高速艇 直島・宮浦行きの高速艇だと30分ほどで直島につく。小型だが速い。 高松港から屋島を見る 晴れた高松港からは東に屋島の姿がよく見える。急崖で囲まれたテーブル上の高地の一番高いところは約300m、南北に約5km、東西に約2kmある。 女木島 高松港を出港するとまもなく右手に女木島が見えてくる。標高188mの鷲ヶ峰山頂近くに奥行き400mの大規模な洞窟があり、古来より鬼が住んでいたと伝えられていることから、桃太郎伝説とも結びつき「鬼ヶ島」と呼ばれている。大洞窟は見学ができ、随所に赤鬼・青鬼が迎えてくれる。 男木島 大き目の女木島の左手正面に男木島が見えてくる。その左手には豊島がかすか

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    k10no3 2024/03/24
  • 鳴門の渦潮、屋島 - hantubojinusi’s diary

    うずしお汽船の高速観潮船 大塚国際美術館の裏手にある亀浦漁港から、うずしお汽船の高速観潮船が出航する。イタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡と並ぶ世界三大潮流である鳴門海峡の渦潮は、渦の大きさが大潮時には直径20m以上にもなり世界一といわれる。 鳴門海峡、大鳴門橋 鳴門市と淡路島の間に位置し、日百景にも選ばれている鳴門海峡に、1985年、大鳴門橋が開通した。橋長は1,629m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。鳴門側から橋脚付近まで延長450mの遊歩道「渦の道」を進むと、展望室のガラス床があり足元45m真下に渦潮を見ることができる。 鳴門海峡の渦潮 鳴門海峡の渦潮は潮の干満によって大きさが違って、干潮、満潮の一日に4回生じる。潮見表で確認してみると、期待度は「中」となっていた。小型高速観潮船が大鳴門橋をくぐる辺りで渦潮ができつつあるのを見ることができた。 鳴門の渦潮 大型観潮

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    k10no3 2024/03/17
  • 大塚国際美術館 - hantubojinusi’s diary

    ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 大塚国際美術館の所蔵作品数は1000余点、古代、中世の作品だけでも200点を超えるので多少省略せざるを得ず、ルネッサンスのコーナーに向かう。最初はダ・ヴィンチなどの受胎告知の作品がずらりと並ぶ。その次にボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」が現れる。フィレンツェのウフィツィ美術館所蔵の有名な作品で、1480年代中頃のカンヴァスに描かれた絵画である。以前、現地で現物を見たことがある。陶板の継ぎ目の線を除けば見分けがつかないほどそっくりにできていて美しい。 ボッティチェッリの「春(ラ・プリマヴェーラ)」 こちらの作品も同じくフィレンツェのウフィツィ美術館所蔵の「春(ラ・プリマヴェーラ)」で、ボッティチェッリの1470年から1480年にかけてのパネル(木板)に描かれた画である。 ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」 こちらの作品も有名な、ティツィアー

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    k10no3 2024/03/05
  • 鳴門、大塚国際美術館 - hantubojinusi’s diary

    大塚国際美術館 ミケランジェロ「システィーナ礼拝堂天井画及び壁画」 昨年の暮れに、鳴門・直島・倉敷・岡山と、瀬戸内のいくつかの美術館を巡った。まずは、大塚国際美術館。大塚グループが創立75周年記念として鳴門市に設立した日最大級の常設展示スペースを有する「陶板名画美術館」である。古代壁画から世界26カ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画1,000余点を特殊技術によって原寸大で複製している。鑑賞ルートは約4km。まずはミケランジェロによる「システィーナ礼拝堂天井画及び壁画」(ヴァティカン)。現地さながらのスケールの大きさに驚く。残念ながら左右の壁面は省略されているが、正面と背面、天井画はほぼ忠実に再現されていて、その努力に驚嘆する。正面の「最後の審判」の場面は、中央上部にキリストと聖母マリア、周りにペテロやパウロなどの聖人が配される。 システィーナ礼拝堂、壁画 右下には地

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    k10no3 2024/02/26
  • 釈迦堂遺跡博物館 - hantubojinusi’s diary

    釈迦堂遺跡博物館 甲府盆地の東寄り、笛吹市にある釈迦堂遺跡は、1980年2月から81年11月まで、中央自動車道建設に先立って発掘調査されました。その結果、旧石器時代、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の住居や墓、多量の土器、土偶、石器など30トンに及ぶ考古遺物が発見された。そして1988年に、それらを展示する釈迦堂遺跡博物館が開館した。 深鉢型土器 釈迦堂遺跡博物館の収蔵資料は、1116点の土偶をはじめとする全国有数の縄文時代中期の良好な資料として国の重要文化財(5,599点)に指定されている。こちらの大型土器は、縄文時代中期中葉(5,300〜4,900年前)、高さ381mm、幅205mmの深鉢型土器である。幾つもの断片に割れているが、ここまで組み立てた努力に驚く。 石皿と磨石 釈迦堂遺跡博物館は、2020年にはリニューアルオープンした。こちらの石皿と磨石も縄文時代中期(5,500〜4

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    k10no3 2024/02/18
  • 仁科神明宮宝物庫、穂高神社本宮 - hantubojinusi’s diary

    仁科神明宮歴史展示館 仁科神明宮三の鳥居の手前左手には宝物収蔵庫、右手には無料の歴史展示館が建っている。平安時代後期、現在の大町市社には伊勢神宮の荘園である仁科御厨(みくりや)があった。御厨を支配していた御厨の司が仁科氏で、伊勢神宮内宮を勧請して仁科神明宮を祀り、都の文化を取り入れた。仁科神明宮は伊勢神宮に倣い20年毎に殿などの建替え(式年造替)を行ってきたが、仁科氏が滅亡した後、寛永13年(1636)を最後に部分的修理のみを行ってきた結果、伝統的な神明造の古い様式が残り、殿・中門・釣屋が国宝に指定された。歴史展示館では、御厨や神明宮の歴史、仁科氏の関わりなどを資料展示している。 古式作始めの神事 伊勢神宮の祈年祭に倣って、春の耕作始めに五穀豊穣を祈るのが仁科新三重宮の「古式作始めの神事」である。神楽殿の床を水田に見立て、鍬初から苗代づくり、種蒔、鳥追いまでの農作業を演じるもので、これ

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    k10no3 2024/01/14
  • 安曇野、小谷温泉、白馬大出 - hantubojinusi’s diary

    安曇野市豊科郷土博物館 栂池高原の前後にも安曇野や白馬、小谷など長野県北西部を訪ねた。最初は安曇野市豊科郷土博物館。安曇野は西に北アルプスの山が聳え、東には犀川が流れる自然豊かな地域で、大昔から人が住み約400ヶ所もの遺跡が知られている。約5000年前の縄文時代の南松原遺跡から出土した土器には個性あふれる紋様が飾られている。弥生時代前期(約2400年前)の東日では土葬・風葬の遺体から遺骨を取り出し壺に再び埋める再葬墓が造られた。ほうろく屋敷遺跡再葬墓からは縄文時代の土器と弥生時代の土器が出土している。 オフネ祭りの木偶 信濃国は十州に境を接し、その真ん中に安曇野は位置する。海のない安曇野で、船を模った山車を引き回す「オフネ」祭りが行われている。昔、安曇野は湖だった、そこを蹴破って水を海に流し、人が住めるようにしたという泉小太郎の伝説は、安曇野と海との関わりを今に伝える。安曇野のオフネ祭り

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    k10no3 2023/12/31
  • 井持浦教会、大宝寺 - hantubojinusi’s diary

    井持浦教会 玉之浦町の大瀬崎周辺には、井持浦教会と玉之浦教会がある。この玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を免れた地区である。井持浦教会は、五島の他の教会と同じく、江戸末期に大村藩から移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まった。伝承によると、大村藩が側近のキリシタン鶴田沢右衛門を五島に流刑にしたところ、五島の藩主は領地であった玉之浦の立谷(大宝寺所有)を与え、そこに住むことを許したという。玉之浦湾の塩漬用の塩が重要な産業だったためと、島の中心地から非常に遠隔地だったことが、迫害を免れた理由と推測されている。明治30年(1897)、全五島の宣教と司牧を委ねられたフランス人宣教師ペルー師の指導により、リブ・ヴォールト天井を有するレンガ造りの立派な教会が建設された。島内における木造からレンガ造りへの移行のハシリと位置付けられている。その後、大正13年(1924)に

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    k10no3 2023/11/25
  • 極楽寺、龍観山、福江島、楠原教会、城岳展望台、水ノ浦教会 - hantubojinusi’s diary

    極楽寺 若松港ターミナルの近くに極楽寺が建っている。浄土真宗願寺派の寺院で、1625年ごろに建立された。重厚な瓦葺きの殿の中に尊の銅像如来立像が佇む。 極楽寺 殿内に安置される尊・銅像如来立像は、像高36.4cm、銅造・鍍金で、大きめの頭部に肉どり豊かな体部、胸元を広く開け、胸前を斜めによぎる僧祇支と腹部の結び紐が見える。威風堂々たる体躯を覆う衣文は変化に富み生気がみなぎっている。統一新羅時代(7世紀末〜九世紀初)の作とされ、渡来小金銅仏中にあって、数少ない貴重な如来像であるが、その伝来については不明である。国の重要文化財に指定されている。 龍観山の展望所から見る若松大橋 若松港の北に標高138mの龍観山があり、展望所からは若松大橋や若松瀬戸が一望できる。若松大橋の右端の向こうに微かに認められる、赤い屋根と白い尖塔を持つ建物は桐教会である。寛政年間に外海から桐と古里へキリシタンが

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    k10no3 2023/11/11
  • 曽根・江袋・仲知・米山教会、津和崎灯台 - hantubojinusi’s diary

    曽根教会 五島の三日目は、主にこれより北、北魚目地域のキリスト教の教会と景勝地を巡る。まず初めに、ホテル近くの曽根教会を訪れる。旧聖堂は明治32年(1899)、フランス人宣教師アルベルト・ペルー神父の指導により、鉄川与助が20歳の頃初めて教会建築に関わった、北魚目長山に木造の聖堂が新築され、長崎司教アルポンソ・クザンにより祝別された。現在の聖堂は、昭和41年(1966)パウロ長崎大司教により祝別された。1987年に「無原罪の聖母像」が設置された。東に五島灘、西に東シナ海を一望する高台に建つ。 江袋教会 北魚目地区も、国の重要文化的景観「新上五島町北魚目の文化的景観」に選定されている。海辺に展開する漁業集落、立串・大瀬良・小瀬良・津和崎の4集落は、限られた土地に密集した集住形態が取られている。山間に展開する農業集落、江袋・仲知、大水・赤波江・竹谷・米山など8集落は、急勾配の斜面に石垣を築き、

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    k10no3 2023/10/14
  • 折紙展望台、牢屋之窄、浜脇教会 - hantubojinusi’s diary

    折紙展望台より 久賀島は馬の蹄のような独特な形をし、島の中心には山々に囲まれるように久賀湾が広がる。島の北東部にある折紙展望台は、島民がコツコツと手作りした展望台で、その功績が称えられ、2006年に国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」を受賞した。 折紙展望台より奈留瀬戸と奈留島 東をよく眺めると、蕨小島に囲まれた蕨魚港が見下ろせ、その彼方には奈留瀬戸を挟んで奈留島が横に広がっている。蕨小島は周囲1.8km、面積0.03k㎡と、全国で最小の有人島である。人口は一桁で、全員が小島姓でカトリック信者である。ハマチ養殖を共同で営んでいる。 折紙展望台から久賀湾の出口 折紙展望台から西を眺めると久賀湾の出口がようやく認められた。その彼方は朝鮮半島になるが、残念ながらその姿は見えなかった。 牢屋の窄記念教会 旧五輪教会に向かう時にちょっと寄った「牢屋の窄記念教会」に、帰りがけにも立ち寄った。「五島崩れ

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    k10no3 2023/09/23
  • 五島列島、久賀島、牢屋之窄記念教会、旧五輪教会堂 - hantubojinusi’s diary

    五島列島、福江港 6月初旬に、かねてから待望の五島列島を旅した。羽田を6時過ぎに飛び立ち、福岡で乗り継ぎ、10時過ぎには福江空港に着いた。早速、福江港ターミナルの遊麺屋(ゆめや)にて、五島名物の五島うどんを使った「あごだしちゃんぽん」をす。具材は、板カンボコ、揚げカンボコ、チクワ、イカゲソ、豚肉、キャベツ、タマネギなど。あごだしスープが特に美味しい。 無人島の屋根尾島 昼後、グラスボート「シーガル」で久賀(ひさか)島に向かう。福江港を出てすぐに左に見えるこの島は、無人島の屋根尾島。造礁サンゴやソフトコーラルの群生などが美しく、福江海中公園に指定されている。大型の台風2号の接近で雲が多い。 無人島の多々良島 次に右手に見えるのは、無人島の多々良島。約10年前に、世界最大級のオオスリバチサンゴがこの多々良島の沖合で発見された。直径16mで、推定年齢1,000歳というから驚きだ。 久賀島の田

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    k10no3 2023/09/16