ブックマーク / kame710.hatenablog.com (408)

  • 2024.8.20 おもしろかった、暑かった旅① - カメキチの目

    7月10日は私の(障害者にはなったけど)生還記念日ということで、 だいたい毎年、その前後に旅をする。 (前に書いたように、私たちの旅はNHKの番組「小さな旅」のように素朴で華やかではないけど、 旅の途中で気になったこと見つけても「いま何をしているんですか?」と図々しく聞くことはない) 伊勢方面(伊勢神宮ではありません)に行った。 1泊2日で初日は「火の谷温泉」、翌日は「榊原温泉」。帰り「室生寺」へ寄った (火の谷温泉と榊原温泉は、お隣同士というくらい近い。室生寺も帰り道に寄るのに便利だった。 室生寺は有名ですが、温泉は二つとも全国的には知名度は低いと思う) 旅はホント、おもしろかった。 そして暑かった。 (3回に分けて書きます) ーーーーーーーーーー 1日目。 京都から近鉄電車で奈良方面へ。 大和八木駅で乗り換え、名古屋・伊勢方面へ。 榊原温泉駅で下車。 (榊原温泉駅) この地方は「奥伊勢

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    k10no3 2024/08/20
  • 2024.8.13 『生きなおすのにもってこいの日』(中) - カメキチの目

    今日も二つの話です。 「〈同じ穴のムジナ〉 支援を目的にした支援は、ほんとうに被支援者をい物にしていく。 そういう構造が出来てしまうのであって、誰が悪いということではない。 すべての人間が善意であっても構造が悪を生みだす。 … 就労を支援することが、このNPOの目的だからだ。目的が就労支援だから就職支援をする。 就職以外の選択肢については触れない、それは目的の外だから。 … 誰が悪いというのでもないが、支援を目的にしていると、だんだんと支援者の方が主役になっていく。 支援する者は善であり正義であり、支援者はいつも正しくて、支援される方がへりくだっていなければ ならなくなる。…支援どころではない。…恐ろしい」 「〈『火の鳥』の言葉〉 「感情に振り回されることと、感情をじっと感じることは違うと思う」 … 死ぬことは忌むべきことではなく、生まれるのと同じように人間の人生に寄り添っている。 そし

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    k10no3 2024/08/13
  • 2024.8.9 『生きなおすのにもってこいの日』(前) - カメキチの目

    お名前だけは聞いたことのある田口ランディさんのを読んでみた。 『生きなおすのにもってこいの日』 という。 私は「生きなおす」にはあまりに歳をとり過ぎているので、自分のことを思うと 「死ぬのにもってこい」のほうがいい。 書かれていることは(死がテーマであっても)生きることを深く考えさせる話が多く 年齢なんか勘定に入れずに読め、ウンウン…何度も深くうなずいた。 (印象に残った話は六つありました。一つの記事に二つ触れ、3回に分けて書きます) ーーーーーーーーーー 「〈けして一般的ではないものの見方〉 被害者として生きるかどうかは、その人が自分で決めることで、 私はあまり誰が被害者で、誰が加害者かということに注意を向けないことにしたの。 シンプルに『この事件で亡くなられた方たち』そう思うことにしている。 人は必ず死ぬ。私もいつか死ぬ。 … 人間は帰属意識がとても強く、集団 の目的のために手段を選

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    k10no3 2024/08/09
  • 2024.8.2 南木佳士(後) - カメキチの目

    前回の最後で書いた「人権」思想。 「人間は全能だから、人間が人間を自己統治することもできるという考え方も 含まれています」ということ。 唸るだけではなく、後から何度もため息をついた。 ーーーーー 検査と治療の「アンバランス」を、「星のアレンジをしている」神さまが、 「自分勝手に死さえも制御できると思いあがった人間たちに課している試練」と 入院中の癌患者は言う。 考えれば、検査と治療の「アンバランス」のようなことは「イタチごっこ」。 「全能」の人間はいつかは問題を解決し、また新たな問題を迎えるけど、いつかは それを解決し、またまた新たな問題を迎える。 (こういうのも人間の「宿業」?) ーーーーー 前々回の佐野洋子さんの言われるように、月は「見るもの」だとあらためて思う。 それに佐野さんが引用した良寛の言葉、「死ぬ時節には、死ぬがよく候」 ーーーーー ここから題。南木佳士さんのことでもう一言

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    k10no3 2024/08/02
  • 2024.7.23 階級というものは… 年寄りは… - カメキチの目

    佐野洋子さんの『問題があります』の続き(終り)です。 ーーーーーーーーーー 「(中学生のとき佐野さんが『アンナ・カレーニナ』を読んでいて思ったこと) 階級というものは、国籍の違いよりももっと大きい。 「年寄りは年寄りでいい」 (「アンチエイジング」のCMに出てくる若者みたいな年寄りやマスコミの元気・活気にあふれた 老人を称える記事や報道に対して)私はみにくいと思う。 年齢に負けるとか勝つとかむかむかする。 年寄りは年寄りでいいではないか」 ーーーーー 小さいころからの虫だった佐野さんは、目に入ればどんなでも読んでいた。 子どもが理解するにはあまりに難しい小説、たとえば同じロシアの『罪と罰』も わからないなりに読まれた。 『罪と罰』も『アンナ…』も読んだことないが、佐野さんが子ども心に 「階級というものは、国籍の違いよりももっと大きい」と感じたのはわかる ような気がした。 「階級」につい

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    k10no3 2024/07/23
  • 2024.7.9 「差別」を考える(前) - カメキチの目

    ほとんどの人は、「差別していない」思っている。 しかし、差別的な行為そのものはしていなくても、 差別的なまなざし、心で他人の仕草を見ていることがある。 (私はある。そういう自分はイヤなので、これは「差別」ではなく「区別」と弁解するけど、 実のところわからない) ーーーーー 『他者を感じる社会学-差別から考える』  好井裕明・著というを読んだ。 私たちの生活している資主義社会という現実の構造自体に階級・階層がある 明らかなピラミッド社会だから、口ではお題目のようにみな「平等」と唱えても、 客観的なピラミッド構造による経済格差の存在(「富裕・貧乏」は相対的な言いまわし だから、社会全体が富めばいまの貧乏人も金持ちに近づく。しかし金持ちはもっと富み、差は大きく なっていくばかり)を前提に成り立っている。 (「経済的格差」という現実・事実がいろいろな形で個人の心に反映し、さまざまな差別意識、

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    k10no3 2024/07/09
  • 2024.7.2 『断片的なものの社会学』② - カメキチの目

    今日は①で述べた、 「辛いときの反社的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、 どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。 人間の自由は、無限の可能性や、かけげのない自己実現などといったお題目とは 関係がない。…勇ましい物語のなかにはない」を、 その前後で述べられていることを含めて書きます。 ーーーーー 引用文の前にこうあった。 「笑いと自由 私たちは、人生のなかでどうしても折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。… 自分というこのどうしようもないものとなんとか付き合っていける」 後には 「もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。 もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。 人が自由である、ということは、選択肢がたくさんあるとか、可能性がたくさんあるとか、 そういうことではない。 ギリギリまで切り詰められた現実の果てで、もうひと

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    k10no3 2024/07/02
  • 2024.6.28 『断片的なものの社会学』① - カメキチの目

    (先の記事にも書いた)「人間の無限の可能性」ということ。 漠然としているが、人生への勇気を与える言葉であることはあっちこっちで聞くし 間違いない(と思う)。 (しかし、この言葉に勇気をもらったということは《そもそも自分の可能性を確かめる試み、 挑戦のような努力を必要とすることをやったことないので》私にはない。 それに昔は、「自分の可能性を確かめる試み、挑戦のような努力を」しようにもモノや情報が少なく、 「可能性」「自分探し」どころではなかった) いまは、それなりに長く生きてきてわかったことがある。 「人間」とひと口にいっても具体的にはいろいろあり、「無限の可能性」を信じて 努力する人間もいれば、自分のようにそうではない人もいること。 「無限の可能性」を信じて努力するのはすばらしいけれど、希望は叶わず、 挫折することもある。 (結果がどうだろうと「過程」が大切というのもわかるけど…) いちば

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    k10no3 2024/06/28
  • 2024.6.25 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』④ - カメキチの目

    今日は最後、「第三章 情報圏とAI」と「第四章 AI倫理のラフスケッチ」です。 (大切と思われることがたくさんあったのですが、深く感じたことだけ羅列します。 あとで、自分の感想を書くつもりなので便宜的に番号をふりました) 「第三章 情報圏とAI ① 擬似人格としてのAIは、アニミズムに惹かれる人々の心性につよく訴えかける ② 「意味」抜きの情報処理 情報と言っても記号(デジタル信号)の量であって、それが表わす意味の量(そんなものが 計量できるとして)とは来まったく無関係なことに注意しなくてはならない。 ③ 人間が生物の一種であること、そして、ほとんどの生物が論理的な推論より、 むしろ直観や能に依拠して生存していることからも明らか AIをふくめあらゆる情報技術は、人間という生物特有の身体的・生理的な機能が基盤になっている ④ 情報有機体としての人間 コンピュータを中心としたICTは現実全

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  • 2024.6.21 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』③ - カメキチの目

    著者は「AI倫理」とは書いても「AI道徳」とは書かれていません。 (「倫理」と「道徳」の違いをネットで調べたら 倫理が「人間として社会的に守るべき規範」であるのに対し、 道徳は「社会または個人の正義に基づく行為範囲」と認識されていますとありました。 《あまり違いがピンとこず、説得力を感じませんでした》 どうでもいいですが、私は「倫理」は自発的、自律的なもの、「道徳」は外から押しつけられた 強制されたイメージ、ニュアンスがあり、ネットにもそうあるかなと思ったのすが) では「倫理」を問題にする限り、「自由」を論じることは避けられない とあります。 初めに倫理の前提でもある「自由」との関係が歴史的にどうであったのか、 哲学的な見方の主な四つ(①功利主義 ②自由平等主義 ③自由至上主義 ④共同体主義) が第一章で説明されます(が省略します)。 ここでは、次の自由が問題になってくる具体的な話、第二

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  • 2024.6.18 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』② - カメキチの目

    今日から題。 (引用は「まえがき」からです) ーーーーーーーーーー 「〈周囲環境の安定が前提 予測不能 事故が起きたときの「責任」の問題〉 (何よりいちばんに)倫理的かつ法的な問題を解決しなくてなならない。 (しかるに現状は)とかく経済効果やビジネスへの配慮が先行 … 人間は実社会で必ずしも論理的厳密性にこだわって活動しているわけではない。… 「間違いはあってもだいたい合ってい(ればよい」と考えるのが現実的。 現在の《AIの》第三次ブームの技術革新の中核は「深層学習」とよばれる「パターン認識システム」。 だが、これは「単なる統計計算」にすぎない) ーーーーー では初めに、「AI技術はすでに多くの生活場面に活かされているし、 これからますます、飛躍的に利用されていくに違いないが、 たとえば「自動運転」で事故が起きてしまったとき、その責任はどこにあるのか、 誰がとるのかという問題、つまり

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  • 2024.6.14 『AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか』① - カメキチの目

    これからの世界、未来のことは、もはや「AI」抜きには(「先進文明社会」では) 考えられない。 科学・技術文明はただただ前に進むほかない。後戻りできない。 そういう在り方は、「人類の(非科学的な表現だけど)宿命」みたいなもの。 科学・技術はあらゆる場面で「使い方次第」ということがいわれる。 それ自体は「中立」的存在で、使われ方で人を幸福にも不幸にもする。 AIもそう。 (先日、「生成AI」を悪用した全国初の犯罪があったことをニュースで知った。 少し前には視覚障害者の助けになるAIアプリの開発というニュースを知ったばかりだったのに) AIの原理自体はコンピューターの機能・働きだから、人間みたいな感覚・感情、 思い、価値観などは入らない。 そういう意味では、元になるデータさえ「正し」ければ、「ヒューマンエラー」は 原理的に起こらないことになる。 (は、端緒についたばかりではあっても飛躍的に発展

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    k10no3 2024/06/14
  • 2024.5.31 『痴呆を生きるということ』(後) - カメキチの目

    今日で終わりです。 (⑯から⑱まで) ーーーーーーーーーー 「⑯〈痴呆を抱えて暮らす困難〉 「わたし」が壊れる →単にこれまでできていたことができなくなったと感じるだけではなく、 「わたし」が壊れていく、と感じられる →(「わたし」が指揮者なのに「奏者をまときれない感じ」) … 認知の障害、情動反応性の保持 自分が引き起こしたつまずきに自己の責任で対処することの困難という認知レベルの障害と、 自分が遭遇している事態を危機と感じ取り、さらには適切に対処できないことに不安や焦燥を抱く という情動反応性の保持との間のズレが存在する。 →周辺症状を生む源になる ⑰〈妄想の成り立ち〉 新たな生き方への強制 人間以外の動物なら、…ほぼ種に共通する原理になっていて、ある一定の状況が与えられると、 ほぼ同様の行動結果に至る。 しかし、人はそれぞれが独自性を有している。 →「わたし」という装置 人それぞれ

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    k10no3 2024/05/31
  • 2024.5.28 『痴呆を生きるということ』(中) - カメキチの目

    (前回は⑫〈徘徊の出現〉まで。 今日はその続き ⑬から) ーーーーーーーーーー ⑬〈時を駆けることができない〉 彼ら(認知症者、痴呆者)は「今・ここ」で暮らしていることを何となく居住まいが悪いと感じ… かつてこころ安らかに過ごし、プライドをもって生きていた時代に戻りたいのだろう。… 彼らが「帰る」「行く」とき、付き添って歩き、昔話に興じる。 そのとき彼らは、過去をもう一度生き直すのである。 … ⑭〈過去への執着〉 痴呆へのはじまりの時期にあって、痴呆を病むひとたちは未来への不安に怯えていた。 しかし、現在を生き生きと過ごせるようになれば、彼らの不安は消え、妄想は消える。 妄想を生み出さざるをえないこころの源がなくなるからである。 … ⑮〈ほとけの笑顔〉 未来への不安もなく、過去への執着からも抜け出して、彼らは、今・ここを精一杯に生き始める。 時の重なりが理解を超える →そもそも人は理解が届

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  • 2024.5.21 『人類学者…が森に入って考えたこと』⑤ - カメキチの目

    今日で終わりです。 「〈「贈与」ということ〉 ムラブリ…の間では「ある(持っている)人」がない(持っていない)にあげることは普通のこと 見返りを求めない… (たとえば「お米」の話)→ お米が太陽からの贈り物であるという視座、太陽の視座とでも言いますか、 ぼくらのコントロールできない存在によって全ての物事は存在するという感性からすれば、 みんなhave (持っている)であると同時に与えられるしかない点ではhave not (持っていない)… →(要するに平等)奢るとか奢られる(贈与するとかされる)は、特別なことではなくなる。 「あなたも私も太陽に生かされているんだから」 資主義というのは、所有や占有が基盤にある。→have(の人 )とhave not(の人 )が出てくる … プナンであれマオリであれ、モノを循環させる贈与…は、資の蓄積と投下、 そこに付随する貧富の格差を生じさせる仕組みを

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    k10no3 2024/05/21
  • 2024.5.17 『人類学者…が森に入って考えたこと』④ - カメキチの目

    人間、自分、生きるということ、世の中のことについて、子どもから大人へ 成長するなかで、誰でもそれなりに思い、考える。 そういうときだけ「哲学者」になる。 私もそうだったけど、それは自分の知っている世界の中だけの「井の中の蛙」 だったことを、仕事をやめ、自由に読書できるようになった今、「人類学」を 知ってつくづく思う。 ーーーーー 同じ地球人でありながら、たまたま生まれたところが「先進文明」からは 遥かに離れた、「進歩」とは無縁、昔ながらの生活、暮らしを(それ以外はあり得ない かのように)続けているラオスのムラブリやインドネシアのブナンの人々。 そんな人々と現地での生活、暮らしをともにすることによって感じ、思い、 考えさせるものをていねいに学び、それらから逆に、現代日など先進文明社会に 生きている私たちの生、生き方を反射し、照らし、炙りだす。 ーーーーー 「人類学」という方法で、「生きると

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    k10no3 2024/05/17
  • 2024.5.14 『人類学者…が森に入って考えたこと』③ - カメキチの目

    前回はの順番に沿って「パースペクティヴィズム」ということについて書いた けれど、ページの離れたところでまた言及されていた。 (とても大切なことがいわれていると感じ付箋でチェックしていたが、すっかり忘れていた。 あらためて何度か読み返し、また考えさせられた) 「〈パースペクティヴィズムと客観的事実〉 (「パースペクティヴィズム」にこだわれば) 人の数だけ世界があり、動物や虫など人以外の世界も無数にある。… パースペクティヴィズムを隙間なく適応すると、→「相手の立場にはなれない」 客観的事実がなくなり科学的基盤はなくなる→共通の言語の意味がなくなる … ーーーーーーーーーー 「パースペクティヴィズム」などと小難しい言い方をしなくとも、(意識しているか 否か別にして)相手の立場になってみる、相手の気もちを汲もうとすることは (あの「ソンタク」は別にして)日常的に誰でもやっている。 普段の生活で

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    k10no3 2024/05/14
  • 2024.5.10 『人類学者…が森に入って考えたこと』② - カメキチの目

    は次に「パースペクティヴィズム」ということについて述べられる。 ここもとても考えさせられた。 (あるネットで検索するとこの言葉の出どころはニーチェとのこと。 「ニーチェのパースペクティヴィズムとは、見られるものからの視点や視座から、 見 ているものを捉える見方…。 しかし、視点や視座を管理し、自分の自らのものにしていると考える意識は、 ニーチェによると 「共同体的かつ群畜的な性」に属しているので、いかに個人が視座を我が物としているように 考えようとも「共同体的かつ群畜的な性」の ことに無自覚になっている…」) ーーーーーーーーーー には、 「他者の観点に立って、自分たちが見ている世界とは違う観点から世界を捉える ことを「パースペクティヴィズム」と呼ぶ」とあり、それには 「「宇宙論的」なもの」と「「実用的」なもの」の二つの世界の見方があるという 「「宇宙論的」なもの」とは、ひとりの人

    2024.5.10 『人類学者…が森に入って考えたこと』② - カメキチの目
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    k10no3 2024/05/10
  • 2024.5.7 『人類学者…が森に入って考えたこと』① - カメキチの目

    8回にわたって「ブルトシップ・ジョブ」のを紹介し、思ったことを述べてきた けれど、少しほど前に 『人類学者と言語学者が森に入って考えたこと』  奥野克己 伊藤雄馬 ・著 というのを読んでいた。 奥野さん(人類学)伊東さん(言語学)というお二人が、それぞれ異なる場所 (奥野さんはインドネシア、伊東さんはラオス)に行き、一緒に暮らすという(頭で思考する 机上の学問としてではなく)フィールドワークを通して、「人間とは?生きるとは? 生活するとは?」と問い、見えてくるものを学ぼうとする。 その見えたこと、気づいたこと、学んだことが述べられていた。 (そのから刺激されたことが多くあり、「ブルトシップ・ジョブ」の理解に大いに役立った) このも何回(になるか未定です)かに分けて自分の感想を交えて紹介します。 ーーーーーーーーーー 奥野さんはインドネシアの原住民「ブナン」族の人々、伊東さんはラオスの

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    k10no3 2024/05/07
  • 2024.5.3 ブルトシップ・ジョブ⑧ - カメキチの目

    今日は最終の第8講 ブルトシップ・ジョブとベーシック・インカム です。 ーーーーーーーーーー 第8講 ブルトシップ・ジョブとベーシック・インカム 〈エッセンシャル・ワークとジェンダー〉 労働が主要にモノの生産にかかわるものとみなされ、女性はその生産過程から排除され、 「私的領域」つまり家庭内で、その労働力を生産(出産、いわゆる「生む機械」)し、 再生産する(養育し世話をする)役割へと還元されていく。… 「愛の名のもとに」無償化される … 〈「家事労働に賃金を」〉 家事労働に対して賃金を要求することによって、「家事」の意味は一挙に「労働」へと転換する (「家事労働」は家庭の問題であるけれど、ジェンダーの面から社会の問題として挑発される。 「挑発」、つまり問題提起) … 〈わたしたちには「想像力」がある〉 苦痛をへなくても生きていける、人間として成長できる、苦痛まみれの仕事ではない仕事をして

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    k10no3 2024/05/03