シジュウカラが複数の鳴き声を組み合わせた「文章」としてメッセージを送り合い、別種の鳥の鳴き声も理解できるとの研究結果を、京都大生態学研究センターの鈴木俊貴研究員(動物行動学)らが明らかにした。 米科学誌カレント・バイオロジーのオンライン版に発表した。 鈴木研究員らのグループは、シジュウカラが仲間に危険を伝える「ピーツピ」、仲間を呼ぶ「ヂヂヂヂ」という鳴き声を録音。長野県軽井沢町の森で生息する17羽に、スピーカーを使って「ピーツピ」(警戒)、「ヂヂヂヂ」(集合)の順で聞かせると、11羽が周囲に警戒しながら音源に近づいた。この結果から仲間同士で複数の鳴き声を組み合わせ、意思疎通を図っていることがわかった。 さらに、シジュウカラと一緒に群れを作ることが多いコガラの鳴き声を組み合わせて実験。シジュウカラ14羽に警戒を示す「ピーツピ」に続き、コガラが仲間を呼ぶ「ディーディー」という鳴き声を聞かせると
デジタル社会への示唆 ヨーロッパ中世の写本の魅力を存分に、わかりやすく紹介してくれるありがたい一書。豊富な写真の数々はそれ自体見ていて楽しいし、美麗な手書きの文字は、思わず活字本なのではないかと見返してしまうほどだ。しかしそれは話が逆なので、実は草創期の活字は、写本に本来備わる美や権威を模倣してデザインされたものなのだった。 写本の文化を支えていたのは、濃密な身体性と共同性である。この時代、「本」は対等にコミュニケーションすべき「人間」として擬人化されていた。たとえばアルファベットがしばしば人型の文字で表記されるのもその表れだ。字を写すのは一人一日六頁(ページ)程度が限度であったとか。編集担当者、挿絵画家ら多くの人々の共同作業によってこの工芸品は世に送り出される。聞くこと(口承)と読むこと(文字)と見ること(画像)と。この三者が一体となったところに希有(けう)な文化が開花したのである。 本
大阪府和泉市池上町の府立弥生文化博物館で開催中の特別展「沖縄の旧石器人と南島文化」(読売新聞社共催)で、研究者もその意味をつかみかねている絵や記号が刻まれた「線刻石板」が「古代人が残した暗号みたい」と入館者の話題を呼んでいる。 沖縄では縄文時代よりもはるか昔の旧石器時代の約2万7000年前の人骨が見つかっており、今回はこうした沖縄での人類学上の貴重な発見成果に関する資料が多数展示されている。 話題の石板は縦36センチ、横26センチ、厚さ4センチ。左側に建物の形にも見える絵があり、「人」という文字に似た模様は特に彫りが深い。山や渦巻きに見える模様や、「正」「七」「二」「十」といった漢字に似た模様も刻まれている。 1959年に沖縄県北谷町の旧家の敷地内から採取されたが、いつの時代のものかは判然としない。ただ、最近になっていたずら書きされたようなものではないという。 弥生文化博物館は「非常に多く
都留文科大学初代学長の漢学者、諸橋 轍次 ( てつじ ) 博士(1883~1982年)が、戦火を乗り越えて編さんした「大漢和辞典」を展示する企画展「戦争と平和 市民の記憶を語り伝える」が、都留市中央の市立図書館で開かれている。31日まで。 同図書館によると、諸橋博士は1928年、出版社「大修館書店」(東京都)から大漢和辞典の編さんの依頼を引き受け、執筆を始めた。その原稿を基に、41年までに鉛の活字を並べた組み版が完成。校正作業のために、全13巻、計約1万4000ページ分のゲラが3組作られた。 太平洋戦争開戦後の43年9月、第1巻が発行されたが、45年2月の空襲で大修館書店は全焼。印刷中の第2巻が焼失したほか、約100トンの組み版も鉛のために溶け落ちた。 しかし、諸橋博士を支援していた三菱グループの仲介で、ゲラ3組のうち1組が旧宝村(現在の都留市)にあった宝鉱山に疎開し、保管されていた。戦後
実は奥深い言い間違い わが家の長男は4~5歳頃、「蚊に刺された」というのを、よく「かに(・)に刺された」と言っていた。同じく次男は「蚊が来た」を「かがが来た」と言っていた。どちらもわが子特有の言い間違いだと思っていたが、本書によれば、これは幼児期によく見られるものだそうだ。そもそも1拍の語はどこまでが単語か判然としない。そこで幼児は単語の境界をずらしたり、助詞の音を重ねたりして未知の言葉を把握しようとする。本書は、そんな幼児の可愛(かわい)らしい言い間違いを手がかりに、人間が言語を獲得する過程の試行錯誤や、「ことば」の奥深さについて、分かりやすく解説してくれる。少々前に刊行された本だが、この話を読書委員会の二次会で披露したところ、子育て経験者には思い当たる話が多いらしく、意外に好評だった。 他にはこんな話も。「タに●をつけるとダ。じゃあ、ハに●をつけると?」という質問を幼児に投げかけると、
2020年度に実施される次期学習指導要領で小学校の英語が教科になることに伴い、文部科学省は18年度から2年間を移行期間と定め、授業時間確保のため、「総合的な学習の時間(総合学習)」の一部を「英語」に振り替える措置を容認することに決めた。 今夏にも関係省令を改正する。教員の多忙化もあり、授業時間を増やせないと判断した。英語の教科化後についても、総合学習の見直しを検討する。 次期指導要領では、歌やゲームで英語に親しむ「外国語活動」を現行の5、6年から3、4年に引き下げ、5、6年は教科書を使い、成績評価も行う正式な教科にする。これに伴い、3、4年の授業時間は年35コマ(平均週1コマ、1コマは45分)、5、6年は現行の2倍の年70コマに増える。
新たな思考の可能性 副題から入ろう。私たちは強い意志を持って行動し、その責任を取る自己を求められる。だが、私たちが生きる世界はそれほど明確に成り立っているわけではなく、私はそれほど自由な主体ではないのではないか。なにか息苦しく、言葉が違うように感じてしまう。この違和感は、思考の可能性を過去に遡って検討する哲学の考古学が解明してくれるはずだ。 解明の鍵は「中動態」にある。古典ギリシア語の文法では能動態・受動態と並ぶもう一つの態があり、例えば「打つ」と「打たれる」の中間には「自らの胸を打つ」があって哀悼などの状態を示す。日本語の「偲(しの)ばれる」といった自発の表現に対応する。中動態は言語学的にはおそらくより先にあったものだが、そこから受動態が分かれ出てやがて形態としては消えてしまった。著者は、言語学者バンヴェニストらの研究を活用しながら、この失われた言語の「態」とそれが可能にする思考を発掘し
ネット時代に紙の辞書をひく機会は減った。だが、手あかで黒ずみボロボロになった辞書には、人と言葉との出会いの記憶が封じ込められている。小説家、落語家、女優ら10人の書き手が物語をつづった。 優秀だが報われなかった学僧が、筆写した仏教用語辞書にわざと残した誤り……(小林恭二「或る騒動」)、大量の本の整理中、目にした辞書にあった恐ろしい言葉……(藤谷文子「引っ越し前」)。青春の断片も、30代独身女性の倦怠(けんたい)も、新潟の山中の怪異も、辞書に絡めて語られる。簡潔で美しい語釈のように、各編は短くても中身は濃い。 「辞書の厚さの分だけ、人は世界を区切って、意味を与えてきた」(文月悠光「制服の神さま」)。言葉を支える辞書の豊かさを思う。(猿江商會、1600円)(佐)
とにかくユニークな日本語辞典だ。見出し語は「あー(っ)」「うん」「おーい」など、口から発せられる「感動詞」。しかも、一緒に音譜が並んでいる。どうして、このような本を作ったのか。 きっかけは約30年前、中国の大学で日本語教師をしていた頃に遡る。現地の学生が日本のことをあまりに知らないのに驚いたが、「同時に日本人が、自分たちの文化を対外的に説明、発信する意識に欠けていることも思い知った」。 中でも発信が難しいと思ったのが修飾語。「女が歩く」を訳すのは比較的容易でも、「あだっぽい女がしゃなりしゃなりと歩く」を外国人に説明するのは大変だ。「辞書を見ても、類義語を並べただけで、定義されていないものも多い。分かった気になっても真の理解をしていないから発信できていない」状態だった。 そこで形容詞や副詞の辞典などを執筆。日本語教師らに重宝されるようになったが、一連の辞典の完結編として取り組んだのが「感動詞
【読売新聞】 学生の就職活動を支援する大学キャリアセンターの活動が活発だ。エントリーシートの添削や模擬面接を行うのは当たり前。そこに至る「キャリア教育」が注目されている。入学と同時にキャリアガイダンスを開催し、企業経営者を招いたパネ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く