ブックマーク / hoshinot.exblog.jp (8)

  • 2009年11月12日(木) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    平成天皇が即位して20年ということで、昨日、記者会見が行われたのだが、次のような言葉を述べていて、驚いた。 「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。昭和の時代は非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年、1928年、昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。 第一次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ、戦場の悲惨な光景に接して、平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって、誠に不意な歴史であったのではないかと察しております。 昭和の六十有余年は、私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います。」 政治的な言動を一切してはならない天皇が、ぎりぎりのレトリックを駆使して、表現をしている。 なぜ、昭和天

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  • 2009年11月1日(日) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    昨日、杉並区の山田区長や中田宏・前横浜市長らが、「よい国つくろう! 日志民会議」なる政治団体を結成した。その中核メンバーの大半は松下政経塾出身で、来年の参議院選は、いわゆる「松下政経塾」新党で臨んでくるだろう。ひょっとすると、自民党に変わる保守系右派政党になるかもしれない。 少し前に読んだ山田区長のインタビューから想像するに、「志民会議」の柱は、地方分権、新自由主義、そして国家主義だと思われる。ひと言で言えば、小泉改革路線である。「志民」という名からも感じられるとおり、個人は国家のために自分を犠牲にすべしという考え方が強いようだ。構成員の首長らは、「新しい歴史教科書を作る会」の教科書を採択ないしは重視している人たちである。個人が自ら選択して切り開いていける社会、ということも強調しているが、これが小泉型新自由主義社会下では、自分の面倒は自分で見ろ、貧困に陥ってもそれは自分の責任だ、という自

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  • 2008年12月27日(土) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    ◆死にたくなったら◆ 日の自殺者は十年連続で三万人を超えているが、この経済危機のもと、年度末に向かって、自殺者がさらに急増するのではないかと危惧されている。 予測できる事態なのに、黙って手をこまねいているわけにはいかない。そこで、「自殺実態白書」を作成するなど自殺対策に取り組んでいるNPO法人「ライフリンク」は、十二月一日より、「ライフリンクDB」(lifelink-db.org)なるサイトを立ち上げた。これは、経済的な苦境から精神的問題にいたるまで、さまざまなケースで追いつめられている人が、最後にどこへ救いの手を求めたらよいのか、支援機関を教えてくれるサイトだ。検索式になっていて、自分に当てはまる条件を入力すれば、最適な相談機関の情報がヒットする。 私はライフリンク代表の清水康之さんとお話ししたことがあるのだが、二つの言葉が強く心に残っている。 一つは、「生き心地のよい社会」。裏を返せ

    2008年12月27日(土) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    kagiraizou
    kagiraizou 2008/12/28
    自殺・ライフリンク
  • 2008年6月20日(金) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    「逮捕」について考える。 今日は、捕鯨肉を盗んだとしてグリーンピースのメンバーが逮捕された。 宅配便の配送所に忍び込み、他人の宅配物を持ち去る、という行為が、「証拠品として確保した」という理由で正当化されるのかどうかは、私もわからない。これが成り立つとなると、告発さえすれば郵便物を無断で抜き取ることは罪に問われなくなったりするかもしれない。これを権力を持つ人間に濫用されると怖ろしいことになる。グリーンピースのやり方は微妙な問題を含んでいるとは思う。 ただ、私が違和感を覚えたのは、逮捕して身柄を拘束する必要があったのかどうか、という点だ。どうも、この「逮捕して身柄を拘束し、家宅捜索をする」というパフォーマンスのほうに重点があったように感じられもするからだ。つまり、警察の威力をこれ見よがしに見せつけたわけだ。 最近、この手の逮捕が増えている気がするのである。先ごろ有罪が確定した、立川の自衛隊

    2008年6月20日(金) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    kagiraizou
    kagiraizou 2008/06/23
    「「逮捕して身柄を拘束し、家宅捜索をする」というパフォーマンスのほうに重点があったように感じられもする」
  • 2008年6月17日(火) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の死刑が執行される。新聞記者時代にわずかでもあの事件を取材した私にとって、とても虚しい死刑執行だった。死刑を執行しなければ何かが解明できたのか、と問われれば、たぶん現状と変わらなかっただろうと思う。それでも、これでこの事件が過去のものとして終わる、少なくとも世間ではそのように整理されてしまうと思うと、「いったい何だったのだ」と虚脱したくなる。あれほどの残虐さと非現実性に、私たちは背筋を凍らせ戦慄し、当におぞましいと感じ、二度と起こってほしくないと強く願ったはずではなかったのか。それなのに、私たちは宮崎勤を「あちら側」へと追いやることで、事件を生みだした要素も見ないようにし、歯止めを掛けることに失敗した。 あの事件以降、20年の日をつぶさに見つめれば、宮崎勤のような人間が育ち、あのような犯行に及んだ原因は、間違いなく私たちが作っている社会にあることが、いやでも

    2008年6月17日(火) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    kagiraizou
    kagiraizou 2008/06/18
    「連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の死刑が執行される。新聞記者時代にわずかでもあの事件を取材した私にとって、とても虚しい死刑執行だった。」
  • 2008年5月8日(木) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    少し前、北京オリンピックの聖火リレーが各国で行われ、大勢の中国人留学生たちが集結し、「愛国」を掲げて「チベットは国内問題」と大合唱する異様な姿を見ながら、私が感じたのは、「愛国教育」の怖ろしさである。中国以外のどんな立場から見ても、チベットは植民地化されていると言ってよい。にもかかわらず、外部からのまっとうな批判に対して、漢民族の学生を中心とする若者たちが、まったくやましさを覚えずに自己正当するスローガンを叫び、外国の報道のほうが偏っていると断言し不買運動ができるのは、「国を愛する心」を教育を通じて叩き込まれた世代だからこそだろう。 この光景は、強烈な愛国教育が実施されていた戦前の日とそっくり重なる。朝鮮を併合し、満州を植民地としながら、諸外国から批判されると、日の世論は「おかしいのは外国のほうだ」と沸騰した。国際連盟からの脱退をやってのけた松岡洋右は、英雄視された。自分たちは満州や朝

    2008年5月8日(木) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
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    kagiraizou 2008/05/10
    「大勢の中国人留学生たちが集結し、「愛国」を掲げて「チベットは国内問題」と大合唱する異様な姿を見ながら、私が感じたのは、「愛国教育」の怖ろしさである。」
  • 2008年4月22日(火) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    光市の母子殺人事件の判決、何だかとても後味が悪い。「死刑」が「私刑」に見えてくる。普通に裁判が行われた結果、極刑となるのであれば、それは尊重すべきだと思う。けれど、この判決は、「普通に裁判が行われた結果」なのだろうか? 弁護団のやり方にも非常に納得がいかないが、事実を明らかにすることよりも被告を葬り去ることに熱狂した世論にも、嫌悪を覚える。少なくとも、この事件の審理は、高裁での再審が始まるまではこんなふうじゃなかった。 事件の内容を思えば、被告に極刑はありえるだろう。けれど、まるで何かの憂さを晴らすかのように、やみくもに焼き討ちするかのように、当事者ではない者たちが被告を死刑にしろと要求したさまは、とても法治国家の姿とは思えなかった。今、この社会で陰に日向に日々繰り返されているさまざまなバッシングやいじめのひとつにしか見えなかった。 私はこれまで、死刑の存在を否定しきれないでいた。必要悪だ

    2008年4月22日(火) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    kagiraizou
    kagiraizou 2008/04/26
    「光市の母子殺人事件の判決、何だかとても後味が悪い。「死刑」が「私刑」に見えてくる。」
  • 2008年4月3日(木) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    企業が、総会屋に株主総会を荒らされるのを恐れてカネを払ったり、暴力団関係者を接待したり治安維持費を払ったり、右翼の発行する業界誌を法外な額で講読したりすれば、企業のモラルが問われるだろう。住民を脅かす暴力に結果的に荷担したことになるからだ。また、かつてTBSが、オウム真理教を取材したビデオテープを、オウム真理教の要求により放送前に手渡して見せるという事件もあった。このときも、企業そして公共のメディアとしてのモラルが大いに問われた。 ドキュメンタリー映画『靖国YASUKUNI』に関して起こっているのは、それと同じようなことだ。国会議員には強大な権力が与えられており、それは法的には暴力団の力をしのぐ。そして、権力とは究極的には暴力である。そのような力を持つ国会議員が、自由に作られたはずの映画を公開前に見せるよう要求し、特権的にコメントする。これは、暴力団員が威嚇的に企業を訪ねたり、オウム真理教

    2008年4月3日(木) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    kagiraizou
    kagiraizou 2008/04/05
    「『靖国』に関して起こっているのは、、、暴力団員が威嚇的に企業を訪ねたり、オウム真理教が事前にビデオを見せるよう要求したりするのと、何ら変わらない行為である。」
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