米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で、鳩山由紀夫首相がぎりぎりまで徳之島への海兵隊移転にこだわった背景には、日米両政府が昭和28(1953)年にかわした覚書の存在があった。これは、鹿児島県の奄美群島を利用した防衛協力に関するもので、首相はこれを盾にして、徳之島移転を米側に要求する方針だったとみられる。 徳之島を含む奄美群島は戦後、米国に統治されていたが、同年12月に「奄美群島に関する日本国と米国との間の協定」が締結され、日本側に返還された。 しかし、協定とは別に当時のジョン・M・アリソン米特命全権大使は同月24日、岡崎勝男外相にあてた覚書で「奄美群島とその領水は、極東の防衛および安全と特異の関係を有する」として、南西諸島その他の島の防衛強化のため、「米国が必要と認める要求を考慮してもらいたい」と日本側に要請していた。これに対し、岡崎外相は、要請を了解する覚書を即日返信し