このようなわけだから、計画にもとづいて効率性を優先するかぎり、どうしても人は、そのとき起きた予想外の出来事や、その土地ならではの生の風景を見ようとしなくなる。もちろん実際に風景を見てはいるのだが、それは単に網膜に像が映っているだけ、という話で、見えている風景にはなんの意味もないので、見ていないのと同じだ。外の世界への志向性はうしなわれ、土地は私となんの関わりもないものとして、ただ、そこにあるだけとなる。 ところが狩猟者の視点で行動すると、こうした事情は一変する。到達主義的視点は捨象されてしまっていた風景が突如、意味あるものとして復活し、たちあがってくるからだ。 (角幡唯介『狩りと漂泊』集英社、2022) こんにちは。先週は指導案を要する公開授業が立て続けにあって大変でした。おまけに土曜授業までありました。振休はなく、リラックスできるのは今日だけなのに、持ち帰り仕事というおまけもどっさりで、
![角幡唯介 著『狩りと漂泊』より。極地探検家の目下の生き方。漂泊が、すべてを生み出すのだ。 - 田舎教師ときどき都会教師](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d61b53d2a40a7fb1db0e8dbb3c4052ef497a1d99/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51Q%2Bx4ahwWL._SL500_.jpg)