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ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (155)

  • 虎と山伏、猫科の怨み - 書痴の廻廊

    虎は獅子より先に来た。 上野動物園の話をしている。 百獣の王の来園は二十世紀突入後――西暦一九〇二年、元号にして明治三十五年まで待たなければならなかったが、虎はそれより十五年も先駈けて、この地であくびをかいている。 (Wikipediaより、上野動物園正門) 明治二十年、チャーネリーとかいうイタリアから来た興行団の飼い虎(・・・)が、折よくも秋葉原で子を産んだ。 その子を目当てに動物園が交渉し、最終的にヒグマと交換条件で話を決着。愛らしさの塊のような四ツ脚を、晴れて迎えたわけである。 幸い飼育は上手く運んだ。日に日に猛獣らしさを獲得してゆく秋葉原の虎。客の人気もうなぎ登りだ。 ところがこの人気者には、いつまで経っても治らない、困った癖がひとつある。 白い服が駄目なのだ。 中身は関係ない。とにかく白衣を着こんだ人間を目の当たりにしたが最後、ぱっと瞳に怒りが燃えて、異様な興奮を示しだす。 目を

    虎と山伏、猫科の怨み - 書痴の廻廊
    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/10/04
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  • 才子たち ―森有礼と石田三成― - 書痴の廻廊

    英国籍の商船が、荷降ろし中に誤って石油樽を海に落とした。 当時の世界に、ドラム缶は未登場。ネリー・ブライがそれをデザインするまでは、もう十三年を待たねばならない。 (Wikipediaより、ネリー・ブライ) 落下着水の衝撃に、ドラム缶なら堪えたろう。手間は増えるが、回収して終わりに出来た。なんてことないトラブルだ。しかし木樽ではそうはいかない。あえなく砕け、中身がみるみる拡散される。汚染域に居合わせた、不運な魚類が次から次へと水面に浮いた。 明治十九年六月の、横浜に於ける出来事である。 それ自体は取り立てて騒ぐに及ばない。以前の記事でも少しく触れたが、港湾作業中の落下事故など毎日のように起きている。流出したのも原油ではなく石油に過ぎず、タンカー事故にあらずして所詮木樽の容量だ。汚染といっても、規模のたか(・・)は知れている。 問題はむしろ、なんだなんだと三々五々に集ってきた見物人らの反応だ

    才子たち ―森有礼と石田三成― - 書痴の廻廊
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    kaiyumaru 2022/10/01
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  • 日本人と禁酒法 ―「高貴な実験」を眺めた人々― - 書痴の廻廊

    禁酒論者の言辞はまさに「画」の標そのものである。 一九二〇年一月十七日、合衆国にて「十八番目の改正」が効力を発揮するより以前。清教徒的潔癖さから酔いを齎す飲料を憎み、その廃絶を念願し、日夜運動に余念のなかった人々は、酒がどれほど心と体を痛めつける毒物か、懇々と説く一方で、酒なき社会がどのような変化を遂げるのか、未来予測の宣伝にも力瘤を入れていた。 (Wikipediaより、禁酒党の全国大会) 曰く、「労働者が酒と絶縁することで、工場の能率は大いに上向き、米国の繁栄は更にスピードを増すだろう。しかのみならずその賃金を酒場で消費(つか)わず、家に持って帰るゆえ、家庭内不和は解消されて子の健康状態も改善されることになる」。 曰く、「酒が身近にあるうちは、自然これを呑むことが国民の習慣になりがちなのが、酒がまったく手に入らないとなると、次代を担う青少年に飲酒の習慣が根付かなく、あたら道を間違

    日本人と禁酒法 ―「高貴な実験」を眺めた人々― - 書痴の廻廊
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    kaiyumaru 2022/09/22
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  • 九州の熊、月の輪の呪詛 ―古狩人の置き土産― - 書痴の廻廊

    天性の狩人と呼ぶに足る。 猪の下顎、つるりと綺麗に白骨化したその部位を、所蔵すること二百以上、特に形の優れたやつは座敷の欄間にずらりと架けて雰囲気作りのインテリアにする、そういう家に生まれ育った影響か。 久連子村の平盛さんは、ほとんど物心つくと同時に「狩り」に異様な魅力を感じ、黒光りする猟銃に憧憬(あこがれ)を募らせた人だった。 (Wikipediaより、猪の骨格) 久連子村。 くれこむらと読む。 独特な風韻を帯びた名だ。こういう響きは、平地よりも山里にこそよく似合う。果たせるかな、久連子村の所在地は秘境と呼ぶに相応しい。九州中央山地の西部、人煙稀なる山また山の奥深く、平家の落ち武者伝説を発祥に持つと言われても誰も疑問に思わない、かなりメジャーな「隠れ里」――「五家荘」を構成する一聚落。それが久連子村の概要(あらまし)だった。 (五家荘小原の部落) 鳥や魚の死体を海中に吊下(ちょうか)して

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    kaiyumaru 2022/09/17
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  • 赤い国へ ―鶴見祐輔、ソヴィエトに立つ― - 書痴の廻廊

    革命直後のペテルブルグでとみに流行った「遊び」がある。 凍結したネヴァ河の上で行う「遊び」だ。 それはまず、氷を切って下の流れを露出させることから始まる。 (冬のネヴァ河) これだけ聞くとワカサギでも釣るみたいだが、しかし穴の規模はずっと大きく、また釣り竿も使わない。 やがて「玩具」が運ばれてくる。「玩具」とはつまり、帝政時代の富豪や貴族、将校、僧侶――まあ要するに、ツァーリの下で甘い汁を吸いまくっていた連中だ。 こいつらを穴の中に放り込み、溺死に至る一部始終――悲鳴を上げて苦しみ藻掻く有り様をにやにや笑って眺めるのが、つまりは「遊び」の正体だった。 チェキストでもなんでもない、ただの民衆がこれをやるのだ。 やって、享楽に耽るのだ。 毎日のように。 常軌を逸した光景であろう。 しかしながら将軍の娘というだけで、十二歳の少女が処刑場に牽き出され、弾丸のシャワーを浴びせられるのも茶飯事だったか

    赤い国へ ―鶴見祐輔、ソヴィエトに立つ― - 書痴の廻廊
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    kaiyumaru 2022/09/13
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  • 同時代人の二・二六批判 - 書痴の廻廊

    序文に惹かれた。 表紙をめくって三秒で、魂をガッチリ絡めとられた。 所謂二・二六事件は例に依って支配階級の打倒、財閥勦滅の叫聲を天下に漲らせたのである。彼等は壮語して国家改造の重任に当らんと云ひ、所謂愛国的熱情を以て挺身せりと自負してゐるのである。其の動機心境の如何を問はず我等は此の如き企(くわだて)に対し断乎として反対を表明せずには居られないのである。如何に理論ずけようとも、此の如き一挙は至尊の大権と政治の大権とを欺き奉る中世武門政治時代の再現に外ならぬものであって、逆賊的思想行動と断じなければならないのだ。 なんという大胆さであったろう。 青年将校の暴発に対し、ここまで遠慮会釈なき、ほとんど啖呵を切るような、決然たる批判を加えてのけた戦前は初めてだ。 (Wikipediaより、二・二六事件、叛乱軍将兵) 「そりゃ単に、お前さんの見識が狭く浅く偏りきっている所為だよ」と言われてしまえば

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    kaiyumaru 2022/09/08
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  • 明治の捕鯨推進者 ―讃岐高松、藤川三渓― - 書痴の廻廊

    『捕鯨図識』が面白い。 読んでそのまま字の如く、クジラという、地球最大の哺乳類につきあれこれ綴ったである。 (Wikipediaより、ザトウクジラ) 著者の名前は藤川三渓、讃岐の人、文化十三年の生まれ。黒船来航前後から藤森天山・大橋訥庵等々の「勤皇の志士」と交わりはじめ、思想的影響を大いに蒙り、幕末の動乱に際しては「龍虎隊」なる一種の農兵部隊を組織して「熱誠」を顕そうとした。 奔走家といっていい。 が、そうした態度が逆に藩の忌むところとなり、ほどなく立場を失って、牢にぶち込まれている。 物理的な必然性を伴って改革者に付き纏う、反動現象であったろう。 龍虎隊を編成し、その指揮官に就いたのが文久三年六月のこと。 同年十月に下獄したから、半年にも足らぬ盛時であった。 しかし時勢がいつまでも、三渓を獄中に置いておかない。 (Wikipediaより、高松城月見櫓) 鳥羽・伏見に於ける幕府方の敗戦は

    明治の捕鯨推進者 ―讃岐高松、藤川三渓― - 書痴の廻廊
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    kaiyumaru 2022/08/04
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  • 狼の価値 ―一匹あたり二十万円― - 書痴の廻廊

    「狼一匹を駆除するごとに、三円の報奨金を約束する」――。 そんな布告を北海道開拓使が出したのは、明治十年のことだった。 (Wikipediaより、開拓使札幌庁舎) この当時、一円の価値は極めて重い。小学校の教員の初任給が九円前後の頃である。たった三匹仕留めるだけで、公務員様の御給金に届いてしまう。まずまず破格といっていい。 ところが「お上」の気前のよさは、未だ序の口に過ぎなかった。翌十一年、開拓使は報奨金を吊り上げて、なんと狼一匹ごとにつき、現金七円をくれてやると宣言している。 現代貨幣価値に換算して、およそ十四万円だ。 独り身で、質素倹約を心がければ、一ヶ月は喰いつなげよう。 あの害獣をぶち殺し、証拠として四肢を切り取り差し出せば、それだけのカネがたちまち懐に転がり込んでくるのである。 (北海道をうろつく狼) なんと美味い話であろう。猟師たちにしてみれば、腕によりをかけるべき千載一遇の

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    kaiyumaru 2022/07/29
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  • 続・福澤諭吉私的撰集 - 書痴の廻廊

    もう少しだけ福澤諭吉を続けたい。 ――明治維新にケチをつけたがる類の輩が愛用する論法に、アレは市民革命ではない、支配階級すわなち武士同士の内ゲバに過ぎない、よって不徹底も甚だしく未完成もいいところだとの定型がある。 が、福澤諭吉に言わせれば、「だからこそよかった」。 下からでなく、上からの改革であったればこそ。だからこそ日の近代化は首尾よく進展したのだと、そのように話を持ってゆく。 〇恰も上流より流して下流に及ぼし、先づ脳髄を文明にして漸く手足に達したることなれば、其道、順にして、流行も亦速なり。之を他の亜細亜諸国に於て、下等の小民等が単に商売などの利益の為めに、先づ文明に接して文明の事物を耳聞目撃することあれども、上流の士君子は依然たる旧時の亜細亜人にして、千載一日の如く曾て変通の道を知らざる者に比すれば、正しく事情の正反対を見る可し。 (東京奠都) 蓋し卓見といっていい。 日の国情

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    kaiyumaru
    kaiyumaru 2022/06/25
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  • 福澤諭吉私的撰集 - 書痴の廻廊

    猿に読ませる目的で書かれた文を読んでいる。 福澤諭吉の文である。 尾崎行雄咢堂は、その青年期のある一点で、「筆で生きる」と心に決めた。 そのことを福澤に報告にゆくと、折しも福澤は鼻毛を抜いている最中で、鼻毛抜きを手放しもせず聞きながら、「変な目付きをして、ななめに予が顔をながめ」、 ――おミェーさんは、誰に読ませるつもりで、著述なんかするのか。 不作法千万に訊ねたという。 (Wikipediaより、福澤諭吉、明治二十年ごろの肖像) (……恩師とはいえ) その態度はあんまりだろうと、尾崎は怒気を催した。 が、自制心を総動員して抑え込み、返した答えが、 「大方の識者に見せるため」 襟を正して背筋を伸ばし、若者らしい潔癖さを籠め表明したものだった。 すると福澤は、 「馬鹿野郎!」 とまず一喝し、 「猿に見せるつもりで書け。俺などはいつも猿に見せるつもりで書いてるが、世の中はそれで丁度いいのだ」

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    kaiyumaru 2022/06/20
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  • 福澤諭吉の戦争始末 ―領土経営の方針如何― - 書痴の廻廊

    鎌倉幕府は、頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼした。 が、彼の地にうごめく無数の民を真に屈服させ得たかというと、これは大いに疑問が残る。 なんとなれば津軽に於いて、「口三郡は鎌倉役でも、奥三郡は無役の地」と呼ばれたように。 この時代を象徴する土地制度――守護・地頭の導入も、一旦はこれを実施しながら「出羽陸奥に於いては夷(えぞ)の地たるによりて」と理由を構え、いそいそと撤回した形跡がある。 撤回して、変わりに示した方針は、「すべて秀衡、泰衡の旧規に従ふべし」――奥州藤原氏の頃のままやれとのことだった。 (平泉毛越寺に伝わる舞踊) 事実上の白旗宣言に等しかろう。しかもこの方針を示した相手は、やはり土地の豪族・安東氏。嘘か真か、安倍貞任の子高星の後を自称して、その遠祖はトミノナガスネヒコ――神武天皇東征に於ける最大の敵――の近親、兄たる安日(あび)なりと唱えている一門である。 これだけでもう、相当なわせ

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    kaiyumaru 2022/06/18
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  • 日仏変態作家展 ―続・身を焼くフェチズム、細胞の罪― - 書痴の廻廊

    ボードレールが吉良吉影を知ったなら、おそらく彼の名ゼリフ、 自分の「爪」がのびるのを止められる人間がいるのだろうか? いない… 誰も「爪」をのびるのを止めることができないように… 持って生まれた「性(さが)」というものは 誰も おさえる事が できない …………… どうしようもない… 困ったものだ 天与の好悪、性癖に関するこの哲学に、満腔の賛意を示したとみて相違ない。 (Wikipediaより、ボードレール) というのも、シャルル=ピエール・ボードレール、この象徴派の先駆者たるフランス人も、その個性的な趣味嗜好を満たすため、世間の常軌をときに大きく逸したからだ。 一例を挙げよう。 ボードレールはどういうわけだかガラスの砕ける音というのが大好きで、それ聴きたさに植木鉢をむんずと掴み、適当な店の窓に向かって放り投げたことがある。むろん、一切の断りを入れないままに、だ。 もっとも断りを入れようにも

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    kaiyumaru 2022/06/15
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  • 奸商、姦商、干渉ざんまい - 書痴の廻廊

    西暦一六四一年、江戸時代初期、三代将軍家光の治下。寛永の大飢饉がいよいよ無惨酷烈の極みへと達しつつあったその時分。幕府の命で、三十人の首が斬られた。 比喩ではない。 そっくりそのまま、物理的な意味で、である。 彼らに押された烙印は「奸商」ないし「姦吏」のいずれか。 囲炉裏端の筵を刻み、煮込んで喰らう。そんな真似さえ百姓たちの間では常態化しているこの苦しみの只中で、なおも物資を不当に溜め込み値を吊り上げて、もって私腹を肥やさんとした。そういう廉(かど)で告発されて、処刑されたものだった。 (江戸城、幕末に撮影) ――ざまをみよ。 庶民はむろん狂喜した。さもありなん、「他者(ひと)の膏血を啜る鬼めら」が死んだのだ。これほどめでたいことがあろうか。 そうでなくとも、金持ち連中の不幸ほど貧乏人の耳に快い話柄というのもないだろう。 このあたり、江戸幕府はよく大衆の望みを理解していた。 いつの時代、ど

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    kaiyumaru 2022/06/11
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  • 総力戦まであと三日 ―準備せよ、準備せよ、準備せよ― - 書痴の廻廊

    一九三九年九月一日、ドイツ、ポーランドに侵攻開始。 「二十年の停戦」はここに破れた。第二次世界大戦の開幕である。フェルディナン・フォッシュが嘗て危惧したそのままに、世界は再び一心不乱の大戦争へどうしようもなく突入してゆく。 ドイツの動きは早かった。なんといってもルビコンを渡るより以前、八月二十八日の段階で、もう糧と一部生活必需品とが切符制度に移行している。前日、二十七日付けで公布された「生活必需品確保の暫定令」及び「農産物管理令」の効果であった。 切り替えにあたってナチ党は、これをスムーズに運ばせるため、当時の糧農業大臣リヒャルト・ダレをラジオ放送に当たらせて、国民一般に「政府の声」を響かせている。みごとな念の入りようだった。マイクの前で、ダレは次の如く語ったという。 「料品の切符による公正な配給を、既に生産が著しく減少し、癒すべからざる幾多の病弊が現れだしてから実施することが、根

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    kaiyumaru 2022/06/07
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  • マッドな人たち ―八田三郎のコレクション― - 書痴の廻廊

    手術(オペ)で切除した腫瘍の味を確かめるのを事とした、例の外科医先生といい。 戦前日の学者というのは、奇人というか、どうもマッドな香りが強い。 植物園の住人ですら、四分五裂した人体のアルコール漬け標を平気で持っていたりする。 八田三郎のことである。 (北大植物園・博物館) 北海道大学農学部附属植物園の管理者の任を、この動物学者が帯びていたころ。同地を当代の名ジャーナリスト、杉村楚人冠が取材しに来た。 そのとき「珍しい品をお見せしよう」と持ち出したのが、前述のゲテモノだったというわけである。 以下、杉村の記事をそのまま引くと、 札幌神社に詣でゝ後植物園に八田博士を訪ふ、博士は珍しいものを見すべしとて、アルコールづけの大きな瓶を持ち出す。中にチョンまげがあり、サカヤキののびた頭の皮のカケラがあり、赤ン坊の手首や足がある。その手首には木綿の筒袖の端がついてある。見ても薄気味の悪いものばかり。

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    kaiyumaru 2022/06/04
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  • 続・末期戦の一点景 ―大英帝国、備蓄なし― - 書痴の廻廊

    一九一四年八月四日、イギリス、ドイツに宣戦布告。 それからおよそ二ヶ年を経た一九一六年十月時点で、小麦の値段は十三割増し、小麦粉の方も実に十割増しという、紳士たちが未だかつて経験したことのない、大暴騰が発生していた。 産業革命以来、海外の低廉な農作物に頼るばかりで自国農業をひたすら等閑に附し続けてきた伝統のツケを、こんな形で支払わされたわけである。 一九一七年二月二十三日、時の首相ロイド・ジョージが下院に於いて演説した内容は、そのあたりの消息を最も簡潔明瞭に取りまとめたものだった。 「穀物条例廃止以来二十年間に四百万エーカーの土地と五百万エーカーの開墾地とが草地に変った。農業人口の半分は、海外かあるいは都会へ移住した。わが国の如く直接にせよ間接にせよ、農業に対して単に努力を払わないどころか、ほとんど顧みもしないといってよい文明国は他に絶無なのである。わが国で消費される重要穀物の70%から8

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    kaiyumaru 2022/06/02
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  • 夢路紀行抄 ―液体生命― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 神の御業の夢である。 最初はハンドクリームだった。 真珠を融かしたかの如く鮮やかに白いその軟膏を一掬いして、きゅっと掌(てのひら)に握り込む。するとどうだ、中でどんどん体積を増し、ついには指の合間から、河となって流れ出したではないか。 いつまでも尽きる気配がない。 いい気分だった。 まるでキリストではないか、マタイによる福音書第十四章、五つのパンと二匹の魚で五千人を満たした奇蹟――。 今にして顧みれば的外れもいいところだが、夢の中では思考能力が一部麻痺する。床に広がる純白を、なんの自省もすることなしにただ恍惚として眺め続けているだけが、わが偽りなき姿であった。 (Wikipediaより、新約聖書) そこから先、どういう経路をたどったものか――。 エレベーターに乗ろうとしたら、「人の形に近い犬」とか、とんでもないラベルの貼られた茶色い瓶を渡されるという場面もあった。 中身は何か、

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    kaiyumaru 2022/05/30
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  • 末期戦の一点景 ―餓鬼道に堕ちたヨーロッパ― - 書痴の廻廊

    戦争は次のステージに進んだ。 畢竟、勝利の捷径(ちかみち)は、敵国民の心を折って戦意を阻喪せしむるに在り、その目標を達成するに「兵糧攻め」――慢性的な糧不足を強いるのは、大規模な空襲と相並んで極めて有効な一法である。 今日でこそありきたりな認識なれど。一九一九年の段階で、早くもこれに気が付きかけた山科礼蔵という人は、なるほど確かに慧眼だった。 (長谷川哲也『ナポレオン ―獅子の時代―』より) 彼は実業特使としての任を果たす傍らで、ドイツ、フランス、イギリスなどの欧州列強各国が大戦中に施した糧政策を細かく調査。 その結果、以下の如き知見を得た。 まず、山科に言わせれば、「凡そ戦時に於ける糧政策は、之れを四大別することが」可能とのこと。すなわち、 一、糧増産に関する政策 二、糧の国内取引及び価格に関する政策 三、糧の輸出入に関する政策 四、糧の消費節約に関する政策 この四つに、だ

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    kaiyumaru 2022/05/29
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  • 挑発には挑発を ―英国貴族と労働者― - 書痴の廻廊

    戦争は富める者をいっそう富ませ、貧しき者をより貧しく、唯一の資たる健康な肉体さえ損なわしめた。金欲亡者がぶくぶく肥り、我が世の春を謳歌する蔭、祖国のために義務を尽した勇士らが、路傍で痩せこけ朽ちてゆく。諸君! こんな不条理が許されていいのか! 人道を無視した搾取に対して、我々は一致団結し、抗議の声を上げねばならない!」 その日、グロブナー・スクウェアは熱かった。 ロンドン有数の高級住宅街に設えられたこの公園を舞台とし、社会主義者どもの野外演説会が決行されたからである。 緑の空間に、アカどもが蝟集したわけだ。 (トラファルガー広場のコミュニストたち) アジに盛り込まれている「戦争」の二文字。これはつまり、第一次世界大戦を指す。 ヴェルサイユ条約締結からそう幾許(いくばく)も経ていない時分のことだった。 むろん、この批難には突っ込みどころが山とある。 一九一四年八月四日、イギリスによる対独

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    kaiyumaru 2022/05/24
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  • 清冽な大気を求めて ―一万二千フィートの空の舌触り― - 書痴の廻廊

    山形県東村山郡作谷沢村の議会に於いて、男子二十五歳未満、女子二十歳未満の結婚をこれより断然禁止する旨、決定された。 昭和五年のことである。 (昭和初期の山形市街) ――はて、当時の地方自治体に、こんな強権あったのか? とも、 ――なんとまあ、無意味なことを。 とも思う。 大方世上を賑わわせていた、人口過多・産児制限のあおりを喰っての反応だろうが。――およそ情念という情念の中でも男女の恋の炎ほど天邪鬼なものはない。障害物が高いほど、引き離す力が強いほど、いよいよ盛んに燃え上がる。当事者にとってはその一切が単なるスパイスに過ぎないのだ。 水の流れと妾(わたし)の恋は 堰けば堰くほど強くなる この都々逸の示す通りだ。江戸時代の戯作、否、下手をすれば紫式部のむかしから散々描き出された性質、わかりきったことではないか。 (Wikipediaより、紫式部) 根底に無理がある。 少しは米国を見習うがい

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    kaiyumaru 2022/05/22
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